05.間違った方法だとしても……
昼休み、空き教室。
数日前と同じ場所、同じ時間帯。
けれど、今の空気は、あのときよりずっと重たかった。鹿嶋由依は、机の上に置いた手をぎゅっと握っている。
俺も、言葉を選びながら口を開いた。
「……鋼太郎、どうしてあんなことになったんだ?」
ストレートな質問だった。だけど、きっとこれが一番早い。
鹿嶋はしばらく黙っていた。
窓の外に目を向け、迷うように唇を噛み、それから、ぽつりぽつりと話し出した。
「一昨日、練習中に外周走ってたの」
「うん」
「私はマネージャーだから、コースの途中に立って、タイムを測ってて……」
鹿嶋は手に力を込めた。
「そしたら、道路沿いに、一台の車が……すごいスピードで……」
鹿嶋は、手元をじっと見つめたまま、言葉をつなぐ。
「真っ黒なスポーツカーだった。その車が、私のすぐそばを通ろうとして……」
「っ……!」
「そのとき、鋼太郎くんが、私を引っ張ってくれて……」
鹿嶋は、手をぎゅっと握りしめる。
「間一髪で、私は無傷だった。でも、鋼太郎くんがその勢いで転んで、腕を——」
その場では大した怪我じゃないように見えたらしい。
でも、病院に行ったら骨折しているとわかった。
「……そんなことが、あったんだな」
俺は、そっと息を吐いた。
想像よりも、ずっと、ドラマみたいな話だった。まさに、鋼太郎が「主人公」って感じで、一人の女子マネージャーを助けたのだ。
「鋼太郎は、それを監督には?」
「……話してない。自分が走ってる途中に転んだだけって……」
鹿嶋は苦しそうに笑った。
「私のせいで怪我したなんて、絶対に言わなかった。私が監督に言おうとしたら、言わなくていいって止められて……」
「そっか……」
鋼太郎は、自分のミスってことにして、鹿嶋を庇った。全部、自分の中だけで呑み込んで——。
——それで、鹿嶋は暗い顔をしていたのか……。
たぶん、すごく、罪悪感を感じているのだろう。教室のドア越しにすれ違ったときの、あの悲しい目。全部、今ならわかる。
レギュラーになる目標が絶たれた鋼太郎を、マネージャーとしてそばで見ているのが、どれだけ辛いことか——想像に難くない。
「鹿嶋さんは、悪くないよ」
気づいたら、口から出ていた。
鹿嶋は、驚いたように俺を見た。
「……そう、かな」
「だって、鋼太郎が勝手にカッコつけただけだろ」
冗談めかして言ったら、鹿嶋は落ち込むように顔を下げた。
「でも……これで、鋼太郎くん、レギュラー入りは……」
鹿嶋がぽつりと呟く。
そうだ。
この怪我で、夏の大会には間に合わない。
夢だったレギュラー入りも、藤吉菜々美への告白も、もう無理なんじゃないか。
そんな空気が、鹿嶋の声からもにじみ出ていた。
だけど——。
「それって……本当に関係あるかな?」
俺は、そう言った。
「え……?」
「レギュラー入りすることと、藤吉さんと恋愛すること……それって、べつにイコールじゃないだろ?」
鹿嶋は、目を瞬かせる。
「鋼太郎のレギュラー入りの目標はダメかもしれないけど、藤吉さんのことまで諦める必要はないんじゃないかって、俺はそう思うんだ」
「……でも、鋼太郎くん、きっと自信なくしちゃってるから……」
「それでも、俺は鋼太郎のためになにかしたい」
思った以上に、強い言葉が口から出た。
「及川くん……」
「鹿嶋さんも、そのほうが気持ちが楽じゃない?」
「私は……」
鹿嶋は一瞬、考えるように俯き、口を開いた。
「うん、そうかも……」
鋼太郎の無理をする笑顔が、脳裏に浮かんだ。
痛くても、苦しくても、笑ってるふりをしてた鋼太郎——。
——あんなの、見てらんねぇよ……。
俺は、拳をぎゅっと握った。
「俺、鹿嶋さんみたいに、鋼太郎に助けてもらったことがあるんだ」
「え? 及川くんも?」
鹿嶋が顔を上げた。
「まあ、事故ってわけじゃないけど……そのおかげで、今があるから、その恩を返すのは今しかないと思うんだ。だからさ……」
机に両肘をついて、前のめりになりながら、鹿嶋に言った。
「俺たちで、藤吉さんとの恋愛、成立させよう」
「え……?」
鹿嶋が、ぽかんと俺を見つめる。
「やるしかない。アイツ、あんな顔してたら、絶対に自分から動かないだろうし……鋼太郎が全部諦める前に、ちゃんと気持ちを届けさせてやろう」
「でも……どうやって……?」
「鹿嶋さん、このあいだの、俺に提案した件……覚えてる?」
訊ねると、鹿嶋は「あ……」と口を開いた。
「本当は、そういうのはやりたくないけど、最終手段的にはその方向で考えてる。だから、今回は俺からお願いしたい」
俺は真剣な眼差しで鹿嶋を見た。
「鹿嶋さん、俺と付き合ってくれないか?」
鹿嶋は驚いた顔で、静かに俺の目を見つめた。しばらく沈黙したあと、ようやく覚悟が決まったのか、ゆっくりと頷く。
「わかった……鋼太郎くんと、菜々美のために」
まだ不安そうな顔だったけれど、それでも俺たちのあいだに、少しだけ熱が生まれた気がした。
——そうと決まれば、さっそく今日の放課後から動くか。
昼休みの空き教室で、俺は静かに覚悟を決めた。