第26話 「今年の十一月くらいだった」
未来の美玲は俺たちが過ごすことになるはずだった四年間について話し始めた。
「私から見て五年前の二〇二三年十一月に健太と交際を始めて、私たちは順調に関係を深めていったわ。進級してからも大学を卒業してお互いに就職してからもうまくいっていたわ。交際を始めて四年が経ったのを機にこのマンションで一緒に暮らすことにしたわ。提案したのは私の方だった。彼は提案を聞いて嬉しそうにしてたわ。それから二人でこの部屋にするって決めて引っ越した」
彼女はタンスの上に置かれている写真を眺めた。そちらに目を向けると俺が知らない俺と美玲との思い出の写真が並んでいた。どこかへと旅行に行った時らしき物、ろうそくを立てたケーキを囲んでいる二人の様子の物など沢山置かれている。未来の美玲はそちらの方を向いたままで話を続けた。
「それから半年くらい経った今年の四月に私の方からプロポーズしたわ。彼はそれを受け入れてくれた。それからすぐ、今年の五月十一日。私と健太が哲学の授業で初めて会話を交わしてからちょうど五年が経った日に役所に婚姻届を出したわ。それからの数ヶ月は間違いなく幸せだったと思う」
すると未来の美玲は急に表情が曇った。
「今年の十一月くらいだったわ。健太は急に落ち込んだ様子を見せた。詳しくは聞いていないけど、この数ヶ月仕事でうまくいかないことが増えてたみたい。彼はそれから急速に元気を失っていった。そして、十一月十日の夜、私が仕事を終えて家に帰ると健太は先に家にいたわ。それまでは彼の方が後に帰ってきてたのに。そこで彼はこう言ったの。仕事を辞めたって、人生終わったって」
「……」
俺は何も返事ができない。ただ虚ろな目で未来の美玲を見ることしかできない。未来の彼女は話を続ける。
「私は全力で彼を慰めた。大丈夫よ、きっと何とかなるわって。でも、彼には響いているようには見えなかった。私は仕方ないなと思って彼のことを放っておいて寝ることにした。どうせ明日には元通りの調子になっているだろうって思っていた。でも、現実は違った。翌日の朝七時に起きて、リビングに出た時には既に置き手紙が置いてあった。そこには、幸せにできなくてごめんって書いてあった」
そう言うと未来の美玲はタンスの中から一枚の手紙を見せてくれた。そこには確かに俺の字で色んなことが書いてあった。仕事がうまくいっていなかったこと、自分の人生に迷ってしまったこと、その中でも特に印象深かったのは美玲に対する幸せにできなくてごめんという内容だった。
未来の美玲は今にも泣きそうだった。
「その手紙を読んで私は急いで彼を探したわ。一日掛けてあちこち探したけど見つからなかった。樹くんと紗奈さんにも連絡を取って探してもらったけど見つからなかった。私は後悔したわ。前の晩、落ち込んでいる彼を放っておいて寝ることにしたこと。どうせ明日には元通りの調子になっているだろうって思いこんでいたこと。なんて取り返しのつかないことをしてしまったんだろうって……」
彼女は泣きだした。俺はどうしたらいいのかわからない。わからないままでいると横にいた美玲が未来の自分にハンカチを差し出した。未来の彼女はそれを受け取ると涙を拭った。
「ありがとう」
「いえ……」
美玲も未来の自分に引っ張られてか落ち込んだ様子だった。未来の彼女は再び話し始めた。
「それから私はしばらく何もする気が起きなくなった。仕事もここ一ヶ月ずっと休んでいる。人間って大事なものを失うと本当に何もできなくなるのねって思った。そうしているうちに今年ももうクリスマスイブになってしまったわ。昼間に樹くんと紗奈さんが様子を見に来てくれて一緒にケーキを食べたら涙が出たわ。本当は健太も含めた四人で祝いたかったな……」
未来の美玲は一回深呼吸をした。それから俺の隣にいるかつての自分に目を向けた。
「樹くんと紗奈さんを見送った直後にインターホンが鳴ったわ。誰だろうと思ってモニターを見ると過去の私が居た。最初は驚いたわ。どういうことって。でもね、すぐに四年前に読書サークルの先輩から聞いていた都市伝説を思い出したわ。過去の自分が時間を超えてやって来たんだって理解することにしてこの家の中へと通したわ」
「あの時は突然押しかけてしまってすみませんでした……」
美玲が未来の自分に向かって頭を下げた。
「そんなに気にしなくていいわ」
「いいえ、いくら未来の自分と言えどあれは失礼過ぎました……」
未来の美玲は苦笑した。
「まあ、そうね。私から見て三時間くらい前に来たあなたは私から聞きたいことだけ聞き出して。すぐに去っていったわよね。あの後大変だったんでしょう」
「……まあ、その通りでした」
「過去の私のことだからきっと私たちの過去をどうにかしようとしたんでしょう。すぐに思いついたわ。だから私はすぐにあなたを追いかけることにした。ちょうどタンスから引っ張り出していた昔使っていたコートを着てね」
そう言って未来の美玲は壁に掛けてある緑色のコートを指さした。俺と美玲はそれを一緒に見る。そのコートは年季が入っていた。この前に見た二〇二四年の美玲のコートの様子を思い浮かべると月日の経過を感じさせた。
コートを見つめながら美玲はこう言った。
「まさか、つけられていたなんて」
「だって、過去の私を止めなきゃって思ったんだもん。ごめんなさい。私を追いかけた先でときの駅が私にも見えたわ。過去の私は改札を通っていくところだった。私はすぐに車掌を探さなきゃって思った」
「車掌はすぐに見つかったんですか?」
美玲がこう聞いた。
「いや、何分か探したわ。何分か経ってようやくそれらしき男性を見つけたら、向こうの方から私に声をかけてくれて。私は過去の自分がおそらくやるであろうことを話したわ。そうしたら車掌はとてもまずいことになったと言っていたわ。時間の流れが消えることが一番まずいことだって教えてくれた。彼はどうしたらいいのかでかなり頭を抱えていたわ」
車掌が頭を抱えたという話を聞いて俺は、俺の前で余裕を見せていた車掌は内心大変だったんだろうなと思った。未来の美玲は話を続ける。
「私もどうしたらいいのか一緒に考えたわ。どうしようって考えた末に私は思いついた。二〇二四年の健太に過去の私を止めてもらえばいいんだって」