09.カラオケで打ち上げをすることになったが……
「中間テスト、おつかれー!」
カラオケボックスのソファに腰を下ろした藤吉が、テンション高くそう言った。
「おつかれ!」
「おつかれさま〜」
鋼太郎と鹿嶋が続けて声を合わせる。
俺も「おつかれ」と笑みを浮かべながら、ドリンクの氷をかき混ぜつつ、静かにその光景を見ていた。
雰囲気は良い。
少なくとも、表面上は。
——ここまでは計画通りか……。
勉強会も無事に終わり、最後は「ちょっとした打ち上げ」ということで、場所を変えての集まりになった。
本来ならまた俺の部屋でという流れもあり得た。
でも、ここで少し空気を変えたほうがいいということで鹿嶋と相談の上、カラオケを選んだ。
それは、つまり——これまでの雰囲気を《《少しだけ崩す》》ということだった。もちろん、いい意味で。
でも、崩れたのは雰囲気だけでなく、俺と鹿嶋の計画のほうだったのかもしれない——。
* * *
カラオケが始まって一時間くらいが経過したころ、
「飲み物、そろそろなくなるね?」
と、藤吉がテーブルの空いたグラスを見ながら、ぽつりと呟いた。
「だな。取りに行くか」
鋼太郎が立ち上がろうとした、そのとき——。
「あ、いや、鋼太郎はいいよ。片手じゃ取りにくいだろ?」
そう言って、俺が代わりに立ち上がった。
そこに深い意図はなくて、正直、カラオケが苦手だった俺は、少しだけ休憩するつもりで、いったん部屋の外に出たかっただけだった。
「俺、行ってくるわ。ついでにお前の分も持ってくるから」
「おお、サンキュー!」
鋼太郎は笑みを浮かべながら、空のグラスを差し出してきた。
「鹿嶋も、なにかいる?」
ここでも深い意図はない。一緒に行って、作戦会議というわけでもなかった。
ところが、俺がそう訊くと、鹿嶋は少しだけためらってから「私も行く」と言った。鹿嶋は空いたグラスを手にしようとした——
「あ、待って!」
急に、藤吉が鹿嶋を止めた。
「由依のぶん、私が持ってくるよ」
「え?」
鹿嶋は少しだけ驚いた顔をした。
「いいからいいから、由依は座ってて。なにがいい?」
「あ、えっと……じゃあ、私はアイスティーを」
「うん、オッケー」
そう言って藤吉は立ち上がった。
俺は少しばかり想定外に思ったが、藤吉は自然な笑顔で立ち上がると、鹿嶋のグラスを手に取った。
* * *
ドリンクバーは、一つ下のカウンターにある。
廊下を歩き、階段を下りているあいだ、二人の足音だけが静かに響いた。この短い距離が、やけに長く感じるのは、俺の気のせいだろうか。
「そういえばさ、伊吹くんって、いつから由依と仲良くなったの?」
急にそんなことを訊かれて、俺は少し考えてから答えた。
「んー、最近かな? ……GW前に、ちょっと話す機会があって」
「そっか。なんか、二人とも息ぴったりって感じだよね?」
俺は、少しばかり動揺した。
「え? そ、そうかな?」
「うん。勉強会のときとかも、あんまり話してなかったでしょ?」
「ま、まあ……」
「でも、二人で一緒にいる雰囲気が、なんか、自然な感じがした」
藤吉から見たら、俺と鹿嶋はそういう風に映っていたのか。
「じつは、私や鋼太郎くんに隠してるだけで、深い関係だったり?」
「そ、そんなわけっ……——」
——ない、と口に出そうとして、はたと止まった。
実際は、深い関係というわけではなく、同じ目的を持った同士というか、チームというか——いや、そういうことではなく、藤吉に対しては、俺と鹿嶋が「深い関係」であったほうがいいのではないかと思ったのだ。
そのとき、以前鹿嶋が口にしていた言葉を思い出す——
『私が誰かと付き合わないと、自分は恋愛しないって決めてるみたい』
あの言葉が本当だとすれば、ここでの立ち回り方が今後のことに大きく関わってくる。だから、俺は慎重に言葉を選びつつ、控えめにこう言った。
「……そう、見える?」
藤吉はニコッと笑った。
「うん。由依も、なんか無理していないって感じ」
「……今の、どういうこと?」
「あ、うん。由依って、野球部のマネージャーだから、男子からちょっとだけ距離を置いてるの」
「え?」
なにを言っているのか、ますますわからない。
「つまりね、恋愛から距離を置いてるの。ほら、コミュニティが小さいと、関係性も濃くなっちゃうでしょ?」
「ま、まあ……そうなのかな?」
「由依は昔から野球が好きなんだけど、野球部の部員と恋愛するつもりはないみたいだからさ」
そういうことか、と思った。
つまり、もし、野球部のマネージャーが部員と色恋沙汰になったら、周囲にもなにかしら影響を及ぼしてしまうかもしれないと鹿嶋は思っているということなのだろう。そこで鹿嶋は、部活の中で恋愛禁止というルールを自分に課しているわけだ。
「真面目なんだな、鹿嶋さん」
「だからね、野球部じゃない《《伊吹くん》》と仲良くなったんだなって思って」
「え?」
「ん? なに?」
「あ、いや……今、下の名前で呼ばれたから……」
「あ、ごめん! 嫌だった?」
「いや、そういうわけじゃないけど……」
——下の名前で呼ばれたくらいで、なに反応してるんだ、俺……。
ここにきて、そんなことくらいで動揺している自分に辟易する。名前くらいでいちいち反応してる自分が、なんとも情けない。
「ねえ、伊吹くんって呼んじゃダメ?」
「ううん、構わないよ」
「よかったー……」
藤吉はほっとした表情を見せたのだが、
「——じゃあ、私のことも菜々美って呼んでいいから」
そう言われ、俺はなぜか、心臓がドクンと跳ね上がった。
一瞬、驚いた顔をしそうになったが、今度はなんとか抑えられた。
「えっと……じゃあ、藤吉さんのままで」
「えーーー?」
「いや、だって、俺にはハードルが高いから……」
苦笑しながらそう言うと、藤吉はぷくっと頬を膨らませた。
——なんか、変だ……。
動揺しつつも、内心ではそう思った。
なにか、変——違和感のようなものがあって、それが上手く言語化できない。
「でも、私は伊吹くんって呼ぶね? なんか『伊吹』って響き、カッコいいね?」
藤吉は冗談っぽく笑ったけど、その笑顔の奥にある感情は、今一つ読みきれなかった。
少しばかり、会話がおかしな方向に行こうとしたので、俺は落ち着いて軌道修正を試みる。
「でさ、鹿嶋さんって、面倒見いいし、話しやすいよね?」
無理やり流れを鹿嶋の話題に戻す。藤吉の反応は——
「うんうん。わかるわかる」
今の質問にも違和感なく対応したみたいだった。
「……でも、伊吹くんもけっこう話しやすいよ?」
今度は無理やり、俺の話題に引き戻された。
「え、俺が?」
「うん。なんか……ちゃんと話、聞いてくれそうだし。落ち着いてるっていうか」
「いや、それは多分、話すのが苦手だからだよ。沈黙が怖くないだけっていうか……」
「沈黙が怖くない人、貴重だよ?」
俺はどう返すべきか迷ったけど、けっきょく「そっか」とだけ言った。
ところで、俺たちはとっくにドリンクバーの前にいたことを思い出す。
「……てか、鹿嶋さんと鋼太郎が待ってるから、そろそろ戻らない?」
「あ、そうだね!」
藤吉は、飲み物を注ぎながら、ふと真顔でこちらを見てきた。
「ねえ、伊吹くんって——」
その声色は、さっきまでの軽さとは違っていた。
「好きな人、いる?」
「……え?」
手に持っていたコップの中で、氷がカランと音を立てた。
思わず藤吉の顔を見る。
けれど彼女は、なんでもないような顔で、氷の入った紙コップを満たしていた。
まるで、天気の話でもしているかのように、さらっと。
「い……いる」
俺は、そう言った。
「そっか。やっぱり……由依?」
「……まあね。勉強会だって、本当は鹿嶋さんと仲良くなるために、鋼太郎に頼んだんだ」
「……そっか」
その会話は、いったんそこで途切れた。
そのあとカラオケルームに戻るまでに、藤吉はニコニコと微笑み、いつも通りの調子に戻っていたが——。