第14話 「遠くにでも出かけるの?」
二〇二四年十一月十三日。朝になった。俺はいつもの時間よりも早くなんとか起き上がって、出る準備をする。ちょっとした遠出になるので荷物を多めに持っていくことにした。荷物を部屋の前に置いて朝ごはんを食べようとリビングに出る。ひとまず、袋詰めのロールパンが有ったので、そこから二つ取り出して食べた。味わう余裕はなかった。食べ終えてキッチンで食器の片づけを済ませたところで横にやって来た姉と目が合った。
姉はどうやら寝起きらしかった。ぼさぼさのボブカットにパジャマ姿の姉はパンを手に持ちながらこんなことを言った。
「健太、いつもより起きるのが早いわね。おまけに部屋の前に置いてある荷物も多い。しかも昨日の晩から誰からの連絡をしきりに待ってたみたいだし。遠くでも出かけるの?」
こういう時の姉の観察眼は侮れない。俺の様子だけでかなりの精度で言い当てているのが俺としては自分を常に見られているようで恐ろしい。否定するのもめんどくさいので頷く。
「そうだよ。これから友だち達と遠くに行く。姉さんのその観察眼、推理小説の名探偵みたいで怖い」
姉は申し訳なさそうな顔をするも話を続けた。
「それはごめんなさい。でも、これだけは言っておく。健太、彼女に振られたでしょ?」
そこまで把握していたのか。
「どうしてそれを?」
「いや、去年の今頃から健太から誰かと付き合っているんだろうなって雰囲気は感じてた。でも、ここ二日明らかに落ち込んでるし、疲れてるなっていうのは一瞬見ただけでもわかってたから」
「そ、そうか……」
一目見ただけでもわかる程に俺は落ち込んでいるように見えていたのか。俺がキッチンから移動しようとする直前、最後に姉はこう言った。
「多分、今起きていることは健太の人生にとって重要なことだよ」
「……そういうところが怖いんだ」
俺はキッチンを後にした。
家を出て俺は最寄りの駅へ向かった。樹と美玲とは電車の中で合流ということになっている。駅に着くと俺はホームで電車を待った。樹から連絡が来た。二人で五号車に乗っているということだった。俺はホームを移動して五号車が停まる辺りで立ち止まる。朝のホームには人がそこそこいた。アナウンスが鳴って、すぐに電車がやってきた。ドアが開いて、何人かの人が降りていき、その後で乗り込む。すぐに発射メロディーが流れて扉が閉まった。電車の中にはかなりの人が乗っている。
俺は人をかき分けて樹と美玲を探す。二人はすぐに見つかった。二人のすぐ近くまで近寄る。二人は並んで座っていたが、俺は立ったままという状況だった。人が多い車内では何かを話す気にはなれず、俺たちは無言で近くに固まっていた。次第に乗っているうちに人が一人、また一人と降りていったので途中から俺は樹の隣に座ることができた。三人で並んで座る。一昨日よりも前ならば美玲の横に座っていたのかもしれないが、今は彼女の隣に座る気にはなれなかった。
電車に揺られること約一時間。樹が車窓からの景色を眺めながら急にこんなことを言った。
「そうだった。電車の景色ってこういうのだった」
俺もそれを聞いて車窓をよく見る。そこには何の変哲もない景色が一瞬で過ぎ去っていく様子が見えた。時間鉄道で見ていた奇妙な景色と比べると樹と同じような感想が出てきた。そこでふと思った。樹は普段電車を使わないのだろうか。そういえば、彼がどのようにして日々大学まで通学しているのかを俺は把握していない。俺は樹のことについてさえも知らないことが多いのだろうと思って、なんとなく自分の見ている世界の狭さに悔しさを覚えた。
その後途中で乗っていた電車を降りて、別の電車に乗り換えた。それから再び揺られること三十分程、ついに目的の駅へと到着した。改札を通って駅舎を出る。そこにはのどかな田舎の景色が広がっていた。
「着いたわね」
美玲がその景色を眺めながら言った。俺は彼女と同じ方を向いてなんとなく返事をした。
「そうだな。やっと着いた」
そうしていると樹が俺と美玲の前に立った。
「二人とも、ここまでついてきてきてくれてありがとう。授業を休んでまで来てくれて本当にすまない」
樹が頭を下げた。彼の言う通り、俺と美玲は授業を休んでここに来ている。それに対して彼なりに申し訳なさを感じていたようだった。俺は頭を下げている樹の肩を叩いた。
「いいんだ。世話になっている人たちがピンチなんだからさ、授業を休むくらいどおってことない」
美玲も樹の方を見てこう言った。
「その通りよ。これくらい、なんてことない」
樹は頭を上げた。
「改めてありがとう、二人とも」
これでこの話はお終いになった。俺は昨日から気になっていたことを一つ樹に聞いた。
「それで、紗奈さんの実家はどこにあるのかわかっているのか?」
樹はスマホを取り出して何かを見ながら、こう答えた。
「もちろん。前に行ったことがあるから大丈夫。ここから歩いて二十分くらいのところにある」
「歩いて二十分? 結構かかるね」
美玲がこう言って、膝に手をついた。
「そう言っていてもしょうがないじゃないか。ひとまず、歩こう」
そう言って樹は先に歩き出した。美玲もそれに続いて、俺が一番後ろになって歩き出した。歩いている間中、ずっと畑や民家しかなかった。俺は紗奈さんはこういう町で生まれ育ったのかと彼女の人生に思いを馳せた。
歩き続けて、樹は一軒の民家の前で立ち止まった。美玲と俺も立ち止まる。樹は表札を指さした。黛と書かれている。
「着いた。ここだ」
黛家は二階建てでそれなりの広さを持った家だった。庭もあるし二台分くらいの駐車場もある。樹はそばにあったインターホンを鳴らした。すぐにインターホン越しに反応があった。女性の声だった。
「はい」
「すみません。黛さんのお宅で合っていますか。前にお邪魔した近藤樹です」
「ああ、樹くんね。ちょいと待ってて」
すぐに玄関が開いて女性が中から姿を見せた。先に挨拶をしたのは樹だった。
「どうも。お久しぶりです」
「ちょうどよかった。さあ上がって」
俺たちはそれに応じて中へと入った。
中の応接間に通されると、女性、紗奈さんのお母さんは今の状況を説明してくれた。
「昨日、紗奈が急に帰ってきたんです。何かあったのかと聞いたんですが全然答えてくれなくて。何かを抱え込んでいるみたいでどうしたらいいのか……」
俺は何も言えなかった。樹も考えているようですぐに返事がでなかった。そうしていると美玲が反応した。
「今、紗奈さんはどちらに?」
「二回の自分の部屋に籠っています。ぜんぜん二階に上がっても私は構いませんよ」
「わかりました。では、上がらせていただきます」
美玲はそう言うなり立ち上がって、応接室を出た。
「俺たちも行こう」
樹が立ち上がって歩き出した。
「あ、ああ」
俺もその後に続いた。二階に上がるとすぐに「紗奈」とプレートがドアに掛けられている部屋があった。樹と俺がドアの前まで着くと美玲はそのドアを迷わずノックした。
「紗奈さん。聞こえますか。新井です。樹くんから話を聞いて心配になって来ちゃいました」
するとすぐにドアが中から開けられた。ドアの先には弱り切った表情を浮かべている紗奈さんがいた。紗奈さんは美玲を一目見るなり、小さな声でこう言った。
「……未来のあなたと会った」
「えっ? 今、何て?」
美玲は反応に困ったようだった。紗奈さんは今度は大声でこう言った。
「未来の美玲ちゃんに会っちゃったの! ごめんなさい! 本当にごめんなさい!」