03 最高の追放生活
全ては夜会の会場で始まった。
「レイラ・リラ・ランスロ―! 君との婚約は破棄させて貰う!」
「……その様な発言、王太子として相応しくありませんわ。撤回を要求します。今なら聞かなかった事にしてあげますわ」
「その様な地位など捨てても構わない! ランスロ―家の罪を暴く為ならば!」
強い瞳で、レイラお嬢様と、ランスロ―侯爵と夫人を見据えるフレッド第一王子殿下は、流れる様にランスロ―家の不正や犯罪の証拠を示し、彼らを捕らえる様に衛兵へと命じた。
この夜会で行われた告発によりランスロ―家の破滅し、フレッド第一王子は次期国王として貴族たちに認められる事となったのである。
そして私はと言えば、恐ろしい魔獣が住まうという魔の森へレイラお嬢様を運ぶ真っ最中だ。
馬車はガタガタと不規則に揺れており、酷く乗り心地が悪い。
これが全てを失った者への仕打ちという奴だろう。
「しかしお嬢様……本当に良かったのですか?」
「えぇ。何一つとして問題はないわ。全てうまくいったもの」
「ですが、お嬢様だけ逃がすという方法もあったのですよ?」
「それでは民も納得しないでしょう。罪には罰を。呪われし一族には滅亡を。それこそ民の臨む結末ですわ」
「……お嬢様は常に民の事をお考えになり、支援も行っていたというのに」
「お父様を止める事が出来なかったのだから、同罪だわ」
「出来る事と出来ない事があります。だからこそ、お嬢様は殿下に情報を流した」
「えぇ。殿下なら誰よりもうまくやって下さると思っていたわ。だからこそ、私は最良の結果を手に入れる事が出来たの」
「魔獣の森への追放が、最良の結果ですか」
私はお嬢様の前で申し訳ないと思いながらも深いため息を吐いた。
まだまだ穏やかな風景が続く街道は、これと言ったトラブルもなく、順調に過ぎている。
空に浮かぶ雲はどこまでも呑気だというのに、先にある未来は暗い物ばかりだった。
そして、多くの時間が過ぎて、私たちは大陸の北端にある『魔獣の森』へとたどり着いた。
近づくだけで異様な空気が漂っており、およそ人が居るべき場所ではないとよく分かる。
私はメイド服を整えてから馬車より飛び降りて、お嬢様をエスコートし、地面に降りてもらう。
当然と言えば当然の話であるが、地面は整備されておらずデコボコであった。
妖しい姿をした木々が周囲で揺れており、良くない雰囲気で満ちている。
昔、お嬢様と共に読んだ冒険譚に出てくる死の森とそっくりだ。
「あら。思っていたよりも良い雰囲気なのね」
「これが良い雰囲気ですか? お嬢様」
「えぇ。私、昔から冒険には憧れていたの」
「……お嬢様は、まったくもう」
なんて、軽い会話をお嬢様としている間に、馬車は挨拶も無しにさっさと逃げてしまい、ここには私とお嬢様だけが残された。
ここには大きなお屋敷も、綺麗なベッドもシーツも、美味しい食事もない。
この世の果てみたいな場所だ。
「これからどうしましょうか」
「そうね。まずは食事にしようかしら。魔獣ってどんな味がするのか、気にならない?」
「ならないですね」
「もぅ! ミリィったら。そこは気になりますね。でしょう?」
「……キニナリマスネ」
「そうでしょう? では魔獣を狩って、食べてみましょう」
満面の笑みで両手を軽く叩いて笑うお嬢様に、私は苦笑しながらスカートの下から大型のナイフを引き抜く。
それをクルクルと手の中で回してから順手で持ち、私はお嬢様と共に魔獣の森へと足を踏み入れた。
そして、足を踏み入れてすぐに感じた気配に顔を向け、お嬢様との位置を確認しながら前に走り、地面を蹴って空に跳んだ。
瞬間、黄色と黒の体毛を持った魔獣が木々の間から飛び出してくるのが見えた。
私は慣れた手つきで、ひとまず魔獣の左目を切り裂き、そのまま魔獣の頭に左手を乗せて、体を反転させながら勢いよく右手のナイフを魔獣の首に突き立てた。
どうやら魔獣はこれだけで命を失ったらしく、飛び出してきた姿のまま、地面に滑り落ちる事になった。
「あら。もう倒してしまったの? 流石はミリィね」
「いえ。さほど強くは無かったので」
「多くの人に恐れられる魔獣も、ミリィの前では恐れる対象にもならないのね」
お嬢様は汚れ一つない白魚のような手でパチパチと可愛らしい拍手をすると、興味深そうな顔で魔獣に近づいてきた。
もう死んでいるから危険はないが、匂いとか気にならないのだろうか。
汚いとも思うのだけれど。
「まぁー。まぁまぁ。大きいのねぇ。私の体よりも大きいわ」
「お嬢様は小柄ですからね」
「まぁ。ミリィは意地悪ね。貴女もそれほど変わらないでしょう? それに、この大きさなら大人の男性よりも大きいわ」
「これなら当分は食料に困らないでしょう」
「そうね。あ! ミリィ!」
「っ!? 何ですか!? お嬢様!」
お嬢様の叫ぶ様な声に、私は周囲を警戒しながらナイフを握りしめた。
しかし、お嬢様は先ほどの言葉はどうしたのか、キラキラとした笑顔で言葉を続ける。
「私、アレを食べたいわ。骨付き肉。こうガブっと食べるのでしょう?」
「はしたないですよ。お嬢様」
「良いじゃないの。気にする人なんていないわ」
「ここに居なくとも、街へ戻った時に気にする方がいるかもしれないでしょう。お嬢様を好いている殿方とか」
「街へ逃げた時の心配? だとしても問題ないわ。もしそうなっても、私はもうランスロ―家のレイラじゃないわ。街で生きる普通のお嬢さんなら、別におかしくないんじゃないかしら」
「普通のお嬢さんはきっとそういう事をしませんよ」
「あら。ミリィはしてるじゃない」
「私は……その、普通ではありませんから」
「そう? 私からしたらミリィは普通の女の子だけどね」
両手で背中で組みながら魔獣から振り返り、ふわりと笑うお嬢様はこんな状況だというのに、何も変わらず可愛らしく、お美しかった。
貴族とは家柄ではなく、魂に刻まれた気高さなのだなと思い知らされる。
だからこそ、お嬢様にはこの様な場所ではなく、もっと相応しい場所があると思うのだけれども。
「時にお嬢様」
「何かしら。あ! 待って! まだ言わないで! 当てるわ」
「はい」
「分かった! 魔獣をどう調理するか、ね? ズバリ! そうでしょう!?」
「いえ。違います」
「あら。違ったの。残念だわ。それで、何かしら」
「はい。お嬢様はこれから、どうされるおつもりなのでしょうか」
「どう……ね。正直悩ましいわ。私一人で魔獣の森へ行け。という事であれば、このままここで朽ち果てよ。という事だと思うのだけれど。ミリィも一緒という事は、私が必ずしも死ぬ必要はないという事なのでしょう?」
「そうですね」
「なら、少し落ち着いてからどこか遠い国へ行くのも良いかもしれないわね。ミリィと一緒に花屋さんとかで働くのも良いかもしれないわ」
「……殿下を頼るおつもりは、ありませんか?」
私は悩むお嬢様が不審に思わない様、気を付けながら一つの重要な問いを投げかけた。
顔は平静を保っているつもりだが、胸の奥で高鳴る鼓動は、お嬢様が動く度に早くなっていく。
「考えてないわね」
「……!」
「殿下にはランスロ―家の事でご迷惑をお掛けしたし。これ以上ご迷惑をお掛けする事は出来ないわ」
「し、しかし。殿下も幼少の頃から共に居たレイラ様の事を気にかけてらっしゃるのでは無いでしょうか」
「それは無いわね」
「え」
「ミリィは知らないでしょうけど。あの人、好いている方が居るのよ」
「えぇ!? ほ、本当ですか!?」
「前にお茶会でね。言っていたわ。殿下は聖女と呼ばれる女性に心を寄せている様よ」
「せい、じょ……?」
「そう。私も名前は知らないのだけれどね。何でも飢える民の為に手を差し伸べる美しい心の持ち主だそうだわ」
「……ナルホド」
「ランスロ―家の領地でよく目撃されるって殿下は仰っていたけれど、どの様な方なのかしら。教会の方かしら。一度で良いからお会いしてみたかったわ」
「ソウデスネ」
「でも、その様な方が居るのなら、未来は明るいわね。きっと殿下と共に国を良い方へ導いてくださるわ」
私は遠くの空を見ながら微笑むレイラお嬢様を見ながら、何とも言えない気持ちで少し前の事を思い出していた。
内密にレイラお嬢様付きのメイドである私を呼び出した、あの御方との会話を。
『君がミリアリアか』
『はい。フレッド第一王子殿下』
『そう固い挨拶はしなくても良い。遠くない未来に君の主人と私は近しい関係になるのだからな。彼女が妹の様に思っている君は、私にとっても妹という事だ』
『仰っている意味が分かりません』
『率直に言おうか。君に頼みごとがあるんだ』
『頼みごと、ですか? 言っておきますが、私はお嬢様を裏切る様な真似はしませんよ。私の命はお嬢様に拾われた時から、お嬢様の為に使うと決めていますから』
『あぁ。分かっているさ。だからこそ、レイラが幸せになる為の道を、君に切り開いて貰いたい。闇の組織にランスロ―家の狂犬と呼ばれた、君にね』
『……内容によります』
『まぁ、それほど難しい話ではないさ。ただ、レイラの気持ちを私に向けて貰いたいのだ。彼女を王妃として迎える為にね』
『その為の道は貴方が潰したと、私は認識していますが』
『仕方ないだろう。あの状況では。それに、私はレイラだけは違うのだと訴えようとしたのに、罪には罰が必要だと言い始めたのはレイラだろう?』
『む……』
『私もな、予想外な事で困っているのだ。レイラを説得しようとしたのだが、どうにも話がすれ違っている様でな。もう時間もない』
『だから、私に説得を、と?』
『そういう事だ。レイラに罪がない事は彼女の行動から既に民衆も察している。彼女を聖女と崇める声もあるしな。後、必要なのはレイラの気持ちだけなのだ』
『……はい』
『魔獣の森と言っても、君にとっては大した事は無いだろう。森の外には騎士を派遣するしな。レイラさえ頷けば全てが上手くいく。任せたぞ。ミリアリア』
『分かりました』
私は情けない殿下のお姿を思い出し、小さくバレない様にため息を吐いた。
何が説得だ。
殿下がお嬢様を抱きしめて、共に居て欲しいとでも言えば良いだけだというのに。
ヘタレ王子め。
「でも、良かったわ」
「……? 何がでしょうか」
「ずっとね。ミリィと一緒に旅をするのが夢だったから。今はとても楽しいの」
「それは、良かったです」
しかし。
殿下がヘタレなお陰でお嬢様とこうして楽しい旅が出来ているのなら、まぁ良いかと私はお嬢様と同じ様に空を仰ぐのだった。
「あ、ミリィ。私、アレをやってみたいわ! ハンモック!」
「承知いたしました。では木のツルで作ってみましょうか」
「素敵! ありがとう! ミリィ」
「いえいえ。構いませんよ」
だから、もうしばらくヘタレ王子殿下には、待っていてもらおう。
もう少しだけ。私だけのお嬢様だ。
「私の喜びは、お嬢様の喜びですから」