記録⑥ 幻影と現実
[基地司令]
楽にしたまえと言いたいところだが、緊急事態だ。
ブリーフィングに入るぞ。
[Briefing]────────
隠岐基地周辺の領空に、ソブエト連邦機が侵入した。
侵入したのは高高度を飛ぶ偵察鳥だと確認されている。
山岳部から対空砲で迎撃したが撃墜にはいたっていない。
情報を自国に持ち帰られる前に偵察機を撃墜せよ。
────────────
【隠岐基地・翼納庫前】
翼納庫から大鳥は飛び立つ。
「いっちまったな......」
「なんだ寂しいのか、レコ助」
「冗談止めろ、昨日今日の付き合いだぜ、オル爺」
俺は見送ることしかできなかった。
そもそも俺は一般人の清掃員だ。
前回空を飛んだのが奇跡に近い。
「レコ助もいつかは飛べるようになる」
「オル爺、そいつは夢の中でか」
大鳥で飛ぶ条件として“6時間の滞空条件”というものがある。
一般的な大鳥の魔力だけでは3時間、そこに操縦者の魔力を用いて6時間飛ぶことが前提となる。
「そんなこと気にしてんのか」
「そんなことってな」
操縦者の魔力の無しで飛ぶことができないのは常識だ。
「レコ助、よく聞け」
「下手な励ましなら要らねーぞ」
「違う。お前の敵は誰かって話だ」
珍しく真面目な質問だ。
「敵は......ソブエト連邦じゃないのか?」
オル爺はサングラスを曇らす。
「いや、お前の敵はお前だ」
空を飛べんのも自分を言い訳にしているだけ。
現にお前は空を駆けた。飛べない理由はそこには無い」
「でも、規則は」
「規則は順守はすべきだが、絶対とは言わん」
それでも、と言う前に、
肩に力がかかる。
硬く、ごつい手だ。なのに優しかった。
「一歩だ、一歩を踏み出せ。
リアルじゃねえぞ、魂でだ。
できれば、そいつはどんな魔法よりも苛烈だ」
言った後、ハッとした様に、
オル爺はサングラスをかけなおす。
「今日は熱かったかもしれん」
「......」
「中でアイスでも食べんか?」
「......そうだな」
滑走路には影だけが焼き付く。
無理矢理だが影はすこしだけ上を向く。
そして青空には雲がゆっくりと増えていく。
◇◆◇
その夜の隠岐基地は荒れていた。
「トリノ、お前ふざけてんのかッ」
「前をよぎるほうが“悪い”がな」
掴みかかる2人の男たち。
翼納庫で起こった騒ぎは、清掃員である俺が知るまでのモノとなっていた。
「んだと、テメーッ」
「手を放せ、パーマ野郎が」
騒ぎの発端は、空でトリノ大尉がパーマ少尉を撃ったこと。
いわゆる、誤射である。
空では敵味方が入り乱れる為、射線に入ることはよくある事であり、そのために大鳥には識別を表す布が巻いてある。
「敵味方の判別ぐらい付くだろッ」
「俺に落とされるようなら、その程度だったわけだ」
「テメェ、言わせておけばッ」
「やめんか、あんさん方」
仲裁に入るは細目少尉。
彼は上官ではないが、今日の戦績はトップであり、そしてこの場の誰より冷静であった。
「パーマ、あんたが射線に割り込んだのは事実や」
「ちっ、そいつは分かってる」
「トリノ、あんたもや」
「俺が悪いと?」
「これ以上騒ぐなら上に報告することになるで」
トリノ大尉は髪を掻く。
「チッ、勝手にしろ」
悪びれる様子もないように、トリノ大尉は歩き出す。
あまりの目つきの悪さに、ガヤに集まった隊員たちは道を開ける。
静寂だけが翼納庫に残るのであった。
◇◆◇
【隠岐基地・酒保/臨時食事場所】
野外の簡易テントには臨時食事場所の札が掛けられていた。内部には熱気が籠り、置かれたパイプ椅子と折り畳み机は土と錆で汚れていた。
俺は一人で、飯を食べる。
プレートに盛った肉料理は冷めて、ぬるく、油が固まっていた。
「まずい、な」
机に無造作にころがるドックタグには“トリノ・アグレッサー”の名が刻まれる。
(あァ、こんな場所に誰だ?)
飯を食い終わって、水を飲もうとしたところ、外から風が入ってくる。
新鮮な空気には刺激的な匂いが混ざる。
「前、座ってもいいか」
「ああ、構わんが」
年を重ねた爺。
帽子、サングラス、白髭、
オマケに、お腹がはち切れそうな服。
大ジョッキには茶色い液体が並々と注がれ、髭には白い泡が付いている。
(基地に居てビールを飲むとは、いい身分だ)
「すまんな、狭い基地にこの人数だ。
食堂の食事場が賑わう事は悪くはないんだが、
まさか座る場所すらなくなるとは思わなくてな、はっはは」
臨時食事場は、基地を修理する部外者用の食事場所。
(わざわざこんなところで食うか、普通)
自分も騒ぎを起こしてなければ、こんな場所で食べてはいない。
「アンタは基地の人間じゃないのか」
「今は大鳥の世話をしているジジイだ」
爺はオールド・ヒューマンと名乗った。
昔、似たような名をどこかで聞いたことがある。
(記憶が確かじゃないな。とすれば、偽名のほうが高い、か)
「そのドッグタグはお前さんのか?」
無造作に置かれた2枚のドッグタグ。
いつからだろうか、習慣の様に机に置いて食べるようになった。
「俺がいつも足に巻き付けてるやつだ」
「随分、ボロボロだな」
「ボロボロでも文字は読めるんでな」
25年目の愛用品。
多分、自分の持ち物の中では最も長い愛用品だ。
「無理は、しねぇ方がいいぞ」
「なにを言っている、爺さん」
「いや、オメーさんの鳥がそう言っててな、がっははは」
意味の分からん爺だ。
だが爺のサングラスは嫌に反射する。
(いや、まさか、“気づいている”のか)
今日あったばかりの人間に見抜かれるほど、俺は間抜けではないと信じたい、が。
「生憎、体は元気でな」
「かもしれんなあ、はっははは」
「ビールの飲みすぎで酔ってんのか」
爺のジョッキが止まる。
「ビール? なにを言っている」
泡の付いた髭はニヤリと笑う。
「コイツは、メロンソーダだぞ」
近づけられたジョッキから漂う匂いは“メロンソーダ”。
茶色いビールではなく、ただの緑のジュースだった。
◇◆◇
ヘマをしたのは自分か、と思い語りだす。
「一年前、違和感を覚えるようになった」
「半年後、色の区別があいまいになってきた」
「今じゃ、俺の空はぼやけるようになっちまった」
俺は飲みかけのコップを置く。
コップの中身は僅かに揺れる。
「医者でも手の付けれない難病だと」
「色覚障害か、補正用の眼鏡はどうした」
「そんなもん掛けてみろ、二度と空は飛べなくなる」
色彩を補正する眼鏡は存在する。
だが、空は常に万全の対応が求められる場所。
最初から万全ではない人間を軍は飛ばしてはくれない。
「空の魔力に当たりすぎたな......お前さん」
「原因を知っているのか」
───空の魔力は、凶暴で、人の体には毒ってな。
「それで飛べなくなった奴らを何人も知っている」
爺はジョッキを呷る。
(医師の奴らは後天性のものだとか、遺伝によるものと言っていたが、違うとはな)
「爺さん、俺はどうすればいい」
「どうすりゃいいって、お前さん」
そんなことかとばかりに爺はこちらを見る。
「簡単だ───飛行士を辞めろ」
コップを握る手に力が入る。
「爺さん、それは“冗談”で言ってんだよな」
「馬鹿が、“まじめ”に言っとるぞ、ワシは」
握る手はもう限界だ。
「癇癪を起したところで、事実は変わらんぞ」
コップの中身は揺れる。
「────ッ」
中身がぶち撒けられることはなかった。
自分はコップを持ったまま鎮座する。
「なぜ、空にこだわる」
「戦友たちが死んでいった──」
「嘘をつくな、コップが揺れてるぞ」
爺の言葉に、俺の口は止まる。
コップの水は揺れてはいない。
(クソ、内心を全て見透かされている気分だな)
いや、俺自身を騙すのも限界なのかもしれん。
「それしか“生き方”を知らんから、だ」
一度、喋りだした口は止まらない。
「敵を倒すことだけで生きてきた。
効率よく、効果的に、最大限で、敵を殺す。
そんな俺が、今更、陸に上がって、どう生きればいいん.....だよ」
照明がチカチカと点滅する。
(何を言っているんだ、俺は......)
老いぼれ爺にこんなことを言って、どうにもならないことぐらい、自分が一番わかってるだろ。
「すまない、気がどうかしているみたいだ」
水面は平行だ。
「“それ”でいいのか?」
光に集まる虫たちは、
光に近づきすぎて机に落ち、
ジジジとなく音だけがテントに満ちる。
「“もし”だッ」
爺はジョッキを振り下ろす。
ガンッという音とともに、
机の虫は鳴かなくなる。
「まだ飛べる手段があると言ったらッ」
水面は揺れる。
「───ワシの提案に乗るか?」
俺はコップを静かに置いた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
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