第6話 「誰が君の連れよ」
過去の俺を見つけてから数分。過去の俺は駅の中を未だ彷徨い続けている。記憶が正しければ、当時の俺はもうすぐ当時の美玲と合流できたはずだ。俺は過去の自分に気づかれない程度の距離で追いかけている。すると、ヒッピー姿の女性が過去の俺の前に立ち塞がった。
間違いない。二〇二四年の美玲だ。俺はひとまず、少し離れたところから様子を伺った。美玲はまたしても過去の俺を足止めしている。前回とほぼ同じ戦法だ。過去の俺は何かを言っていて、その場を離れたそうにしている。だが、美玲は過去の俺の腕を掴んで離さない。過去の俺はそれを必死で離そうとしている。そういう状態が大体数分続いた。おそらく既に過去の美玲が駅に到着していてもいい頃合いだ。
「そろそろ何とかしないとまずそうだ」
俺は美玲を止めて過去の俺を美玲から離すことにした。このままだと過去の俺は過去の美玲に会えない。俺は早足で歩いて二人のもとまで近寄った。二人が一斉に俺の方を向く。最初に口を開いたのは過去の俺だった。
「今度はなんですか。あなたは?」
俺は出せる限りの高い声でこう返した。
「俺はそこの彼女のボーイフレンドさ。いやいや、俺の連れが君に迷惑をかけているみたいだからさ。ちょっと前にはぐれて探したらこの状況が見えたのさ。どっちも切羽詰まっているみたいだから、心配になって来ちゃった」
「誰が私のボーイフレンドで君の連れよ」
美玲が普段よりも倍くらい高い声で反論してきた。こう言われると、振られたとわかっていても悲しくなる。悲しくなるが、極力顔には出さずに反論をする。
「ボーイフレンドといえば、ボーイフレンドだろ。それに一緒にここまできたから連れであることには変わりないだろ、ベイビー。全く俺がいるのにナンパは良くないぜ」
ベイビーは余計かもしれなかったが、これは過去の俺に正体を悟られないための演技である。許してくれ美玲。
「はあ? ただ君が頼まれもしてないのについてきただけでしょう! それにこの状況がナンパに見える普通?」
美玲が大声でツッコミを入れる。俺は言い返さずにはいられなかった。
「ついてきただけだって! 俺だって、こんなことじゃなければついていきたかったわけじゃないぜ!」
「それはそれで失礼よ!」
「ああ、そうだぜ! これはわざとだぜ!」
「わざとだって!」
まずい口喧嘩が止まらなくなってしまった。過去の俺は美玲に腕を掴まれたままで逃げられない。すると、ついに過去の俺が耐えきれなくなったようだった。
「あの! 俺は急いでいるんです! 待ち合わせをしている人がいるんです! 離してくれませんか!」
俺と美玲の言い争いが止まる。直後、近くからスマホの着信音が聞こえてきた。様子を見るにどうやら過去の俺のスマホからだった。
「あの、電話に出て良いですか?」
過去の俺が俺たちに許しを求めている。俺たちは頷いて了承した。美玲が過去の俺の腕を離す。過去の俺は急いでスマホをズボンのポケットから取り出して電話に出た。
「もしもし、美玲さん。うん。俺、今、駅で変な人たちに絡まれててさ。え、先に行ってるって? うん、うんうん。わかった。じゃあ。」
過去の俺は通話を終えた。それから心配そうにこう言った。
「あの、合流場所が変わってしまって……。離してくれないと俺、このままだと大事な約束に……」
ああ、時の流れが変わってしまった。どうやら過去の美玲が合流場所の変更を申し出てきたようだ。こんなこと無かったのに。このまま諸々のことが変わってしまうとどうなってしまうのか。こういう些細な変化の連鎖で時間が自分たちの知らない物にごっそり変わってしまうのだろうか。考えていても仕方がない。ひとまずできることはあるはずだ。俺はなるべくさっきまでの調子で話を続ける。
「待ち合わせ場所はどこに変わったんだい?」
過去の俺はスマホで地図アプリを開いたようだった。その間、美玲は何も言ってこなかった。
「ここです」
示されたのは、この日の俺たちが行った公園だった。スマホによれば車で五分くらいである。
俺は過去の俺や美玲に背を向けてジーパンのポケットから財布を取り出した。お金を確認する。十分なお金が入っていた。ついでに言うと、二〇二四年発行の新紙幣は一枚も無い。俺は過去の俺の方に向き直った。
「今日は悪かったな、お詫びにタクシーでその公園まで連れて行ってやるよ。お金は払ってやるからさ」
「え、でも……」
過去の俺が申し訳なさそうに言う。俺は敢えておどけた調子でこう言い返した。
「気になるあの子を待たせてもいいのかい? タクシーなら歩くよりも早いぜきっと」
一瞬だけ過去の俺は頭を抱えるとぼそぼそと返事を言った。
「……わかりました」
結局、俺たち三人は駅の構内を出てタクシー乗り場へと向かった。乗り場に着いて適当なタクシーを見つけ、乗り込む。乗り込んだところでこちらを振り向いた運転手にぎょっとされた。俺と美玲の見た目がタクシー運転手から見てもかなり変だったらしい。俺の方から運転手に行き先を告げ、タクシーが発車する。
俺たちはタクシーの後部座席に前方から見て右から俺、過去の俺、美玲という並びで座っている。運転手は運転しながらも俺たちの方をしきりに見てきた。そんなに変だろうか。真ん中で俺と美玲に挟まれている過去の俺が足先に目線を向けながらこう言った。
「今日は気になる人と初めてのデートなんです。五月に出会ったばかりでまだ正式にお付き合いしている訳ではないのですが」
「そ、そうなんだ」
美玲は窓の方を向きながらも相槌を打った。信号に引っかかってタクシーが停車する。
「向こうから誘ってくれたんです。今日は七夕だから初デートとしてロマンチックなんじゃないかって」
そうだった。この時の七夕デートを提案してきたのは美玲だった。この日の二週間前、読書サークルの終わり際に呼び出された。二人きりになると彼女はからっとした様子で七夕の日に二人で会わないかと持ちかけてきた。俺はそれを了承すると彼女はとても嬉しそうだった。後になって聞いたが、彼女はデートを持ちかけた時、断られないかと不安で内心ドキドキしていた様だった。
俺は思わず目を窓に向ける。そのことを忘れていたことが美玲に対して申し訳ないと思えた。過去の俺は話を続ける。
「それで、今日は念入りに準備と心づもりをしてきたんです。今日は最高の一日にするぞって。それなのに道に迷ってこの有り様ですよ。彼女に対して面目ないと思っています」
過去の俺が両手の拳を強く握った。それを見てこの日の俺は駅の中で道に迷った自分の面目なさに悔しくなったことを思い出す。
「これじゃあダメですね、俺。今から彼女に会ったらまずはどうしたらいいんだろう。とにかく謝れば良いのか……」
過去の俺は背中を丸くした。俺はなんて声を掛けたらいいのかわからない。過去の俺の思いがとてつもなくわかってしまうから。すると、美玲が過去の俺の方に向き直ってこう言った。
「そんなに落ち込むな! 青年! 君が弱っていてどうするんだ。それこそ彼女に対して失礼だろ! だから君は元気を出して堂々としてなさい!」
車内中が彼女の喝に圧倒された。俺も運転手も目を瞬かせた。過去の俺は美玲の方を見ていた。俺もまじまじと美玲を見つめた。サングラスで目元は見えない。今、彼女はどんな目をしているのだろうか。
「はい!」
過去の俺はどうやら元気を取り戻したようだった。過去の自分の背中が急に頼もしく見えた。信号が青になったのでタクシーはまた動き出した。