14.ヒロインの影に佇んで……
昼休み、なんとなく居心地が悪くて教室から出ると、鹿嶋が俺を見つけて「伊吹くん」と声をかけてきた。
藤吉に抱きつかれてから——そして、鋼太郎が藤吉を諦めたと話してから三日が経っていた。あれからは特になにもなく、穏やかに、しかし梅雨入り前のどんよりした空気がまとわりつく日々が続いていた。
「ちょっと話があるんだけど……」
「なに?」
「えっと……——」
鹿嶋は廊下の先を見た。例の、空き教室に行こうという誘いだろう。
俺は鹿嶋に続いて、空き教室へ向かうことにした。先にトイレを済ませ、一人で空き教室へと向かう。
廊下を歩きながら、ふと、我が身を振り返った。
教室のざわめきも、昼休みの空気も、全部うるさく感じるのは、自分の中にある苛立ちのせいだ。
ずっと、なにかに苛ついている。
その苛つきの原因はほかでもない自分にあるのだと自覚しているが、だとしてもふつふつと湧いてくるこの苛立ちをどこへ向けていいのかわからずにいた。
——鹿嶋や鋼太郎、藤吉さんが悪いわけじゃないんだよな……。
誰にも当たれない。誰のせいにもできない——そんなときに限って、鹿嶋が声をかけてきた。
——鹿嶋の話って、たぶん、アレのことだよな……。
ぼんやりとそんなことを考えているうちに、空き教室にたどり着いた。
静かに戸を開けると、いつもの場所に、鹿嶋が座っていた。
「……で、話って?」
俺は鹿嶋の近くに座りながら訊ねた。
「鋼太郎くんと、菜々美の件」
「……うん」
そうだろうなと思いながら、耳を傾ける。
「菜々美から聞いた。鋼太郎くんのこと……」
「……藤吉さんは、なんて?」
「私たちが裏でいろいろしてたことはバレてたみたい……それと、ごめんって言われた」
「……ごめん?」
訊き返すと、鹿嶋は静かに頷く。
「恋愛する時期を合わせるとか、そういう無理を言ってごめんって……」
「そっか……」
「あとね……及川くんのことも聞いたの」
俺のこと、というのは先日の一件だろうか。
「私たちが付き合ってるって言った日、菜々美が引き返してきたでしょ?」
「うん」
「そのとき、菜々美がいろいろ話したと思うんだけど……」
「ああ……」
半ば、「好き」という気持ちまで伝えられてしまったが。
「本当に、菜々美に、抱きつかれたの?」
どストレートに訊かれ、俺は小さく「うん」と頷いた。
「どういう意味のハグか、イマイチわからなかったけど……たぶん、まあ……そういうことだと思う」
「菜々美、告白したも同然だよね?」
「まあ、明言はされてないけど、嫌いな相手に抱きつく子でもなさそうだし、なんとなく、話の流れというか……」
「そう……」
鹿嶋は静かに俯いた。
「……あのね」
「なに?」
「今日の放課後、時間ある?」
そう言いながら、鹿嶋は教室の時計に目をやった。
昼休みがもうすぐ終わる。もしかすると、けっこう長い話になるのかもしれない。
「私は、部活あるんだけど……」
「まあ、時間なら、あるけど……」
「じゃあ、この話の続きは夜に、及川くんの家で」
「わかった」
それだけ言って立ち上がると、鹿嶋は静かに窓の外を見つめていた。
鹿嶋が今、なにを考えているのか——わからない。
考えてみると、俺は今まで鹿嶋がどんな気持ちでいたのかさえわからずに「恋人のふり」をしようとしていたのかもしれない。
* * *
「こんばんは」
鹿嶋がうちにやってきたのは、俺がちょうどコンビニで買ってきた弁当を食べ終わったあとの、七時半くらいだった。
玄関先で居心地が悪そうにしている彼女を上げ、リビングのソファに座るように言った。だが、鹿嶋は定位置——勉強会で座っていた床の上にぺたんと座った。
俺は飲み物を運び、鹿嶋の前のテーブルの上に置いた。
「……じゃあ、昼休みの続きを」
「うん……」
俺がソファに座ると、鹿嶋はゆっくりと話し始めた。
「もう嘘は吐かない……」
なんだ、その前置きは——そう思いながらも、俺は耳を傾ける。
が、次の鹿嶋の一言に、俺は驚くしかなかった。
「私、昔から菜々美とは仲がいいけど、あの子のことが嫌いなの」
「えっ……」
嫌い——。
その言葉を、鹿嶋の口から聞くとは思っていなかった。
あまりに静かで、あまりに深くて、俺は一瞬だけ返事ができなかった。
——でも、友達なんだよな……?
仲がいいけど、嫌い——それは、いったいどういう意味なのだろうか。
俺はただ息を呑んで、次の言葉を待った。
「菜々美は、小学生のころから人気者だった。頭が良くて、運動もできて……クラスの劇でもヒロイン。まるでヒロインになるために生まれてきたって感じで……」
それは、クラスで見ていてもよくわかる。
藤吉は、一人だけ違う空気を纏っている。容姿だけではなく、発言も——とにかく、よく目立つのだ。
「もちろん、友達として憧れもあったけど、同時に私の中には劣等感があった。中学も、高校に入ってからも……どちらかというと、その劣等感のほうが強くなったのかもしれない」
鹿嶋はそう言うと、自嘲気味に笑った。
「……私って、ひどいやつ?」
「いや……」
正直に言えば、俺も鋼太郎と一緒にいて劣等感を感じなくはない。
藤吉が「ヒロイン」なら、鋼太郎は「主人公」だ。陳腐なラブストーリーなら、二人はなにか大きな障害を乗り越え、とっくにハッピーエンドを迎えているはず。
つい先日まで、そういう流れの中に、あの二人はいたようにも思う。
「俺も、鋼太郎を見ていて、たまにそう思うから」
「なら、私の気持ち、わからなくない?」
「まあ……ちょっとだけ」
正直なところ、鋼太郎のことを「嫌い」とまでは思わない。
だから、完全に一致というわけではないが——。
「それで、ずっと憧れと劣等感はあったんだけど、菜々美を嫌いになるきっかけが、中学三年のときにあったんだ」
「なに?」
鹿嶋は唇を少しだけ噛むと、静かに口を開いた。
「……菜々美に好きな人を奪われたの」
奪われた——静かな口調なのに、その言葉が強く響いた。