記録④ 得たモノと獲たモノ
そのあと事は詳しくは覚えていない。
気がつけば隠岐基地のベットの上だった。
「お前さんは運が良かった......浜辺に流れ着いていたぞ」
と、言うのはオル爺の談。
足元には壊れた高圧洗浄機が置いてあった。
「オル爺、俺は……どうなったんだ」
「お前さんは空から落ちたんだよ」
「空から?」
「魔力にでも酔ったんだろ」
空の魔力は濃い。
高度が高くなるにつれ空気の密度は低下するが、魔力の濃度は上がっていくのが定説とされている。
そして外部魔力と体内魔力の過敏反応で起こるのが魔力酔いとされている。
「でもオル爺、俺に魔力はねーぞ」
「ならただの鳥酔いだな」
「いや船酔いじゃねーんだから」
「知らんのか? 初心者がよく吐いてるだろ」
思い出すはこの前新人が配属されたとき。
吐瀉物が翼納庫に散っており、キレながら掃除をした思い出がある。
(鳥酔いなんて初めて聞いたぜ......いや鳥)
「まてピィー助はッ」
「お前さんより早く帰ってきたわい。今じゃ臨時翼納庫でぐっすりよ」
「そうか。そうかぁ、よかった」
「鳥よりも自分の心配をするんだな、はっはっは」
そう言うと、オル爺の手が伸びる。
頭に伸びる手におもわず身構える。
「説教か......?」
「まさか、そいつはワシの仕事じゃねェ」
ガサツな感触。
年季の入った硬い手だ。
硬い手はゆっくりと白髪を撫でる。
「本当に──生きててよかった」
オル爺の掛けるサングラスの奥がきらりと光る。
「お前さんが飛んだってときは、心臓が冷えた」
「飛んで帰ってこなかった若者はごまんと見てきた」
「だが、そいつは覚悟をして飛んで行ったものたちだ」
「空で子供を見送った経験はねぇ」
「すまん.....説教臭くなっちまった」
「ワシも、気づかぬうちに年を取ったなぁ」
「お前さんを褒める言葉すら口から言えねぇとはな」
オル爺は申し訳なさそうに帽子を深くかぶる。
自慢の白い髭も今日ばかりは深く沈んでいる。
俺の手は震える。
(今更自分がやらかしたことの怖さがよぎるか)
初めての空も、
綺麗に見えた夕日も、
手に掴んだ確かな達成感も、
全部、死と表裏一体の上にあった。
(だが、しみったれた空気は好きじゃない)
俺は無理やりにでもニカっと笑う。
「このぐらいよゆーだぜ、オル爺」
「....言うようになったな、レコ助」
「当然だ──俺は空を飛んできたからな」
怖かった、
恐ろしかった。
けど、俺は生きている。
(今回はそれでヨシって事でだ)
俺の笑顔につられて、オル爺の白い髭は上に動く。
「ワシなら全機落として自慢話にしとったな、はっはっはッ」
「今度は翼納庫で自慢話を死ぬほど語ってやるよ」
「寝言は、寝てから言った方がいいぞ、レコ助」
「うるうせェ、クソ爺が」
病室にゆかいな笑い声が響く。
この後、看護師が“うるさい”と怒鳴り込んでくるまで、俺たちは騒ぎ合うのであった。
◇◆◇
さて、怒られたその後。
俺とオル爺は静かに話す。
「レコ助、なんか要るモンはあるか?」
「この程度、すぐに退院できるだろ」
「それでも意外と退屈なもんだぞ」
要るモンねェ。
そんな急に言われても────
(天地逆さの夕焼け)
思い出すほど衝撃的であり、
思い出した故に鮮明さが欠けていた。
「忘れたくはねェか」
「んっ? どうした?」
必要な物は決まった。
「オル爺、カメラ持ってないか」
「レコ助、んなモン急に言われてもあるわけ───」
急な沈黙の後、
「......いや、残っとるな」
オル爺は自室へ急いで取りに走るのであった。
◇
渡されたカメラは埃を被っていた。
古い旧式で、フィルムは2回の巻き取り式。上部に書かれた会社は国内ではない。
「よく見たら、ソブエト製のカメラじゃん」
ソブエト連邦、
隠岐基地から西にある大陸の覇権を握っている国。世界最大の国土面積を持ち、軍事力はアメリア合州国と並ぶ大国の一つである。
「珍しい、アメリア製品しか買わないのに」
「逆じゃ、ソブエト製だから手元に残ってたんじゃぞ」
オル爺曰く、本来ならゴミ箱に叩き込む所なのだが、
知人から貰ったカメラなので捨てる訳にもいかず、手元に残っていたらしい。
「フィルムは自分で買え」
「あいよ」
ドタドタドタ
「てかフィルムとかどこで買えんの」
「そりゃ購買じゃろ」
ドタドタドタ
「てかさっきから足音が煩いな」
「確かにウチの基地にはしてはだいぶ慌ただしい」
室内の時計は12:05分。
何時もなら猫のあくびが聞こえてくる時刻だ。
「奴らもババアから逃げてんのか、はっはは」
「オル爺、清掃のおばちゃんをババア呼びって」
俺がババアといった日は、清掃場所が3倍になったぞ。
「毎度タバコ吸ってると文句言う清掃員には十分だ」
「分かる、俺が消臭剤買い間違えただけでキレるんだぜ」
お互いにババアの愚痴で盛り上がる。
自分は雑な癖に、妙に俺達を細かく指摘してくるからな。
(物理的に鼻が利きすぎなババアだか────)
「アンタら呑気だね」
「「げっ、ババア」」
「二人そろって説教でもして欲しいのかい?」
モップ片手に佇むおばちゃん。
そういえば、暑いとかの理由で病室のドアは空きっぱなしである。
「ちなみに何の騒ぎだ、ババア」
「葉巻の件上に告るよ、ジジイ」
げっという顔をする、オル爺。
はぁ、とため息をつく清掃のおばちゃん。
いつもなら説教なのだが、今日はいつもにもなく神妙な顔である。
「ラジオを付けてみな」
病室に置かれた小型のラジオ。
電源を入れ、
つまみを回し、周波数はで1350kHz。
ノイズともに流れてくるのはアナウンサーの声。
(この時間帯は昼の落語のハズだが───)
『緊急ニュースです』
『国民の皆さん、落ち着いて聞いてください』
『本日未明───ソブエト連邦がアメリア合州国に宣戦布告を行いました』
その一言は俺たちの動きを止めるには十分だった。
俺たちの国の名は、アメリア合州国、ニホン州。
「なあソブエト連邦っていや、オル爺」
「ここの丁度真横だ、レコ助」
おばちゃんはゆっくりと呟く。
「ここが最前線の戦場になるよ」
大国同士の戦争。
歴史書に幾度も刻まれようとも当事者になった事はあらず、
これが後に【ソブエト事変】と呼ばれる戦いである。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
誤字脱字報告があると作者が喜びます。