第32話 「戻りましょう」
俺はしばらく倒れたままで雨に濡れていた。未来の俺が抱えている問題の大きさは今の俺には助けきれない程の物だ。もう未来の自分と美玲を助ける手立ては無さそうだ。
さっき地面に叩きつけた左手の痛みは治った。だが、立ちあがってここから帰る気になれない。腕時計で時間を見る気にもなれない。一体どれくらいの時間が経っただろうか。そうしていると、どこからか足音が聞こえてきた。頭だけを動かして辺りを見ると傘をさした車掌の姿があった。
車掌は俺のそばまで来た。
「様子は把握しています。二〇二八年のあなたは、残念ながら心のバランスを崩された。きっと、それまでずっと、大事なもののために頑張っていたんだと思います。それが、仇になってしまった……」
「……」
その通りだ。未来の俺は頑張り過ぎてしまったんだ。だから、ふとしたことがきっかけで壊れてしまった。膨らませ続けた風船が割れたみたいに。
「……迎えに来てくれたんですか?」
俺は車掌にこう聞いた。
「その通りです。今のあなたは自分では駅まで歩けなさそうですし」
「その通りですね」
俺は苦笑した。確かにそうだ。今は俺一人では動けそうにない。
「駅や電車を放っておいてここまで来たんですか?」
仮にそうだとしたら、かなり申し訳のないことをしたなと思い俺は車掌に聞いた。すると車掌は少し笑ってこう答えた。
「時の管理人は私の他にもいます。駅の管理や列車の運行は別の者に一時的に任せてここに来ています。ご安心ください」
「そうですか」
それならば、まあ良いのか。
「ひとまず、二〇二四年に戻りましょう。駅はここから歩いてすぐ近くにあります。一人で立てますか?」
「いや、今は自力で立てそうにないです……」
「わかりました」
そう言うと車掌は手を差し出した。俺はそれを掴んでなんとか起き上がる。それから車掌に支えられて立ち上がった。車掌の肩を借りて一緒に歩きだす。
車掌と歩いている間、車掌は何も話しかけてこなかった。それが今の俺にはとても良かった。森の中をゆっくりと歩く。しばらく歩くと、駅舎が見えてきた。車掌の言った通り時の駅を近くに移動させたようだった。駅舎に到着すると車掌は俺と一緒に改札を通ってホームまで連れて行ってくれた。それからホームに設置されたベンチへと俺を座らせてくれた。
「この後、二〇二四年行きの列車が参ります。もう少しお待ちください。私はここを任せていた別の者に話をしてきます。すぐに戻ります」
そう言って車掌は来た道を戻って行った。
車掌が用事で居なくなってから俺は一人でただぼーっとした。とにかく何も考えたくなかった。何も考えたくないのに、様々なことが思い浮かぶ。それが嫌だった。頭の中でそうこうしている内に車掌は戻ってきた。
「お待たせいたしました。すぐに二〇二四年行きの列車が参ります」
車掌がそう言った直後にアナウンスが流れる。
「間も無く、一番線に特急二〇二四年十一月十四日午後十四時五分行きが参ります。黄色い線の内側までお下がりください」
列車はすぐにやってきて停車した。俺は車掌に支えられて列車に乗り込んだ。車内に入ると車掌は俺を通路側の座席に座らせてくれた。
「今はゆっくり休んでください」
車掌はそう言って先頭車の方へと歩き出した。
直後に発車メロディーが流れる。
「一番線、ドアが閉まります。ご注意ください」
ドアが閉まる。少し揺れると列車は発車した。
俺は目をつむった。この状態であの奇妙な景色を見る気にはなれなかった。疲れた、ただその一言しか今は浮かばない。列車の揺れが俺を眠りへと誘ってくれた。列車が到着するまでの間、俺は眠ることにした。
俺は未来の俺を助けられないまま、二〇二四年へと帰った。