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結局、体育祭の最中に受験の話をするのは場違いと判断し、蛍は追及を止めた。
緑林館高校は地元でも有名な進学校なので、蛍も良く知っている。もし受験するのなら、相当がんばらないといけないと考え、蛍は憂鬱になった。
(べ、別にまだ受験するって決めたわけじゃないし……)
自分の思考を省みて言い訳をする。まだ先の問題ではあるが、進路について、一つの目的はできた。
競技は、八〇〇メートル走が始まろうとしており、雪が出場する。クラスが違うので、龍一も目立って応援するのは自重しているが、雪の姿を確実に目で追っていた。
スタートとともに、雪は最下位から始まる。厳しい状況だったが、八〇〇メートル走はペース配分が重要である。最初からスピードを出していた選手が持久力を使い切って減速したり、トラックのカーブで位置取りを競った選手同士が接触して転倒したりと、様々なアクシデントが発生した。最後まで自分のペースを維持した雪は、二位でゴールしたのである。
「さすがだな、雪は。緩急を付けた安定の走りだったね」
「そうね、よくやったわ」
龍一と蛍が、掛け値なく賞賛する。
陣営に戻った雪は、稗田に声を掛けられていた。彼からも賞賛を受けているのだろう。そして、濱崎も雪に声を掛けてきて、何やら楽しそうに話している姿が見える。そんな光景を龍一たちは、微笑ましく見られるまでになっていた。
次に龍一が出場する借り物競走には、ジョーカーが含まれていた。
借り物の内容には、毎年必ず「好きな人」があり、去年、このカードを引き当てた生徒は、題目をクリアすることができず、失格となってしまった。借り物を持ってこなければ負けとなってクラスから批判を受け、持ってくれば羞恥の的になる。このように逃げ道のない状況を強いるカードとなることから、いつしかジョーカーと呼ばれていた。
そして去年の生徒は、これがきっかけで想い人との関係がこじれてしまい、最終的には破綻。クラス内も気まずい空気が長く続いたという。そのような事情もあって、借り物競走での出来事は、表立った話題には上らないのだが、体育祭実行委員やゴシップ好きな生徒を経て、一部にのみ流布していた。
幸か不幸か、蛍と雪がその手の話に触れる機会は得られずにいたが、稗田はクラス委員長という立場から、その手の話を耳にする機会があり、トマリギで龍一が借り物競走に出場すると聞いた時は、憐れみを感じたものだった。
知る人には愉悦を増幅させる人もいる中、借り物競走が始まった。龍一はカードの前に着くまで最下位だったが、この競技に足の速さは関係なく、余り物に福がある場合もある。最後に残ったカードを手に取った龍一は、表情を驚愕させ、しばらくその場で固まった。福とは想像しがたい反応に、
(ジョーカーを引いたな)
と、事情を知る人は同時に思った。稗田もその中の一人であり、気の毒に思いつつも、龍一がどう動くのか、誰に向かっていくのか、個人的にも注目していた。
全く動かない龍一に怒号が飛び始める。このまま失格するものと思われた時、ようやく龍一は走り始めた。そして二年五組の陣営の前まで来て、
「雪、一緒に来てくれ!」
と、明確に指名して右手を差し出す。その光景に、悲鳴や喚声が所々から上がり、混沌とした状態になった。
これには雪も、龍一とクラスメイトを交互に見返し、どうしたら良いのか、わからなくなってしまった。
「雪さん、行ったら? 競技の上なんだし、敵味方もないでしょ。誰も裏切ったなんて思わないよ」
濱崎が、配慮を前面に押し出す形で、雪を促す。真っ当な意見であり、クラスに遠慮した雪がためらっていたと思うのが自然だろう。だが納得できない者もいた。
雪が前に進み、龍一の右手を取って行こうとした時、龍一の左腕をつかんだのは稗田だった。
「……借り物は何なの?」
低い声で睨む稗田は、これまで誰も見たことのない凄みがあり、周囲は一瞬で静かになった。
「妨害? 稗田くんは勝つために、ここまでやるの?」
龍一も、目を逸らすことなく対峙する。時間もないが、稗田の手を無理に振りほどくことはしない。彼の健全さに賭けていた。
稗田の後ろからは、その行動を支持する声と翻意を促す声が入り混じっていた。追従者と良識者が分かる構図である。結局、稗田は腕を離して踵を返した。
このままゴールに向かうと思われた龍一だったが、向かったのは二年六組の陣営だったので、雪は戸惑った。
「ど、どうしたの?」
「もう一つ必要なものがあるんだ」
そう言うと龍一は、雪と同様に戸惑うクラスメイトの中を突き進み、ダルマのオブジェの前に立った。
「雪は、そっち側を持って。せーの……」
そして、ダルマを左右から抱えて持ち上げる。なんと、このダルマを持っていこうというのだ。
「ちょ、ちょっと、龍一?」
「説明は後。行くよ、雪!」
蛍を一言で制し、龍一は雪と掛け声を合わせて走り始める。ダルマはハリボテなので軽かったが、かなり大きいので目立った。
他の選手は手間取っているためか、まだ誰も戻って来ず、龍一たちは一位でゴールを果たしたのだった。
だが、題目が合わなければ、やり直しとなる。龍一は実行委員にカードを渡して説明し、やがて合格の判断が下って、一位の旗を持たされた。
「……ねぇ、結局、借り物は何だったの?」
戻ってきた龍一に雪が、当然の疑問を投げかける。
「ゆきだるま」
それが龍一の答えだった。雪は一瞬の間を置いて理解する。
沢渡「雪」とダルマの組み合わせ。
滑稽さに、二人は失笑を重ねた。
龍一としても、奇をてらったつもりはなく、知恵と機転を利かせて作り上げた産物だった。そもそも、この時期に雪だるまを指定する方が非常識である。その点も含めて、実行委員に借り物の正当性を主張し、認めさせたのだった。
ちなみに、借り物の「好きな人」は今年度から廃止されていた。多感な年頃を慮ろうということから、ようやく除外されたのであるが、そのことは一部の関係者以外、誰も知らない。
競技が終わり、龍一とダルマを返してきた雪は、自陣に戻って内容を説明した。反応は歪んだものだった。
「何それ、バカじゃないの?」
「くっだらねぇな」
「雪だるまのマスコットもあるんだから、普通に探せよ」
爆笑している二年六組とは対照的に、二年五組は殺伐としている。競技に負けたことよりも、人気を博す姿が気に入らないように見えた。
稗田がたしなめて場は収まったが、うまくない空気は確かに発生している。稗田自身、それを発生させている自覚があり、自らを律するのに必死になった。
(続)




