05 ポンコツメイドは今日も(無自覚に)やらかす
私ナタリー! 多分十六歳!
いろいろあってメイドさんをしています!
それもなんと伯爵様の専属です! えっへん!
ドジしちゃうことも多いから毎日のように怒られてるけど。でも、毎日とっても楽しいの! メイド服もかわいいしね!
そんな私は、トレーにポットとカップソーサーを載せ、急ぎつつも気をつけて運んでいく。
なにせこの紅茶、三回目なので!
亜麻色のポニーテールを揺らして廊下をしばらく歩くと、執務室に辿り着く。
怒られるかもとちょっぴり怖くなりながら、意を決してノックをする。
返事を確認してドアを開くと、中には私より少し年上の男性。
「やあナタリー。また道に迷っていたのかい?」
「オリバー様! 流石の私も、もう迷子にはなりませんって!」
多分。……ちょっぴり自信はないけど。
でも、今日は迷子になったわけじゃないもん!
「なるほど。つまり遅れたのは別の理由か」
「……はっ」
「ひとまず紅茶を貰ってから何をやらかしたのか僕に教えて貰おうか」
表情を変えず、落ち着いた口調で言葉を綴る。
「ええっと。あはは……」
オリバー様は優しい方だ。私が出会ってきた中でも、一番に。
でも、怒るときはしっかり怒る。……当たり前なんだけどね。
観念して紅茶を淹れに行こうとした、その途中。
「はにゃ?」
ズルッ、と。フローリングとカーペットの境目を踏んだその瞬間。私の身体が大きく傾く。
あ、まずい。
それを知覚したときは大抵手遅れということは、今までの経験上とーてーもーよく知っている。
身体が地面に叩きつけられた数瞬のち。
ガチャン! という盛大な音とともに紅茶のいい匂いがあたりに広がる。
「……なるほど。これが今日遅れてきたことの説明か」
ニコリと笑うオリバー様。でも、その笑顔が怖い!
なんとか言い訳したいけど、悲しいかな、今日のやらかしがこれだからなにも言えない。
「その、あの! ご、ごめんなさいいい!」
遠巻きから伯爵の説教が聞こえてくる。
「あら、またナタリーちゃんがやらかしたのねぇ」
「呑気に見てられるあなたが羨ましいわ……」
メイドが二人、廊下の端で会話をする。
片や楽しげに腰ほどまであるふわふわの金髪を揺らして。
片や今にも胃が引き千切れそうな様相で濃紺のショートカットが覆う額に手を当てて。
「メグはナタリーちゃんの上司ですものねぇ」
「……フィーに変わってあげてもいいのよ?」
「遠慮しておくわぁ」
そんな二人の元に。とてててっ、と足を運んでくる音が聞こえてくる。
「フィオナさん、マーガレットさん!」
黒髪のおさげを揺らして駆け寄ってきたのは幼い顔立ちのメイド。
「あらぁ、ええっとあなたは……」
「サラね。いい加減フィーは新人の名前を覚えなさい」
マーガレットに窘められたフィオナは、ゴメンね? と軽く謝る。
「それで、サラはどうしたの?」
「その。さっきの声は……」
詳しく聞かずとも、どの声なのかは明白。
「ああ、新人さんだからまだ慣れてないのねぇ。アレはね、ナタリーちゃんがオリバー様に怒られてる声」
のほほんとした様子でフィオナが答える。
「ナタリーさんって、オリバー様の側仕えの方ですよね?」
「そうねぇ。あと、そこのメグの部下ねぇ」
「……そうね」
マーガレットは小さく目をそらす。
「あの、私の認識がおかしいかもですけど。御当主様のお付きって、その、ええっと。凄い人の役目では?」
頑張って言葉を選ぶサラ。どうにかナタリーに配慮をしようとした努力は認めるが、あまり配慮はできていない。
まあ、そんな配慮しなくとも、
「ええ、そうね。間違っても館の中で迷子になったり運んでる食事をひっくり返すポンコツのすることじゃないわ」
マーガレットがこき下ろすので誤差である。
「なら、なぜ――」
「そんなの決まってるじゃない! ナタリーの運が良かっただけよ!」
サラの質問を遮るようにして、後方から声が飛んでくる。
振り返れば、緋色のツインテールのメイドが仁王立ちをしている。
「リーゼさん!」
「それで? ナタリーの話だっけ」
「リーゼちゃんは、ナタリーちゃんと同期ですものねぇ」
「私の方がかわいくって。あと、ナタリーよりもずーっと優秀ですけどね!」
その言葉の裏には、なのに側仕えとして選ばれたのは――という感情が受けて取れる。
たしかに運が良かった、というのもあながちただの僻みだけではないのかもしれない。と、ナタリーがそう感じていると。
「あらあら。リーゼちゃんもかわいいけど、ナタリーちゃんだって同じくらいかわいいわよぉ? もちろんサラちゃんもね」
「あと、優秀云々は私やフィーのことを超えてから言って貰うとして」
リーゼの自信に、二人はそう言うと。
チラとサラに視線を遣り。それから、と。マーガレットが言葉を続ける。
「ナタリーを運だけメイドと揶揄する人はいるけれど。その一方で、運も実力のうちとも言うでしょう?」
「たしかに言いますね。……あれ、その口振りだと結局ナタリーさんが運だけってことになりません?」
「ええ、たしかにナタリーは運の良さだけで側仕えになったわ」
まさかの回答にサラが唖然としていると。
でも、と。マーガレットが言葉を切り替える。
「多分その考えは、半分正解で半分不正解ね」
「……えっ?」
「サラもそのうちわかるわ。リーゼが文句は言いつつもナタリーのことを認めてるように」
「認めてなんかないんだから!」
「ほら、認めてるって言ってるでしょ?」
どこが? と思わなくはないが。しかし、マーガレットの隣でフィオナもコクコクと同意をしていた。
「さぁて。そろそろおしゃべりの時間もおしまいね。ゴミが出てきたみたいだし、掃除をしなきゃ」
パチンと手を叩くと。柔らかに笑いながらフィオナがそう言う。
「サラちゃんはもう自分の掃除道具は貰った?」
「はい、先日頂きました!」
サラは支給された掃除道具を取り出す。
「ちなみに掃除の経験?」
「今までに何度か」
「それなら大丈夫そうねぇ。それじゃあ、お掃除を始めましょうか」
私ナタリー! ドジしちゃって御主人様に紅茶をぶっかけてしまったメイドさん!
……うん。自分で言ってて情けなくなっちゃうね。
金属製のトレーは無事だったけど、陶器の茶器は割れちゃったので今は倉庫に取りに行く途中。
心配だからとオリバー様が後ろについてきてる。一人で大丈夫なんだけども。
しばらく歩いていると。途中、オリバー様がピタリと足を止めた。
不思議に思って私が振り返ると、オリバー様が口を開く。
「それでナタリー。君はどこに向かおうとしているんだい?」
「倉庫ですよ?」
「……倉庫の場所は反対だと思うんだけど」
数瞬固まり、頭の中で地図を思い起こす。……あっ。
「あはは……その、ええっと」
「ついしばらく前、もう迷子にはならないと聞いたような覚えがあるんだが」
「気のせい、気のせいです! 多分!」
私はそう言うと、トレーを抱えたままタッタッタッタッと来た道を引き返す。
そして、オリバー様の横を通った、その瞬間。
ズルッ、と。
とてつもなく、身に覚えのある感覚が走る。
もしかしなくても、少し前に感じた浮遊感。
思わず手を前に突き出すが、両の手はトレーを抱えていたので不格好にもトレーを突き出す体勢になって――、
パリンッ、というガラスの割れる音がしたとほぼ同時。
カーンッ! という甲高い音とともにトレーが弾き飛ばされる。
「はにゃ?」
音だけ聞くと窓ガラスを割ってしまったのかとも思ったが。それにしては触感がおかしい。
「へぶっ」
なにが起こったのかと不思議に思っている間に、先に私の身体が床とご対面。
トレーは後方に弾き飛ばされているし。窓は割れてるし。窓から何か入ってきた?
「いったい何が――」
「バカ、伏せろ!」
外を確認しようとした身体がオリバー様によって下に引っ張られる。
ほぼ同時。ヒュンという音とともに高速でなにかが飛来。後方の壁に小さな穴を開ける。
「襲撃だ。狙撃されている」
「狙撃!? また!?」
伯爵様という立場だからか、それとも別な原因か。オリバー様は時々こうして襲撃を受ける。
そして私はオリバー様の専属メイド……大抵そばにいるわけで。
つまり、巻き込まれる。
「えと、あの。私がお守りを! この身を盾にしてでも――」
「そんなことはしなくていい。それよりも、どっちに逃げればいい?」
壁を遮蔽にしつつ、オリバー様がそう尋ねてくる。……なんでいつも私に判断を委ねるのだろうか。
万が一のとき責任問題になりそうだから、できれば決めたくないんだけれども。
「えっと、それならこっちに」
「先導してくれ」
「うう……」
不安だよぅ。
廊下を移動をして。途中、転びかけたときに銃で狙撃されかけて。
ぷるぷると震えながら低い姿勢で移動する。
幸いにも、さっきのトレーはひしゃげはしたものの弾が貫通していなかったので盾代わりに頭に乗せている。気休め程度にはなるだろう。
歩いている途中また銃の音がして、少し先の窓ガラスが割れる。
近い場所。私たちの場所がバレてる。
不安な気持ちを抱えつつ、オリバー様からせっつかれて移動する。
「……今ので五発目。そろそろだな」
「そろそろ?」
「もうすぐ、この襲撃が解決する」
「えっ。でも、私たち、逃げてばっかりでなにもできてないですよ?」
「ああ。でも、そろそろのはずだ」
未だに遠くから、タンッタンッという銃の音が聞こえてきている。
……ほんとに、解決するのかな。
「……ふう。これで最後かしらね」
リーゼが突撃銃を片手にそう言う。
彼女の足元には人の死体が斃れている。
「こちらもお掃除終了しました」
「お疲れ様、サラ。初仕事なのにやるじゃない。……というか、あなた性格変わりすぎよ」
「そう、ですか?」
へにゃっとした表情でかわいらしく首を傾げるサラ。……これが先程、散弾銃を抱えながら猛スピードで接敵してほぼゼロ距離で弾をぶっ放していたのだから信じられない。おかげさまで彼女のメイド服は血と硝煙の匂いが酷い。
「まあ、性格が変わらないのは別の意味で怖いんだけどね」
「あらぁ? それは誰のことを言ってるのかしら?」
笑顔を携えながら歩いてくるフィオナ。金色だったはずの髪の毛は、先が赤黒く染まっている。
フィオナはこの調子を一切崩さないままに、その手の短機関銃でお掃除を遂行しているのだから、それはそれで恐ろしい。
「そのあたりにしておきなさい、フィー」
そんな彼女を咎めたのはマーガレット。拳銃片手に三人に近づいてくる。
「あら、メグ。そっちはどうだった?」
「全体を見てたけど、抜けてきた奴はいなかったわ」
「それならこれでお仕事完了かしらねぇ」
足元の殺伐とした惨状とは対照的にフィオナは穏やかに笑う。
「でも、なんか変な感じはしたのよねぇ。この人たち、ある一定からは館に近づこうとしないというか。私たちが近づいても逃げるばっかり」
「フィーに追いかけられたら怖くて逃げそうな気もするけど」
「あらあ? メグもおいかけっこしたいのかしら」
付き合うわよ? と、短機関銃を持ち上げつつ冗談めかして言うフィオナ。
「でも、たしかに気になるわね。逃げたのはともかくとして、一定以上近かなかったっていうのは、まるで――」
ターンッ! と。
マーガレットの言葉を遮るように、銃声がする。
方向は、館の方面。
「なるほど。こっちが陽動でしたか」
「陽動!? ということは今の銃声は館から!?」
まずいんじゃないですか!? と。慌てるサラ。
現在オリバーのすぐそばにいるのは間違いなくナタリー。
銃火器の扱いがまともにできないどころか、ドジをしまくるポンコツメイドのナタリーである。
だけれども。
「まあ、大丈夫でしょう。ナタリーがいますし」
「大丈夫ねぇ。ナタリーちゃんがいるもの」
「業腹だけど、ナタリーがいるから大丈夫よ」
三者三様に。しかし、大丈夫だと口を揃える。
「そもそも、このような不測の事態に対する対処という意味では、文字通り運のいいナタリーが最適です。この一点に於いては私やフィーなどよりも、圧倒的に」
――誰が言ったか。運も実力のうちである、と。
遠くでの銃撃の音が止んだ。おそらく、マーガレットたちが刺客を制圧したのだろう。
「そろそろ大丈夫だ」
「ほ、ほんとですか?」
僕の言葉に、ぷるぷると震えながらにナタリーが試しに立ち上がってみる。先程までならばこれで射撃が飛んで来たが、今度は飛んでこない。
やはり、制圧が完了し――、
ターンッ! と。銃声が鳴る。
「ひゃうっ! やっぱりまだじゃないですかあ!」
トレーを頭に被せながらナタリーが叫ぶ。
(……いや、今の音の位置を考えると)
至近。つまり、マーガレットたちが対処している刺客のものではない。
マーガレットがすり抜けの対策をしているから大丈夫だと思っていたが。
うまくやられたか、それとも最初から潜入されていたか。
後者だとすると清掃メイドを追い出して事に及ぶあたり内情にも詳しいので辻褄は合う。
問題は、はたして誰なのか。
歴の長い者だと厄介だが――、
「そ、そうだ! そこに倉庫がありますし、倉庫に隠れれば!」
「倉庫はむしろ袋小路に――」
ナタリーが名案と言わんばかりに、忘れ去られた当初の目的地に向けて移動し始める。
とはいえ、彼女の武器のことを考えると、僕も彼女から下手に離れられない。
そして、彼女は。
なぜか倉庫の隣の部屋に突撃をする。
「あっ」
「なっ、なんでこっちに!? 倉庫に行くんじゃないの!?」
そこにいたのは新人メイドの……名前はミザリと言ったか。彼女の手には小銃。
なるほど。倉庫の隣に構えて、入ったところを狙撃するつもりだったか。
「チッ、さっきの会話はブラフってわけね」
「それより、ミザリちゃんも隠れなきゃ危ないよ!」
「……は?」
ミザリが素っ頓狂な声を出す。
まあ、そうなるのはわかる。
だが、ナタリーは素で言っている。
そもそもミザリのことを敵だとは思っていない。
さっきの会話もブラフなどではなく、単純に間違えて入室しただけ。
「とにかくここは危ないから……って、はにゃあああっ!?」
入口の段差に躓いて、バランスを取ろうとブンブンとその腕を振り回し。そして。
カーンッ! と。甲高い音を響かせる。
「へぶっ!」
結局、ナタリーはその場に転んでしまい。
ついでに、頭をトレーでぶん殴られたミザリが横に倒れる。
「はっ、ミザリちゃん! 痛くなかった!?」
「……ふむ、気絶してるな」
「ごめええええん!」
申し訳なさそうにミザリに飛びつくナタリー。
これが、ナタリーである。
マーガレットやフィオナはもちろん、リーゼはおろか、新人のサラにさえ。銃火器の扱いもメイドとしての立ち居振る舞いも劣るけれど。
たったひとつだけ、他の誰よりも勝っている彼女の武器。
圧倒的な豪運。まるで神に愛されているかのように。彼女と、そのそばにいる人物には不幸が残らない。
(まあ、残らないだけで、その過程でナタリーがトラブルに見舞われているあたり。ろくな愛され方はしていないようだが)
依然として犯人であったはずのミザリを心配しているナタリーを見て、僕は小さくため息をついた。