19.雨の日、会いたくない人に出会ったら……
六月の半ばともなると、天気予報に曇りか雨マークがずらりと並ぶ。
四季のある日本だから仕方がないことだが、女子たちには死活問題なのか、「髪うねるー」「朝から最悪ー」といったような言葉が教室で聞こえてくる。
あれから一週間が経った。
鹿嶋とも、藤吉とも最近は目を合わせてすらいない。その二人の関係を多少気にして遠くから見ることもあったが、二人の関係は俺と出会って話す前と変わらない。
変わったのは、たぶん、俺の見方のほう。
二人はなにかを話して笑い合ったりもするが、ふとした瞬間に見せる寂しそうな目つきは、たぶん、心から会話を楽しんでいる風でもなさそうだった。
「伊吹、帰ろうぜ?」
俺が顔を上げると、目の前に左腕を吊った鋼太郎が立っていた。経過は良好らしいが、ギプスが外れるのはもう少し先らしい。
「鋼太郎、部活は?」
「今日はオフ。あってもどうせ廊下で筋トレだけだし」
「そっか。じゃあ、帰るか」
俺は、急いで荷物をバッグに詰め、鋼太郎と並んで教室を出た。出たはいいが、なにも話題が思いつかない。そのうち——
「……まだ気にしてんの?」
鋼太郎が苦笑しながら訊ねてきた。
「誰が悪いってわけじゃないだろ? むしろ、頑張ろうとして失敗したってところだろ?」
鋼太郎の言葉がズキッと胸に刺さる。
「そうなんだけど、あの二人に申し訳ないことをしたなって思って……鋼太郎にも、変に気を遣って悪かったなって思ってる」
「だから、気にすんなっつーの」
鋼太郎はニカッと笑いながら肘で俺の二の腕を突っついた。
「お前、細かいこと気にしすぎ」
「そうかな……」
「そうさ。それに、藤吉に告白する前に、いろいろ知れてよかったって思ってるし」
「ああ、『手に負えない』とか、なんとか?」
鋼太郎はなぜか苦笑した。
玄関で靴を履き替え、俺たちは傘を差して歩き始めた。
ザーザー降りではなくても、細かい雨の雫が、すぐに肩やズボンを濡らしていく。雨は苦手だ。得意な人もそうそうにいないだろうが。
すると、歩き始めてすぐに鋼太郎がおもむろに口を開いた。
「藤吉の件だけどさ、あいつの噂……お前、知ってる?」
「なにを?」
「中学時代のこと、鹿嶋と、いろいろあったって」
「あ……ああ、まあ……」
好きな人の好きな人を奪った——そういう話のことだろう。
「その話、俺は藤吉から聞いたんだ」
「えっ」
意外なことに驚いた。まさか藤吉自身がそのことを鋼太郎に話していたとは思っていなかったから。
「藤吉は、なんで、それを?」
「わっかんねー……」
鋼太郎は大きく息を吐いた。
「……でも、もしかすると、俺が藤吉のこと好きって気持ちがバレたから、諦めさせるために言ったんじゃね? 私って、サイテーな女なんだ、的な」
鋼太郎がそう言うと、駅の向こうから甲高い声とともに、他校の女子生徒の集団が現れた。
その姿が目に入った瞬間、俺は背筋を凍らせた。
かしましく、それでいて非常に目立つ女子高生の集団の中には——
「三崎だ……」
鋼太郎も気づいたらしく、ボソッと言った。
「伊吹、そこのコンビニ寄ろうぜ」
「ああ、うん……」
鋼太郎は俺を気遣ってか、すぐにそっちのコンビニへと向かった。俺もあとに続く。入り口の傘立てに傘を突っ込むと、俺と鋼太郎は静かに息を吐いた。
「あっぶね……ギリギリだったな?」
鋼太郎は、窓から外を見ながら言った。
俺と三崎の件——過去にいろいろあった際、あいだに立ってくれたのが鋼太郎だった。そのとき鋼太郎は三崎のことをはっきりと「嫌い」と宣言していたので、俺と同じく、顔を合わせたくないのだろう。
「校区違うのに、なんであいつらこの辺ウロウロしてんだろ? マジ最悪」
「……カラオケとか、ゲーセンかな?」
「いや、そんなのだったら向こうにだってあるだろ?」
たしかに、と思った。
ひとまず、三崎たちがなぜこっちのエリアに来たかはさておき、会わなくて良かったなと思った。
「伊吹、どうする? もうちょいしたら出るか?」
「そうだね……」
「最悪だな、雨も三崎も……」
それからコンビニで少し時間を潰し、ペットボトルのジュースや菓子を買って、俺たちは外に出た。
「雨、ちょっと止んだな?」
鋼太郎が曇り空を見上げながら言った。
それから、一緒に並んで駅へ向かう。
「とりま、藤吉と鹿嶋の件は、忘れろよ?」
鋼太郎は思い出したようにそう言った。俺は「そうだね」と言いつつも、やはり、あの二人の顔をどうしても思い出してしまう。
そうこうしているうちに駅に着いた。
俺と鋼太郎は乗る線が違うので、いつも入り口で別れる。
「鋼太郎、また明日」
「おう、じゃあな」
鋼太郎はゆっくりと改札を抜けて行ってしまった。
その後姿が、妙に頼もしく、カッコよくも見えた。
さっき三崎が来たとき——鋼太郎はさらっと俺を会わせないようにしてくれた。
そういうことが自然に、俺だけでなく女子にもできるやつだから、本来ならめちゃくちゃモテるだろうなと思う。
ただ、ストライクゾーンが狭いというか——。
鋼太郎は自分が好きになった女子しか相手しない。そのせいで、もしかすると悲しむ女子もいるだろうし、彼女ができるタイミングを今まで逃してきたのかもしれないと思った。
——さて、俺もスーパー寄って帰るか……。
そんなことを思いながら歩き出そうとしたとき——
「いたっ!」
甲高い声が駅の構内に響き渡ると、俺は思わず冷や汗が出た。
振り向くと、そこには三崎と、その友達と思われる女子二人——さっきのメンバーが俺のほうへ寄ってきた。
「やっほ〜、伊吹♪」
親しげに話しかけてくる三崎。
しかし、その後ろでほかの女子二人がクスクスとバカにするように笑っている。
主観の話ではない。「あいつが?」「へぇ〜」とその女子たちが値踏みする感じで俺を見つめてきた。
「三崎……なんだ?」
「伊吹に用があって来たんだー」
「俺に、なんの用?」
三崎は屈託のない笑顔を浮かべていたが、嫌な予感しかしていなかった。