記録② 鳥と少女と虫
翼納庫の中は広い。
天井はアーチ状の鉄骨が支え、外壁はめっき銅板によって囲われている。
正面入り口のシャッターは綺麗だが、裏口のドアは錆と汚れが甚大だ。
諸外国に対する牽制という名目で作られた隠岐基地だが、長年の平和はおもったよりも残酷だったらしい。
「肝心のおばちゃんはいねェし、俺一人でやれってか?」
仕方なく翼納庫の掃除の準備に取り掛かる。
まず電動シャッターを開ける。
次に自分の飲み物は蓋をする。
(天井のホコリから落としていきますかね)
「いや、正直掃除が終わる気がしねェんだが」
天井の面積は100m×100m。
背負っている高圧洗浄機では心もとなく、
魔法が使えるおばちゃんがいてくれたならと思ってしまう。
「おいおい、暑いじゃねーか」
「おば───」
否、おばちゃんの声ではない。
この声は、太っちょな爺。
「悪かったな、オル爺」
オル爺こと、本名はオールド=ヒューマン。
太っちょな腹を、
アロハな服と共に膨らませ、
帽子とグラサンが似合うジジイだ。
「まーた、隠れてタバコ吸ってんのかよ」
「タバコじゃねェ、葉巻だ。間違えるなよ、レコ助」
オル爺は葉巻を揺らして、俺を叱責する。
「本土アメリア産の葉巻が手に入ってな」
「まーた、高いもんを買っちゃって」
「久しぶりに見つけたんだ、奮発だはっは」
───アメリア合州国
俺達が住んでる土地および60州から構成される国。
この世界の日本という国は、俺が生まれた時には既に、歴史からは消えていた。
「怖いおばちゃんに怒られるぞ」
「清掃員に葉巻の匂いが分かるかよ、レコ助」
オル爺の目線は上を向く。
「匂いが分かるのはコイツぐらいだよ」
「ピュールルル」
目線の先には、巨大な大鷲。
全長は3mほどあるだろうか。
黄色のくちばしがチャームな大鷲。
羽は所々萎れており老鷲なことがうかがえる。
「ピュー助に匂いとか分かんのか?」
「馬鹿が、仮にも魔法生物。オメーより鼻はいいぞ」
魔法生物。
魔力によって巨大化、魔法が使える生物のことをさす言葉。
巨大以外にも五感が鋭くなるなどの影響がみられるらしい。
現在、地球生態系の3割は魔法生物と一般的には言われている。
(だがそれはラジオで聞いたこと、本当かどうかも疑わしい)
「どうなんだピュー助?」
疑問を向ける俺に対して、
大鷲のピュー助の回答は物理的なモノであった。
「おい、馬鹿離せッ」
「ピューウウ?」
くちばしに背負っている水タンクごと持ち上げられる。
地面から1mは足が浮き、
両脚はジタバタと空をきり、
本能的な恐怖が呼び起こされる。
「馬鹿話してないでさっさと水浴びさせろだと、よ」
「ほ、本当に言ってんのかッ、そんなセリフをッ」
「一人前の大鳥乗りになれば分かるアハッハ」
オル爺は愉快に笑って背を向ける。
と思えば去り際に一言。
「いいかレコ助、鳥と視線を合わせろだ、よーく覚えとけよぉ」
そうして翼倉庫に残されたのは、1人と1匹。
「そこは助けてくれよ、馬鹿爺」
「ピュッ?」
ピュー助を見る。
老大鷲の顔を見る。
トパーズのような瞳を見る。
(太陽のような明るいな)
その瞳に敵意はない。
あるのは俺を心配する色だけだ。
「お前も悪気があったわけじゃねェよなぁ」
気づけば、
体の震えは止まり、
俺の足の宙を掴んでいた。
「そうだな。まずはお前の水浴びからだな」
この後ピュー助がはしゃぎすぎて、肝心の掃除が終わらなかったのは別のお話だ。
◇◆◇
「全く余計な仕事を増やしやがってよォ」
「ピュ、ピュッ!」
ピュー助の柵の中で俺はキレ散らかす。
水浴びをしたとうの本人は満足そうだ。
「つったく、また藁を散らかしやがって」
簡易的な柵の中には、大鳥の敷料として藁やおが屑が置かれている。
大鳥にとって翼は『第二の心臓』である。
大きくなりすぎた巨体を飛ばすために風魔法を使用する大鳥。
常時、風魔法を使うために大鳥は羽に魔力を蓄える。
寝る時に羽を保護する
「なんだ、ピュー助そいつが気になるのか?」
「ピュー」
「そいつはお守りだよ」
翼納庫の一部に置かれた神棚。
内部に飾られているのは『竜の鱗』。
竜は強力な魔力をもった生物とされ、古来より竜が持つ鱗は災厄をはねのける力があると信じられている。
「いや───実際の竜ほどおっかないもんはないがな、ははっは」
呑気な笑い声が翼納庫内に響く。
「オル爺、竜と会ったことあんのか」
「ああ、殺されかけた」
オル爺は思い出すように語る。
「いいか竜は温厚な生物と言われているだけだ」
古来の歴史書を紐解けばわかるが、竜は人間の争いにも知恵を貸すことはあっても参戦することはない。
それは竜が戦争をすることを禁じているのではなく、竜と人間では戦争にならないことを知っているからだ。
「一度でも逆鱗に触れてみろ、焼き切られるまで追われるぞ」
声に偽りはなく、
オル爺のすがたは、
迫真に迫ったものだった。
(ど、どうせ俺をビビらすためのいつもの冗談だろ......)
「そ、そんな嘘で俺が怖がると思うなよッ」
「嘘? ワシがそんなことを言うとでも?」
オル爺の真剣な視線に、
俺はごくりと唾をのむ。
「こいつは歴っとした───噂話だ」
「へッっ?」
この爺だましやがったなッ。
「空乗り達じゃ有名な話だ」
「クッソタレ、ビビッて損したじゃねーかッ」
「この程度でビビったのか、レコ助あっはははッ」
「うるせ────ヘっ?」
地面が揺れる。
「なんだよ、危うく転ぶところだったぜ」
「外を見てみろ」
翼納庫の外を見る。
空に映るは3.....いや4匹の巨大生物。
「あれは?」
「爆撃虫だ」
巨大なテントウムシが飛ぶ。
足には大きめの爆弾が2つほど。
「500ポンド爆弾......どこの馬鹿だ」
オル爺の顔はいつもにもなく真剣だ。
「レコ助ッ、お前はここに居ろ」
「でもッ」
「下手に外に出んなよ、焼き鳥になるぞッ」
反論も聞かず、オル爺は急いで翼倉庫から出ていく。
「出んなって、こんな状況で───ッ」
地面が再度揺れ、
翼納庫の支柱は砕ける。
つまり“天井”が落ちてくる。
瓦礫が落ちてくる様子は、やけにゆっくりと見えた。
「あっ────「ピィイイイ!!」」
それは奇跡ではない。
古代の法則。
現代に伝わりし竜の知恵。
人が、鳥が、生きる為に学んだ知恵。
極染色が放たれ、魔法が発動する。
瓦礫は“避けるように”に落下した。
「俺を守ってくれたのか、ピィー助」
「ピィッピッ♪」
「にしても翼納庫はひでぇ有様だ」
散らばるは瓦礫、
曲がった鉄骨、凹んだ銅板、燃えている敷料。
神棚は崩れ、竜の鱗は地面にコロがっていた。
「どこがお守りなんだか」
皮肉なことに手に取った鱗には傷一つない。
「まだぶんぶん飛んでんな」
見上げやすくなった空に、爆撃虫はいまだに健在。
そして投下用の爆弾も残っている。
「久しぶりに眺める空は悲惨だな」
ピィー助はくちばしで俺を持ち上げる。
「水浴びは無理だぞ」
「ピッピィッ」
ピィー助の眼は俺を見ている。
「はぁ───背中に乗れってか」
「ピィッ!!」
アメリア軍では、正規隊員以外の大鳥での飛行は禁止されている。
それにピィー助は、大鳥の中でも老鳥の部類に入る。
隠岐基地で生活しているのは、訓練生用が操縦訓練をするため。
決して────敵を落とす為ではない。
「ピッピィ?」
「あー、分かった乗ればいいんだろ、乗れば」
早くしろと言わんばかりの催促な鳴き声。
俺は降参とばかりに両手を上げる。
「怒られる時はお前も一緒だからなッ」
「ピィッ!!」
その鳴き声は、YesかNoのどちらなのだろうか。
少女はフカフカの毛を感じ、大鷲の首に掴まる。
未だに大鳥の気持ちも理解できぬ、少女。
もはや飛ぶ事が記憶である老年の、大鷹。
一人と一匹は、一体となり同じ空を見上げる。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
誤字脱字報告があると作者が喜びます。