第16話 「戻ったらちゃんと説明してやる」
樹の目から生気が失われてしまった。彼が落ち着きつつあるのを見計らってか、紗奈さんのお母さんが料理を用意してお盆に載せて持ってきてくれた。
「せっかくここまで来てくれたから豚汁でも食べていかない?」
紗奈さんのお母さんはそう言って、ちゃぶ台に人数分の豚汁とお箸を置いてくれた。
「ありがとうございます」
俺はお礼の言葉を言った。
「良いのよ、これくらい」
お盆にはもう一個だけ豚汁があった。それを見た美玲がこう言った。
「それは紗奈さんの分ですか?」
「そうよ。でも、今は降りてこないだろうから今はラップでも掛けて取っておくわ」
「やはり心配ですか? 紗奈さんのこと」
美玲からの問いかけに紗奈さんのお母さんはこう返した。
「そりゃあ、心配よ。でもね、あんまり心配し過ぎてもしょうがないから、今はそっとしてあげようと思うわ」
「そうですか」
美玲は少し安心したようなそんな表情を浮かべた。
「じゃあ、遠慮なく食べてね」
紗奈さんのお母さんに促されて俺はお箸を手に取った。
「いただきます」
俺に続いて美玲と樹もそれぞれ食べ始めた。
その豚汁からはこの家の温かみが感じられた。具沢山で味噌の味と豚肉が絡み合って美味しかった。俺たちが食べていると紗奈さんのお母さんは俺たちと同じように座り込んで、俺たちに向かってこう言った。
「いつも、娘のことを気にかけてくれているようでありがとうね」
樹は両手で豚汁の入った茶碗を持ちながらこう返した。
「いえいえ。今日はこっ酷く言われてしまいました。彼女の言う通りで、確かに今回は俺が悪かったなとは思います。だからこそ、苦しいです……」
すると紗奈さんのお母さんは少し笑った。
「あら、そう。でも、それは彼女にとって樹くんとちゃんと向き合おうとしている証拠かもよ」
「向き合おうとしている証拠……」
樹は今度は茶碗をちゃぶ台の上に置いた。紗奈さんのお母さんの話は続く。
「あの子はね、ちゃんと人と話そうとしないで抱えこもうとするところがあってね。だから、前の恋人にもうまく言えないことが多くて不満を募らせてたみたい。それで最終的には別れちゃって大変なことになっちゃったみたいだし」
紗奈さんは前の彼氏とのことでかなり頭を悩ませていたようだった。俺はその全てを聞いている訳ではないが、美玲は色々と聞いていたらしかった。美玲の豚汁を食べる手が止まる。
「話は聞いています。紗奈さんは自分の問題をわかっていたみたいです。だから、どうしたらいいのかで悩んでいたみたいです」
「そうだったのね……」
紗奈さんのお母さんは窓の方を向いた。それから、すぐに俺たちの方に向きを戻した。
「紗奈がどう言うかわからないけど、私はあなたたちにここまで来て紗奈と話をしようとしてくれてありがとうと言いたい。紗奈は、良い人たちに恵まれたようね」
俺は樹の方を見た。樹の目に生気が少し戻ったようだった。彼は紗奈さんのお母さんを見て頭を下げた。
「こちらこそありがとうございます」
それから俺たちは紗奈さんの普段の様子を彼女のお母さんに伝えた。彼女の母親は嬉しそうにそれを聞いてくれた。
俺たちは豚汁を食べ終えて一時間以上さらに休んだ。時刻は午後十四時になるとしているところである。樹が帰れそうな状態になったのを見計らって俺たち三人は紗奈さんの実家を出た。紗奈さんのお母さんにかなりの迷惑をかけてしまったので、いつか今の状況が落ち着いてからまた四人で来なければと俺は思った。今度はゆっくりと楽しい時間を過ごしたいなと思った。
約二十分かけて駅まで歩く。その道中、気がつけば樹は俺と美玲以上に速足で歩いていた。彼の背中は丸まっている。何もない田舎道を歩いていると、彼が突然立ち止まって空を見上げた。
「はあ、なんでこうなったんだろうな」
俺も樹につられて空を見上げた。空には何も無かった。今、樹の心の中は、紗奈さんという大事な人から距離を置きたいと言われて辛いのだろう。
「紗奈さんは樹に心配をかけさせた自分が許せなかったんじゃないの」
美玲がそう言った。樹は空を見上げたままだった。
「実際聞いてみたらその通りだった。紗奈、あちこちに対する色んな感情がぐちゃぐちゃそうだった。自分自身や勝手なことをした俺への怒り、美玲や健太に対する罪悪感。その他にも多分、ある。色々なものが積み重なって、ついに崩れちゃったんだろうな」
「樹、お前も紗奈さんも色々抱えていたんだな」
俺は頭を元に戻して彼の方を見てこう言った。
「どうした急に」
彼は少し笑いつつ尚も空を見ている。
「いや、お前と紗奈さんのことを俺は全然見ていなかったって今思ったよ。本当に申し訳ない」
俺は頭を下げた。
「お前が気に病むことはないんだがなあ。そういう性格だから、お前は……」
俺は頭を上げた。樹は俺と美玲の方を振り向いて俺の目を見てきた。
「健太、やはりお前にはちゃんと話さなければいけない。お前の人生を巡る問題について」
彼の目には決意みたいなものが感じられた。
「樹くん……」
美玲が心配そうに言った。樹は飄々とした感じでこう言った。
「美玲、俺はお前がどうして健太のことを振ったのか、大体の見当はついている。お前は、多分、未来の事を明かせない。なぜなら、目の前の健太が傷つかないか心配しているからだ。だから、俺が代わりにある程度こいつに言っておくよ。だって、そうしないときっと、こいつのためにはならないぜ。だだし、振った理由とかはちゃんと自分の口から話せよな」
美玲は苦しそうな表情を浮かべてからこう言った。
「……わかったわ。任せる」
樹は少し笑って頷いた。
「ということだ、健太。ここから戻ったらちゃんと説明してやる」
いつの間にか樹はいつもの具合に戻っていた。俺は少し笑ってこう返した。
「わかった。ちゃんと説明してくれ」
「ああ、もちろんだ」
樹は再び歩き出した。俺と美玲もそれに続いた。
俺たちは駅に到着してホームで電車を待っている。暇なので俺は美玲と樹に対してこう言った。
「結局、俺たち全員時間移動したんだな」
「そうね」
「そうだな」
「紗奈さんはどうなんだ?」
俺はふと思ったことを聞いた。答えたのは樹だった。
「ないだろう。未来の美玲とたまたま会ってしまってそこで時間鉄道の事を聞かされただけっぽいし」
「なるほどな」
美玲はどこか遠くの方を眺めていた。
「未来の私は現在の紗奈さんと会ってしまってどう思ったんだろう……」
「それは今度本人に聞きに行けばいいんじゃないか?」
樹は至って軽い調子で言った。
「……そうね」
美玲がこう反応した直後、電車の到着を告げるアナウンスが流れた。すぐに電車が来た。俺たちはそれに乗り込んだ。
空いている車内で俺たちは並んで座席に座った。いつの間にか三人そろって同じ方向の景色を眺めていた。電車は俺たちを目的地まで運んでいく。俺たちの人生という名の列車は、どこに向かっているのだろうか。俺たちはただ、レールの上を運ばれていくことしかできないのだろうか。
電車の車内で俺と樹はこの足でどこか落ち着ける場所に行き、そこで話をすることにした。美玲は一旦家に帰ると言った。彼女の様子からは疲れが見て取れた。俺は美玲に今日はもう無理はせずと言った。彼女は頷いた。ひとまずは俺と樹の二人で話をすることになり、俺と樹は美玲より先に電車を降りた。俺と樹は落ち着いて話ができそうな場所を探すために駅を出て歩き出した。時刻は既に午後十六時半を過ぎていた。