表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/29

23

(このまま、何もするなってことなの? でも、そんなのって……)

 栞に諭されはしたが、蛍はまだ一歩踏みとどまっていた。確かに不躾な干渉は良くない。しかし今回は、身内の、双子の雪に関わることなのだ。せめて真相を知っておきたい。

 放課後の教室で溜め息を吐く蛍。いつのまにか龍一もいなくなっている。このまま呆然としていても、しょうがないと思い、帰り支度を始める。明後日は体育祭だというのに、様々な負の事柄に占められ、その存在は思考の彼方となっていた。

 ふと窓から外を見下ろすと、昼休みに栞といたフェンスの前に、龍一がいた。一人である。動くことなく、どこか一点を見据えている姿が妙に気を引いた。それに、少し前まで自分たちがいた場所に留まっているというのも、縁があるように思えた。

 それらが合致した結果、蛍は一つの行動を起こすため、トイレに駆け込んだ。


 その後ろ姿から声を掛けられた龍一は、不思議に思った。

「雪? 先に帰ったんじゃなかったのか?」

「……忘れ物をしちゃってね。そうしたら龍一、くんが見えたから」

 いまだフェンスの前にいる龍一から、少し間を置いた距離にいたのは、雪の振りをした蛍だった。

 トイレで三つ編みを左に変え、常に携行している青いリボンを結んで、雪の格好をする。蛍で聞き出すのが無理なら、雪で真相を引き出してみようという考えだった。昨日、森野と井川を相手に通用したこともあって、再び試みたが、龍一相手に正面から挑むには胆力が心許なかったので、背を向けて対峙した。蛍としては、雪の内向的な仕草が表現できて良しと思っている。

「龍一、くんはここで何をしているの?」

「……実は、昼休みに蛍と栞先輩が、ここで一緒にいるのが見えてね。いや、特に意味はないんだけど、なんとなく気になって来ちゃったんだ」

 勘が鋭いのか、単なる気まぐれなのか。あいかわらず龍一の行動は読めない。蛍のやましい部分を探りにきたのではないかと疑ってしまう。

「蛍が? 何を話していたのかしら……」

「話していた、か。内容はわからないけど……蛍って、栞先輩を怒らせるようなことでもしたのかな」

 それは独り言に近かったが、真実でもあったので、蛍は絶句した。

 どこかで二人のことを遠くから見ていた龍一が、表情から判断したことかもしれない。それが龍一をこの場所に留まらせた要因なのだろうか。

 深みに落ちていかれる前に、蛍は意を決して、一歩踏み込んだ。

「あ、あの……龍一、くん? 昨日のことなんだけど……」

「昨日? あぁ、やっぱり怒ってるか。雪の気持ちも考えないで酷い目に遭わせちゃったからね」

 怒りが沸点を突破する。だがここで「何をしたの!」と昨日のように怒鳴ってしまえば、全てが台無しになる。蛍は深呼吸をして、雪の振りを続けた。

「それなんだけど……昨日は、いろいろあって、実はあまり覚えていないの。いや、記憶が曖昧になっているっていうのかな。所々、抜け落ちているみたいな」

「えっ、雪? いったいどうなって……」

「こ、来ないで!」

 近づいて来ようとした龍一を拒絶する。後ろ姿とはいえ、正体が暴かれそうになることを蛍は嫌った。そして龍一は、これを悪く捉える。

「そ、そんなに昨日のことがショックだった? ごめん、やっぱり僕の判断は間違っていたよ」

「ち、違うの! その、何て言うか……あたしも心の中をきちんと整理したいっていうか……ほら、衝撃的で混乱もしていたから、今一度、聞かせてもらって確認したいの。ダメかな?」

「…………」

 しばし龍一が押し黙る。強引を通り越して無茶な論法。頼みは、雪が訴えかけた情というものを拾ってくれるかどうかだった。

「わかった。曖昧なままじゃ、もどかしいものだよね。一から振り返るから、きちんと聞いていてね」

 成功したことに蛍は歓喜した。もちろん内心で。雪なら、しおらしく傾聴するところなので、蛍もそれに倣った。


 ――昨夕、さくら荘二〇四号室の玄関前では、ある出来事が起こっていた。龍一の部屋の真上に住んでいる少女は、香坂百合奈。緑林館高校の二年生である。

 彼女には、小さい頃から想いを募らせている幼なじみの男子がいるのだが、その彼との恋が実るよう、龍一は以前から行動していた。だが、その恋は実らなかった。今、その彼が彼女の前で決別宣言をしている。

 彼には他に好きな女子がおり、しかし百合奈の想いも理解していたので、これまでずっと思い悩んでいた。しかし彼も、これからも曖昧なままで済ませてはいけないと判断し、百合奈への想いには応えられないと、はっきり言ったのだった。

 全て聞き終えた百合奈は、これでスッキリしたと返答し、彼の恋を応援すると言って、やり取りは終わった。

 この一連の言動は、真下の一〇四号室、龍一のいるところまで聞こえていた。もちろん雪も一緒に聞いていた。

 いまだ動悸の治まらない雪。そこに龍一は促す。

「これから二〇四号室の百合奈さんのところに行く。雪も付いてきてほしい」

 一瞬、何を言われたのか、わからなかった。驚愕する雪が、小さい声で諭す。

「い、今は、そっとしておくのがいいんじゃないかな。いえ、そっとしておくべきよ。ね?」

 本心は、こんな状況の彼女の元になど恐怖でしかないので、行きたくなかった。

 しかし龍一の決心は変わらなかった。時間もないということなので、簡潔に説明される。

 香坂百合奈に対して、長い時間を掛けて月下氷人を行っていたこと。その責任を果たすため、最後の見届けをしようとすること。一人では怖いので、雪に付いてきてほしいこと。

 よく見たら、龍一の手も、小刻みに震えていた。そんな姿を見せられたら、雪も拒否できず、覚悟を決めて付いていくことにした。


 百合奈と面識のない雪が、同行できるのか疑問だったが、龍一の知人ということで、すんなりと入室を許可された。

 ウェーブの掛かった髪と、細目で均整の取れた顔立ちが目を惹く。百合奈のそんな容姿に、同性の雪も見惚れたが、先程のやり取りもあってか、憔悴しているようにも見えた。

「かっこわるいのを聞かれちゃったわね。周りに迷惑を掛けたことは謝るわ」

 そんな謝罪から入った百合奈に対し、龍一と雪は恐縮する。座布団に正座している二人は、向かいの百合奈の一挙手一投足に気を配っていた。最初こそ暗い感じに見えたが、年少者の前か、明るく快活に振る舞うようになってきた。龍一としては、こちらがいつもの百合奈の姿なので見慣れていたが、無理をしているようにも見えた。

 心配無用と言わんばかりに、百合奈が段々と語る。

「このまま、あいつと恋人同士になっても、きっと恋人ごっこで終わっちゃってたと思うのよね。ただ世間的な形だけ、それらしい関係を演じるっていうか真似するっていうか。ほら、お互いもう、いろいろと知っちゃってるし、気心が知れすぎちゃってるっていうの? だから、どんなことをやっても、『お前、いまさら何をやってるんだ?』って感じで、本気になれないで過ごしていくっていうのかな。そういう未来がわかりすぎるくらい、わかっちゃうんだよね」

 聞いていて雪は痛々しく思った。龍一も同様なようで、こちらは口を挟む。

「……百合奈さん。本気で思ってもいないことを口にしないでくださいよ」

 結構な物言いに、空気が凍る。

 実は、先週の日曜日に龍一が会っていたのは、他でもない目の前の百合奈だった。彼女の短所として、できない理由を一所懸命に探す傾向が見られた。龍一は、その点を重点的に指摘して改善を促していたのだが、難しかったようだ。

「自分で自分に嘘を吐くなんて、悲しいだけです。いつか、その嘘が本当になってしまいますよ。もちろん悪い意味で。百合奈さんは、彼との思い出が形だけってことにしたいんですか?」

 龍一も本来は、ここまで踏み込む主義ではなかったが、長期に渡って気に掛けていたこと、現場に居合わせたこともあって、最後の責任を果たそうとしている。

 しかし、その反発は避けられない。百合奈の感情が爆発した。

「あんたに……あんたなんかに何がわかるっていうのよ! なにが月下氷人よ、思い上がらないでよ! そして何? 自分は彼女をはべらせて、のこのこ来ちゃって。私への嫌がらせ? 自分には私と違って恋人がいますよっていう……もういい、出てって、出てってよ!」

 あまりの一方的な言い分に、しかし龍一は黙って受け止めている。吐き出される毒素を全部取り込むように。

 そんな光景に雪は堪えられなかった。龍一との関係も訂正しようと考えたが、そんな雰囲気でもない。意を決して発言する。

「あ、あの! わたしは当事者ではありませんから、詳しいことは言えないのですが、香坂さんが後悔しているっていうことは、わかります」

「なっ! わ、私がいつ後悔したっていうのよ?」

「ならなんで、彼と一緒になった未来を、マイナスにしか捉えないんですか? 彼と一緒になったら、私は後悔していただろう。そうならないで良かった……そう思い込もうと必死に自己弁護しているようにしか見えません。その……想いが実らなかったことは、お辛いでしょうけど、だからといって、彼のことを必死になって嫌おうとする必要はないと思います」

 思ったことを一気に述べた雪は、全身を激しく震わせている。その勇気に応えるように、龍一が続いた。

「そうですよ、百合奈さん。これまでの想いを否定する必要はありません。今は、どうしようもなく落ち込んでください。そして、落ち込むことに飽きたら、また立ち上がってください。これからも僕にできることでしたら、力添えしますから」

 龍一の言葉に、百合奈は失笑する。落ち込んでくれという励まし方が、おかしかった。なんだか、やさぐれていた自分が馬鹿らしくなり、百合奈は笑いながら脱力した。

「今日は本当に、かっこわるいところしか見せられていないわね。でも、わかったわ。龍一くんの……龍一くんたちのアドバイスに従うわ。しばらく一人で過ごします。後日、改めて謝罪に出向くから」

 その言葉を皮切りに、龍一と雪は立ち上がり、謝罪は不要とだけ言って、二〇四号室を後にしたのだった。


 一〇四号室に戻った二人は、しばらく呆然としていた。覚悟していたこととはいえ、精神的な疲労が相当溜まったようで、何もする気が起きず、蛍からの電話もぞんざいにしていた。

 このままでは滅入るだけだったので、気晴らしに外食でもしようと龍一が提案し、二人で部屋を出る。それを待っていたのか、一〇五号室から森野と井川が現れ、先程のやり取りを気に掛けてきた。かなり大きな声で百合奈と応酬していたので、さくら荘の住人には筒抜けになっていたようだ。大騒ぎになって迷惑を掛けたことを謝ると、森野と井川の方が恐縮し、むしろ熱い気持ちを頂いたと感謝された。

 これから食事に繰り出すことを伝えると、夜のデートなどと揶揄されて赤面したが、おかげで気を紛らすことができ、龍一と雪は駅前のファミリーレストランへ向かったのだった――


「……というのが昨日の顚末だよ。僕の都合で雪を巻き込んじゃったことは、本当に申し訳なく思っている。ショックもあったろうけど、雪が僕の傍にいてくれて感謝しているよ」

 龍一の話を、後ろ向きで聞き終えた蛍は、複雑な心境だった。雪の振りをしている自分に、背徳感にも似た重圧がのしかかる。

「そうだ。昨日も言ったことだけど……これは本来、ものすごく繊細なものだから、他人に話すことのないようにね。さくら荘に帰ってからも、ここでの話を出すこともしないから。まあ、巻き込んた僕が言うなって話だけど、百合奈さんの名誉のためにもってことで。ね?」

 龍一としては軽口の類だったが、雪の振りをする蛍には責め苦であった。こうして直に聞いてしまったがために。

「もちろんよ……心の中に閉まっておくわ」

「うん、そうしてね。僕は君のことを信じているよ」

 背筋を伸ばして返事をする蛍に、龍一も満足して帰っていった。

 龍一の姿が見えなくなってから、蛍は青いリボンを外す。そしてフェンスに寄りかかって溜め息を吐いた。今更ながら、栞の忠告を無視して突き進んだことを後悔する。真相を知ることはできたが、踏み込んではいけない部分というのも確かだったので、自己嫌悪を覚えた。龍一の信じるという言葉も、それを増幅させた。

 変な妄想を膨らませていたことも、恥ずかしくなり、強く頭を振る。救いとしては、この話題が表に出されることは、この先も皆無なので、妄想も一緒に封印できるということだった。

 それにしても、と蛍は思う。今回の龍一の行動も月下氷人。しかし、そこには失敗もあるのだと判明する。成功談は華やかで注目されるが、その地中には人知れない多くの不成立が埋まっているのだろう。そして失敗すれば、今回のように怒られたり恨まれたりもする。

 恋仲を取り持つというのは、蛍も憧れる行為ではあるが、龍一には使命を負ってそれを行っているようにも見えて、時に危うささえ感じてしまう。

 なぜそこまでするのかと考えてしまうが、それこそ龍一の機微に触れることのように思えるので、現時点で知ろうという発想はなかった。だが、いずれは自身の裁量で、その全容を明らかにしたいと、蛍は密かに決意するのだった。


(続)

起承転結の転まで終了。次回の更新は、しばらくお待ちください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ