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体育祭が中止になって三日後。龍一は、さくら荘で療養していた。集団暴行の後、救出された龍一は救急車に乗せられ、そのまま手当を受けて自室に戻ったのだった。
全身は打撲で痣だらけ。右足を骨折する事態にまでなっていた。しばらく松葉杖が必要となる。
いつのまにか、まどろんでいた龍一が、自室のベッドで目覚める。霞んだ視界に、三つ編みを結ぶ青いリボンが映った。
「あ、龍一くん? 起きたのね」
「雪、か……おはよう」
「おはよう。もう夕方よ。待っててね、食事の準備をするから」
雪が部屋の中を、所狭しと動き、龍一の看病と身の回りの世話をしている。最初は、蛍も一緒になって学校を休んででも看病をすると言ってきたが、それは固辞した。同棲の発覚以前に、教育的に無闇に休むものではないという考えからである。
学校が終わってから頼むということで妥協点とし、蛍は日が暮れる前に帰らせ、その後は雪がずっと龍一に付き添うという形になった。その姿に、自分のために時間を使わせてしまっていることを、心苦しく思ってしまう。
あれから、いろいろと情報を得ることができ、おおまかな全体像が見えてきた。
棒倒しの最中の集団暴行に、最初は周囲も戸惑って誰も動けなかった。次第に集団に向けての悲鳴や怒号が飛び、まず栞が乱入。それを皮切りに、栞の友人や野々原といった上級生の知人が、暴行者を力づくで抑えつけた。
その後の調査の結果、加害者のタイプは次のようなものだった。
稗田の支持者で、龍一に敵意を向ける感情を察して、自主的に暴行した者。
体育祭中に人気を博したことをやっかんだ者。
女子と親しく話す龍一を僻み、歪んだ鬱憤をぶつけてきた者。
塚原に「あいつを痛めつけてくれたら何でもしてあげる」という言葉を真に受けて扇動された者(濱崎からの情報提供)
それぞれの小人が発する卑しさから始まり、それが一つの集団となったことで悪意の相乗効果が生まれ、最終的に物理的な暴力となって表に出たのだった。
「そんなつもりじゃなかった。いつのまにか、あんな風になってただけなんだ」
などと加害者は口にし、それが余計に自分たちの立場を悪くさせる。
棒倒しだけでなく、その後の体育祭も中止となる。当初は継続の方針に傾いていたが、会場は健全とは言えない異様な雰囲気に包まれ、動画を撮影している人も多数いたので、このような事態のまま続けるのは批判の的となるだけだった。
その結果、三年生は最後の思い出を台無しにされ、加害者の態度も非常に腹立たしかったため、恨みを募らせる。
また、加害者の大半が二年五組の生徒だったため、無関係なクラスメイトも非難されることとなり、教室内は殺伐としていた。中には故意に欠席する者も出ていた。
特に塚原は、不埒な手法を使ってまで人を陥れる所業が広まり、その悪辣さが元で自身が凌辱されそうになって、やがて不登校となるのだが、その事情を龍一が知ることはなかった。
いろいろとやることがあるが、今は回復に専念するしかなく、龍一はベッドで安静することにしていた。
「あれ、蛍は?」
「さっき帰ったわよ。まだ、残っていたかったみたいだけど、暗くなってきたからね」
「そうか……なぁ、雪。二人には、こんなことさせて……」
「そんなこと言わないで。わたしが……わたしたちが、そうしたいだけなんだから」
動けない龍一のために、雪が食事などの内側から、蛍が買い出しなどの外側から動いてくれている。
身の安全を確保するため、基本的に面会謝絶として、お見舞いも断っている。龍一と同じクラスの代表として蛍が、問題のあった二年五組の代表として雪が特別に派遣される――学校側には、そういう口実をもって龍一に会うことにしているので、今の期間なら、さくら荘に出入りしても勘繰られることはなかった。
ゆえに、活動の幅が広がり、蛍も雪も積極的に介助をしてくれている。食事を始め、着替えを手伝ってもらったり、体を拭いてもらったり、トイレに行くために肩を貸してもらったりと。
そんな負担を二人に掛けてしまって心苦しく思うとともに、このうえなく献身的に尽くしてくれることに、龍一は安らぎを覚えていた。
大切にしてくれる気持ちに応えたい。それは龍一の無垢な本心だった。
療養四日目。所用を済ませた後、龍一は松葉杖での歩行訓練をしていた。手足を多少動かせるようになってきたので、力を入れて使ってみる。脇に体重が掛かってしまい、痛くて動かなくなってしまう。きちんとした体勢で扱えるようになるまで、練習を繰り返すしかない。
やがて疲労から眠りにつき、再び目を開けた時は、夕方になっていた。
「あ、龍一くん。おはよう」
「雪、か? 帰ってきてたんだね」
遠目に青いリボンを見かけ、返事をする。学校が終わったようで、いつものように、部屋の掃除や食事の準備を始めていた。しかし、その動きは、どこかたどたどしい。連日の介助で、目に見えない疲労が溜まっているのではないだろうか。
「雪、今日くらいは何もしないで、ゆっくりしないか? 僕も、だいぶ動けるようになったからさ」
「あたしなら大丈夫よ。それよりも、龍一くんには一日でも早く良くなってほしいんだから、治すことに集中してね」
「…………」
現状からの何気ない会話。そこには、いつもと同じ風景でありながら、明確に違うものがあった。龍一は今回、それを指摘する。
「うん、ありがとう……蛍」
一瞬、返事をしそうになって止まり、二瞬目で事態を把握する。
雪の振りをしていた蛍は、取り繕おうと龍一へ振り向く。
「な、何を言っているの? そんな間違いをするなんて、龍一くんらしくないわよ」
「学校で話した百合奈さんの件……僕は信じているよ」
蛍は動揺した。あの時も入れ替わりに気づかれていたのだと。
それがわかっていて龍一は、百合奈のことを話したのだ。どうしても聞きたがる蛍に、雪に話すのだという形式をとって。そのことを誰にも言わないことを信じて。
雪なら、学校での百合奈の話と言われても、呆然とするだけである。動揺を見せたことが決定的な証拠となり、蛍は観念する。
「……どうして、わかったの?」
せめて理由だけでも知りたいと思い、蛍は解答を求めた。
龍一としては、双子を見分ける手の内を明かすのは気が進まなかったが、項垂れる蛍を見ていられず、明かすことにした。
「一人称だよ。雪は自分のことを『わたし』と言って、蛍は『あたし』と言う。口調や性質は雪に寄せていたようだけど、この点だけは、ずっと変わらないままだったんだよね」
蛍は愕然とする。そんな初歩的な違いがあったことに衝撃を受けた。
「さらに言えば、リボンが違う。いつものは、細くて白い縁取りがあるんだよ。今、蛍が身に着けているものには無い」
もはや言葉もなかった。そこまで気づかれては、何も対処できない。いつものリボンは、テディベアのものだった。龍一が広島に行ってしまって、まもなくのこと。雪が、テディベアの青いリボンを三つ編みの先に着けた。それに倣って蛍も、テディベアの赤いリボンを着けたのが始まりである。今、思えば、雪の真似でしか感情表現をできなかったと後悔する。
「本物の雪は、どうしたんだ?」
龍一に他意はないのだろうが、その言い方に、蛍の心は抉られる。
「雪は今日、大事な用があってね。どうしても外せないものだったから……」
「……まぁ、事情があるのなら優先するべきだね。でも、だからって、なんで蛍が雪の振りをする必要があるんだ? 普通に接してくれれば良かったのに」
「龍一は……雪と一緒にいる方が……嬉しいんでしょ?」
背を向けて震え声を発する蛍。全身も小刻みに震わせるその仕草には、どれだけの感情を宿しているのだろうか。
月下氷人の経緯から龍一は、このような話を聞いたことがある。
人は、誰かを好きになると、その人に近寄りたいと思うようになる。でも、それが叶わない時がある。だから、その人の近くにいる誰かと仲良くなれば、好きな人との距離が縮まるかもしれないと考えるようになるのだと。
蛍を、この状況に当てるのは強引だが、好きな人に近づくために雪を演じたと考えるなら――そのように龍一は考えたところで、止める。利己的だが、より親しい人の感情の計算など、したくなかった。
振り返った蛍が、龍一の目の前まで迫る。
「嘘を吐いたのは謝る。抜け駆けって思われてもいい。あたし、やっぱり龍一のことが――」
目前にいる蛍を、龍一は抱きしめた。両腕が少し痛む。
数秒の沈黙。龍一の出した答えは、
「ごめん、蛍」
蛍は泣きそうになったが、すぐにその意味は変わった。
「今の僕は、どちらかを選ぶなんて、できない。情けないけど、これが本音だ。でも答えは出す。遠くない内に必ず」
龍一から色好い返事が聞けたわけではないが、蛍は安心した。拒絶されたのではない。それに『どちらか』と言っているのだから、相手が雪であることは確か。恋愛対象として同格だとわかったのである。龍一が自分たちに、きちんと向き合ってくれて、嬉しかった。
抱擁を解く龍一。蛍は名残惜しかったが、この瞬間は確かに、しあわせに包まれていた。
おもむろに龍一が説く。
「ひとつ訂正しておく。蛍は嘘を吐いたわけじゃない。蛍は偽っただけだ。だから謝る必要なんかないよ」
「え? どういうこと? よくわからないんだけど」
「嘘っていうのは、口から出る虚なもの。つまり、でまかせだ。無いものを有るように見せて、たぶらかすんだから、悪意でしかない。偽りっていうのは、人の為になることを意味する。蛍は僕のためと思って、雪の振りをしていた。だからあれは、人のことを思っての偽りだったんだよ」
かつてトマリギのマスターに、龍一は指摘された。雪を助けると称して性欲を満たす目的で、蛍に嘘を吐いたのだと。
あの時、そのままの逸話を披露していたら、蛍は必ず拒んでいただろう。だから龍一は、蛍のためにも偽ったのだ。それが必要だと判断して。
「何よ、それ。漢字を使った言葉遊びじゃないの」
「僕の流儀の話だよ。嘘と偽りは明確に違う……誰かに同意を求める気もないから、聞き流してくれて構わないよ」
そこで蛍は、フォローされたのだと思い、慌てて感謝を述べた。龍一としては、自分の感性を少し語っただけなので、特に気にすることもなかったのである。
たいした時間は経っていないが、濃密なやり取りで疲れたので、龍一は再び横になろうとした。その時、蛍の携帯端末が鳴り響く。通話に出た蛍は、雪の名前を口にしていたので、相手は雪のようだった。短い通話が終わり、蛍は再び龍一に向き直り、そして告げた。
「雪が自宅に帰る決心をしたわ」
(次回完結)
最終回の更新は1/14のお昼ごろ予定です。




