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両親が昨日、何を話し合っていたかは、結局わからずじまいだった。
朝食時も、雪がいなくなってからの同じ光景、普通を装った微妙な空気が漂っているだけで、雪に関する話題もない。
蛍も特に追求はしなかった。下手に聞き出そうとすると、両親が考えている何らかの方針を邪魔してしまうかもしれないから――というのは自分に対する言い訳で、それどころではないというのが本音だった。
今朝は、さくら荘に行かず、直接登校することを携帯端末の通信で龍一に伝える。問題の先送りでしかなかったが、他にやりようがなかった。どのような感情で、龍一と雪に相対していいのか、わからない。すでに一線を越えていると思うと。
(お、落ち着くのよ……まだ、そうと決まったわけじゃない。森野さんと井川さんの話を、自分に都合悪く解釈してるに過ぎないわ。先入観で行動するなって、いつも言われてたじゃないの)
自室で制服に着替え終えた蛍が、理論武装を完成させようとしたが、
「って、これを言ったのも龍一じゃないの!」
元凶からの教えだと思い出し、怒りの拳を目前のテディベアに放った。
龍一からの誕生日プレゼントであるテディベア。後で知ったことだが、きちんとしたメーカーによる、かなり高価な代物だったので、時間が経ってから恐縮したものだった。
「……考えてても、しかたないわよね」
テディベアの表情は持ち主の真意を表す。自らを省み、人形を優しく撫でて元に戻した蛍は、行動することでしか真相は明かせないと悟り、気合を入れて家から出発した。
教室で会った龍一は、いつもと同じだった。普通に挨拶をし、蛍を含むクラスメイトと一言二言を交わして一時限目に臨み、授業が終わると手洗い場で日課の報告をする。
「……というわけで、両親の進展に期待したんだけど、結局わからないままだったわ。今日は、こんなところね」
「なるほど。今後の成果を待つしかないね」
そっけない返答の龍一に、熱意の無さを感じた蛍は、苛立ちを抑えて次に臨む。龍一が踵を返すタイミングを見計らって、簡潔に問う。
「昨日、雪と夜にどこへ出かけたの?」
できるだけ龍一の耳にのみ入るよう言葉を注ぐ。大きな声で周りに聞かれても困る話なので、匙加減が難しかったが、うまくできたと蛍は自画自賛した。
龍一は、わかりやすく硬直し、蛍は半身を使って対面して逃がさない態勢を取る。傍から見たら、見詰め合っているかいないかの絶妙な位置取りだった。
何も話さない、何か言い訳を考えている龍一に向かって、蛍は更に攻める。
「じゃあ、質問を変えるわ。雪と夜中に何をしていたの?」
これは蛍にとっても勇気のいることだった。聞きたくもない返答がなされることで、自分にも衝撃が与えられる可能性があるからだ。その結果、衝撃の半分は受けたことになる。
「ごめん、蛍。それは言えないんだ」
それだけ言うと龍一は、蛍の横を足早に通り過ぎて教室に入っていった。思わせぶりな発言に、かえって信憑性が増して、蛍の内心はもどかしくなる。
そんな感情でいるところに、二年五組から雪が出てくるのが見えた。もう休み時間もわずかだが、じっとしてはいられなかった。すぐに雪の傍まで行った蛍は、同じ問いをする。
「昨日、龍一と夜にどこへ出かけたの?」
こちらもやはり体を硬直させる。龍一と同じ反応を見せる雪に対し、否応なしに嫌悪感が増す。
「い、言えないわ。ごめんなさい」
そう言って、目を伏せたまま教室に戻る雪。こちらも龍一と同じような文言のため、蛍は壁を殴りそうになったが、何とか自重して自分も教室に戻ることに成功した。
このような状態のため、授業中の蛍は終始、上の空だった。幸い、教師から指名される場面もなかったが、その結果、授業時間が長く感じられ、意味もなく教科書やノートをめくる回数が増える。
あの様子では、龍一も雪も、何も語ってくれないだろう。いっそのこと、一連の出来事を完全無視して進めた方が気軽かも知れない。蛍は、そう思い始めていた。
とはいえ、これからすぐに気を持ち直せるほど蛍も器用ではなく、四時限目の数学も、教科書とノートをめくるだけの作業に没頭していた。そして、ノートを書いたページから逆にめくっていた時、いつしかの筆談文を消した箇所で手が止まった。
(そうだ、工藤先輩なら知ってるかもしれない!)
閃きとともに、蛍に生気が甦る。龍一は工藤栞に嘘や隠し事はしたくないと語っていた。もしかしたら、昨日のこともすでに栞に話しているのではないか。昼休みに会いに行こうと思い立った蛍は、ここまでとは反対の意識で授業時間を長く感じていた。
三年一組の教室前。上級生の教室を覗くのは勇気のいることだったが、特徴のあるポニーテールのおかげで蛍は、すぐに栞の姿を視認できた。栞もこちらに気づいてくれたため、会釈をした蛍に栞の方から出向いてくれた。
「どうしたの、蛍ちゃん? 珍しいわね」
「ど、どうも……あの、少しいいですか?」
神妙な面持ちの蛍に栞も何かを察したのか、場所を変えて話すことを提案した。
校庭側の昇降口を出て、人のいないフェンスの前まで行って、蛍が話し始める。昨日、自分が体験したことを簡潔に述べ、龍一から何かを聞いてるのなら教えてほしいと栞にお願いしてみた。
「…………」
「あの、工藤先輩?」
最初から最後まで話を聞いた栞は、目を静かに閉じたまま、動かない。不安になった蛍が声を掛けると同時に、栞は厳しさの宿った目を開いた。
「ねぇ、蛍ちゃん。それを聞いて、あなたはどうしたいの?」
「えっ?」
「ただ知りたいだけなの? 龍一くんに構ってほしいの? それとも、自分にも雪ちゃんと同じことをしてほしいって思っているの?」
「なっ! そ、それは先輩でも、あんまりな言い草です! あたしは、ただ……」
しかし、それ以上の言葉を継げられなかった。蛍自身、どうしたいのかなど明確に示せないのも事実だったが、栞の辛辣な言葉に二の句を継げなかったのも確かだった。
栞は淡々と続ける。
「私は女子としても人としても未熟よ。だから、人の機微に疎くもあるわ。その点、龍一くんは聡くもあり、思いやりも兼ね備えている。私も手本としているもの。そんな龍一くんが、何も話さないということは、それなりの理由があってのことでしょうね。蛍ちゃん、あなたのしていることは、龍一くんの機微に触れることなのよ? 軽々しく踏み込んでいいことじゃないわ」
その涼しくも鋭い眼光に、蛍は委縮する。普段は笑顔が眩しい栞だが、真剣な時には自他ともに畏れる存在となるのが彼女だった。
「一応、言っておくけど、私は何も聞いていないわ。これは本当よ。でも龍一くんのことは信じている。決して道を外れるようなことはしていないと」
厳かな雰囲気をまとう栞には説得力があり、蛍も納得せざるを得なかった。
もうすぐ昼休みも終わる頃なので、お互いに自然と校舎へ歩み出す。思いがけない説教を受けた蛍だったが、その意味するところを理解しないと、知らない内に越えてはいけない線をまたいでしまう。そんな危うさを教えてくれた出来事でもあった。
(続)




