記録③ 飛び方と落ち方
強固な支柱だったものは崩れ落ち、いまや瓦礫の一部となっている。
倉庫と呼ぶには、雨を凌ぐ天井も、風を防ぐ壁もなく、荷物の一つも無事ではない。
「まともな武器すらないか」
背負うは貯水タンク。手に持つは高圧洗浄機。
タンクの水量は満水に近いとはいえ、高圧洗浄機はブシュブシュと水を吹き出すだけである。
「それ以前の問題か」
滑走路を使うには穴が空きすぎていた。
高度50フィートに到達するためには、滑走路長が足らない。
滑走が出来ないとなれば、俺達は空を眺める事しかできない。
「さてどうする、ピィー助?」
疑問に答えるかのように、
ピィー助の鳴き声がすれば、
周囲は緑色の光りで満たされる。
魔法────と思った時には、
俺は宙に放り出される。
意識できたのはそこまで、
顔がピィー助の羽毛にへばりつき、
外から見れば、少女は鳥に抱きつくという形になる。
「(何が起こった)」
ぶはっと埋めた羽毛から顔を起こし、息を吸う。
呼吸は少し苦く、
体の横には雲が流れる。
下には点のような隠岐基地が。
「これが“空の上”か」
正面に飛ぶは爆撃虫。
感動なんてものは無く、
呆気なさがそこにはある。
初めての空はなんともいえないモノだった。
◇◆◇
ビィンと弾く。
ビュウビュウと音が吹く。
ドンッと音が鳴る。
ビュウビュウと音が吹く。
ダンダカラン、ダンダカランと脳に物質が流れる。
心臓の鼓動はMAX。
緑の光りを纏う大鷲も、
鳥の背に掴まる少女も、
必死だ。
「当たらんッ」
握る力がこもる。
洗浄機の水量は一刻と減る。
「敵は反撃すらしてこないんだぞッ」
【偏差】というモノが空には存在する。
秒速100mを超える世界では見える的に撃っても弾は当たらない。
敵機の“未来の位置”を予測して撃つ。それが敵に弾を当てる絶対条件である。
だが少女の俺には分からない。
「ああ、クソッたれ」
水量は残り3。
もう外す事は出来ない。
故にピィー助にお願いをする。
常識的ではない。
だが、敵を落とす為、
俺は絶対距離を要求する。
「(零距離に──俺をッ)」
嘴は二度鳴り、
風景は動く。
(クッソ、追い付けねェッ)
速度はこちらの方が上なハズ。
だが“爆撃虫”には追いつかない。
「これじゃあ、いつまでたってもッ」
焦る。
脳内が真っ白になる。
思考を9割放棄したとき、浮かぶは、
何故か──オル爺の言葉。
「(いいかレコ助、“鳥と視線を合わせろ”だ)」
「鳥と、視線を、合わせる」
その言葉はすんなりと体に滲み。
俺は屈む。視線をピィー助と同じに。
俺が敵を追うのではなく、ピィー助が追う事を信じて。
手には少々の焦り、
握る間もなく風が抜け、
かいた汗は後ろにぶっ飛ぶ。
耳を鋭い鳴き声が貫く。
目前、爆撃虫。
「よくや───いや行き過ぎだッ、馬鹿鳥ィッ」
否、後方に爆撃虫。
すでに距離は1mほど空いている。
焦る俺。
楽しそうに鳴くピィー助。
そして、天地はひっくり返る。
俺の体には大きなGがかかり、体内の血流は下半身に集まり始める。脳への血流が少なくなり、思考は────簡単に単純になっていく。
上には俺たちの島。
下には眺めてた空。
「あぁ──」
中に差すは夕日。
「──綺麗だ」
翼が雲を描きはじめ、
足に溜まっていた血流が、
脳にゆっくりと流れ始める。
(何考えてんだッ、馬鹿か俺はッ)
爆撃虫の位置は真下。
銃口は重力に沿って下を向き、
トリガーはゆっくりと指に引かれ、
パシュッと音を立てて水は放出される。
「命中ッ」
噴射した水流は、
爆撃虫の顔にあたり、
虫は重力に負けていく。
(まぐれに近いが知った事じゃねェ)
はぁはぁという浅い呼吸の中に、
ドカンという水中での爆発音が混ざる。
ようやく脳から足に血がまわる。
「俺、やったんだ」
実感はあまりない。
飛んでいる虫を叩き落とした、
達成感としてはその程度ではある。
程度ではあるが、俺の脳をハイにするには十分な実績だった。
「やれるそ、俺はやれるぞッ、ピィー助ッ」
返事はない。
嘴の音も聞こえず、
やけに風の音だけが耳に残る。
「ピィー助......?」
翼の温かさは既に失われている。
先程まで楽だった呼吸は苦しく、
まるで水中にいるような感覚である。
「(急に、空から追い出された見てェだ)」
最後に思ったことは切なく、俺の視界はゆっくりと閉じていくのであった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
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