第11話 「朗読会を開催します!」
俺たち三人は二十分程、人で溢れているキャンパス内を練り歩いた。樹が大声で宣伝文句を言う。
「読書サークルです! この後、十四時から朗読会を開催します! 朗読する作品は宮沢賢治で『銀河鉄道の夜』です!」
俺たち読書サークルが朗読する作品に選んだのは『銀河鉄道の夜』だった。この作品を選んだのは、確か紗奈さんだ。「悲しい話だけどロマンチックで、こういうイベントには打ってつけなんじゃないかな。それに私がやりたいの」という理由だったと記憶している。
俺たちは一通りキャンパス内を周った。人通りが少ない辺りで休憩をする。樹は持っていた自らのペットボトルのドリンクを飲む。俺と美玲はというと何も飲み物を持っていないので、ただただ休んだだけだった。三十分歩き回っただけでかなり疲れた。樹の様子を見ていると俺も何か買っとけば良かったなと小さく後悔した。飲み終えた樹が俺たちの方を向いた。
「ひとまず、この辺で十分宣伝できたと思います。俺はサークルのブースに戻ります。お二人はどうしますか? せっかくなので朗読会を観て行かれますか?」
俺と美玲は目を合わせる。俺としては、二度目になるがせっかくなので見ておきたい。美玲が俺に聞いてきた。
「どうする? 私としてはせっかくだから見たいのだけど」
美玲も同じ考えだったようで少し嬉しくなる。俺は頷いた。
「俺も同じく」
美玲も頷いた。彼女はそれから樹の方を向いてこう答えた。
「では、ありがたく」
俺たち三人は移動してまた読書サークルのブースにやってきた。記憶通り、ブースである小講義室は朗読会を聞こうというお客さんで混んでいた。数時間前に置いてあったテーブルはどけられて椅子が所狭しと並べられている。それでも足りなくて、立ち見のお客さんもそれなりにいた。横にいた樹が俺たちにこう言った。
「誘っておいて申し訳ないのですが、この状況なので立ち見でもいいですか?」
美玲は「ええ、もちろん」とでも言いたげに頷いた。樹は申し訳なさそうに頭を下げる。
「本当にすみません。ぜひ朗読会をお楽しみください」
樹はそう言って一礼した。その後すぐに、彼は他のメンバーから呼び出されて部屋の奥の方へと移動していった。彼の様子を見届けると美玲はこう言った。
「さて、過去の私のお手並み拝見」
「だな」
俺は前方に置かれた誰も座っていない二つの椅子に目を向けた。そこに今回の役者たちが座るのである。
なんとなく待っていると、開始のアナウンスが行われた。部屋の扉二つが閉められて蛍光灯も消された。役者用の二つの椅子の周りが暖色系の照明四つで照らされる。程なくして役者二人が登場した。お客さんたちからの拍手が起きる。俺と美玲も拍手をした。登場した役者のうち一人は紗奈さん。もう一人は当時の美玲である。二人は一礼して椅子に座った。二人とも手に抱えていた台本を広げて準備が整う。最初に言葉を発したのは紗奈さんだった。
「銀河鉄道の夜」
そこから、すぐに本文に入った。紗奈さんの朗読は聞き手を包み込むような優しいものだった。当時の美玲の方は快活さのある朗読だ。ジョバンニ役が美玲、カンパネルラ役が紗奈さんである。俺は、聞くのはこれで二度目なのに二人の演技の熱量に圧倒されて聞き入っていた。なぜかというとそれは、演技の上手い下手ではなく、二人が純粋に楽しんで演技しているように感じられたからだ。聞き入りながらも俺は室内を見渡した。周りのお客さんたちもかなり聞き入っているようだった。
部屋の端に読書サークルのメンバーが固まっているのが見えた。その中にはさっきまで一緒にいた樹と当時の俺がいる。偶然にもその二人と目が合う。なんとなく会釈しておく。その後で俺は横にいる美玲に目を向けた。美玲はただまっすぐ、過去の自分と紗奈さんを見つめていた。
この場にはただただ、輝かしい時間が流れていた。
最後の一文を読み上げられ物語が終わる。過去の美玲と紗奈さんは立ち上がった。
「銀河鉄道の夜。作、宮沢賢治。出演、黛紗奈、新井美玲」
過去の美玲がこう言い切ると二人は一礼した。拍手がこの空間内で一瞬にして大きくなっていった。俺は精一杯の拍手を送る。美玲も拍手を送っている。拍手はしばらく鳴り止まなかった。
朗読会が終わってから少し経って俺と美玲は講義棟の廊下を二人で歩いている。読書サークルの部屋は朗読会の後片付けが進められていて当時の俺や美玲もそれを手伝っているはずだ。外からは喧騒が聞こえてくるのにここでは俺たち以外誰も歩いていなかった。しばらく無言で進んでいたが、美玲がぽろりと言った。
「健太のフルネームって宮沢賢治に似てるよね」
「どうした急に?」
俺がこう言うと美玲は少し笑った様子で続けた。
「だって、君のフルネーム、宮沢健太でしょ。宮沢健太、宮沢賢治。読みが一文字違いでほぼ一緒」
そう言われると、その通りなのだ。それから俺は名前を巡る数々の思い出を思い出した。俺も少し笑って美玲に言い返す。
「そうだな。よくよく思い返したら昔からよく言われてたな」
「そうなんだ」
美玲はそれでこの話はお終いとでも言いたげに別の話題を切り出した。
「こうして見てみたら、拙い演技だったな、私。去年あの場に立っていた時は必死だったから気づけなかったんだな……」
彼女が立ち止まって、そばにあった窓に目を向けた。俺も立ち止まって同じ方を見た。窓からは文化祭の賑やかな様子が見えている。
「俺は、そうは思わなかったけどな。確かに、プロほどの演技ではないだろうけど、それが良いんだよ。あれが良かったんだと思う」
そう言うと美玲は俺の方を向いた。ちょっぴり嬉しそうな表情をした。だが、一瞬で元の表情に戻った。
「ありがとう」
彼女はただ一言そう返した。
俺たちがそうしていると、横を一組の男女が歩いて通り過ぎていった。俺たちはその男女に目を向けた。その男女は当時の俺と美玲である。
「ああ、このタイミングだったか」
美玲がそう言った。確かに。もうそんなタイミングなのか。
「どうする? 追いかけるか?」
俺は軽い感じでそう提案する。
「そうね。だって、その瞬間を見届けるためにこの時間に来たのよ、私たち」
美玲はすぐに歩き出した。俺は少し立ち止まって彼女のことを見た。
「ああ、そうだな」
俺は独り言ちた。彼女の後をついていく。美玲にはすぐに追いついた。二人で並んで進んでいく。今ならまだ、追いつけるはずだ。
過去の俺たちにはすぐに追いついた。できるだけ過去の自分たちに気づかれないように後ろをついていく。過去の自分たちは空いていた誰もいない教室に入っていった。俺と美玲は自分たちに気づかれないようにその教室の扉の前で屈む。扉にはガラスがはめられていて、中が少し見えるようになっている。
俺たちは中からは見えないような位置で教室内の声を聞き取れる態勢を取った。俺たちが何かを話し始めた。その声が聞こえてくる。最初に聞こえてきたのは俺の声である。
「今日の演技、よかった」
「ありがとう。それならよかった」
「ところで、呼び出したのはどうして?」
「いや、私たち、今日で出会って丁度半年だなって思ってね」
「そうか、もうそんなに経つのか」
「あっという間の半年だったよね」
「そうだな。あっという間だったな」
そこでやや間ができた。静寂が続く。俺たちは息を殺してあの瞬間を待っていた。静寂を破ったのは美玲だった。
「健太、君のことが好きです。付き合ってください」