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 トマリギで仕事をした翌日、大きな動きが起こった。少なくとも蛍は、そう感じた。

 母が、父の仕事帰りに会って外食してくるというのだ。いろいろと二人で話したいこともあり、すまないが夕食は一人で済ませてと、蛍にお金だけ渡してきたのが夕方のことだった。

(これは、もしかたしたら、仲直りの予兆?)

 良心の呵責にしろ世間体にしろ、雪をこのままにしてはおけないと考え、ついに復縁することに決めたのではないか。もしそうなら、問題は一気に解決する。根源は両親の不仲なのだから、それが解消すれば、雪が龍一の元にいる理由もなくなる――これほど喜ばしいことはなかった。

 居ても立っても居られなくなった蛍は、この状況をすぐに伝えたいと思い、龍一に電話をした。しかし応答はなく、肩透かしを喰らってしまう。何事もなければ、龍一たちもすでに帰宅している頃合いなので、着信に気づけば、折り返し連絡をしてくるだろう。逸る気持ちを抑え、蛍は龍一からの返信を待った。


 しかし、日が暮れてきたにも関わらず、ここまで何の連絡もない。何度も電話をするのは好ましくないことだったが、大切な報告を一刻も早くしたかったので、再度電話を掛ける。

「もしもし?」

「あ、龍一! もう、なんですぐ出ないのよ」

「……ごめん」

 出てくれたことに安堵した蛍だったが、龍一の声音は、いかにも弱々しく元気がなかった。

「ちょっと、どうしたの? 何かあったの?」

「……何もないよ」

 明らかに気のない返事をする龍一。蛍は苛立ち始めたが、とにかく今日の両親の行動を伝え、問題解決に期待が持てることを熱弁した。

「それは良かった……また明日、学校で聞かせてね」

 しかし龍一は、か細い声でそれだけを言うと、一方的に電話を切ってしまった。

「な、なんなのよ、あいつ!」

 あまりのそっけない対応に、蛍は怒髪天を衝いた。せっかく光明の見えた事態を、まるで関心がない態度で迎えられたのだ。

 腹立たしくはあったが、あの弱々しい声音も気になった。雪なら何か知っているかもしれないと思い、今度は雪に電話をしてみた。

「……はい」

「雪! すぐに出てくれて良かったわ。今、どこにいるの?」

「さくら荘だよ……龍一くんの傍にいる」

 安心したのも束の間、蛍は一瞬で怒り心頭に発した。雪も龍一と同じ声音で、しかも一緒にいる――何らかの境遇で共感している姿が容易に想像できたからだ。

 龍一の傍にいた雪に、同じことを伝えるのは無意味と判断し、今度は蛍の方から即座に通話を切る。もはや自分でも何をしているのか、何をしたいのかが、わからなくなり、自室のベッドに埋もれるしかなかった。


 しばらくしてベッドから顔を上げると、もう夜中になっていた。まだ両親も帰ってこず、龍一たちに電話をする気も起きない。そして、こんなもどかしい状態に置かれることに、蛍自身が耐えられなかった。

「あぁもう! こうなったら直接さくら荘に行ってやる!」

 自分の言葉で奮起した蛍が、迅速果断に判断。一度決めたら、その対応は早く、瞬時にさくら荘まで到着した。

 しかし、一〇四号室の明かりは消えており、室内には気配もない。あの後、どこかへ出かけたのだろうか。

「あれ? 雪ちゃん、どうしたの? 忘れ物?」

 その時、一〇五号室から、住人の森野伸二と井川貴子が出てきた。一〇四号室前で立ち尽くしている蛍を見て、井川が疑問を呈している。

 この二人のことは、龍一から親しい隣人であることは聞いていたが、対面したことはなかった。蛍が朝の出迎えを始めてからも同様であり、ゆえに森野と井川も、雪の双子である蛍の存在を知らない。

 そこに蛍は好機を見出した。先程の井川の発言から、雪は目的をもって外出している。おそらく龍一も一緒だろう。ここは二人に勘違いをさせたまま、雪の振りをして情報を聞き出そうと試みることにした。

「そ、そうなんです……慌てちゃって。これからまた龍一、くんのところに戻るんですよ」

 これまでも双子ならではの入れ替わりをしたことはあったので、自信はあった。雪の口癖や雰囲気の出し方を真似して、粛々と進めていく。

「そうなんだ。まあその……あんな激しいことがあったわけだからね。まだ熱も冷めないか」

「ちょっと、伸二。デリカシーが無いわよ。まだ動揺があって当たり前じゃないの」

 森野と井川から、いきなり不穏な発言が出る。何かを見聞きしたのは明らかだった。

「な、何があったんですか!」

 雪を演じていることも忘れて、蛍が怒鳴る。森野と井川が不審な目を向けたのがわかり、蛍は咄嗟に言い繕った。

「そ、その……おっしゃる通り、激しかったものですから混乱していまして……あたしも記憶が飛んでいるところがあるんです。何があったか教えていただけませんか?」

 かなり強引な論法であった。おそらく龍一と雪が先程まで何かをしていたようで、それを当事者が忘れたというのは破綻している。

「そうは言われてもなぁ……」

「私たちの口からは何とも、ねぇ……」

 森野も井川も露骨に言い淀む。実際に言いづらいことなのだろうが、雪の振りをする蛍に疑問を抱き始めていた。そこで蛍は、視点を変えてみた。

「あ、あの……では、あたしたちのやり取りを知って、お二人はどのように思いましたか? その……周りからは、どう見られたのかなって思いまして」

 龍一と雪が室内で何らかの行為をし、それを隣人が見聞きした。そういう前提での質問を、弱々しく謙った口調で投げかけた。含みを醸した言動が功を奏したのか、森野が語り始める。

「さっきも言った通り、激しい応酬ではあったよ。人によっては近所迷惑だったかもしれないけど、俺は感動したね。まさに青春って感じでさ」

「そうね。でもデリケートなものだから、もう少し抑えてほしかったわね。けど本音をぶつけ合うってことは、ああいうことでもあるのよね」

 井川も自身の感想を口にする。感慨深げな表情が印象的だった。

「こういうのも、塞翁が馬って言うのかしらね」

「……また懐かしいことを。まったく貴子ときたら」

「だって、それがきっかけで私たちは……ね?」

 二人の方向性が自分たちの世界を作り、惚気で照れ始めた。蛍は帰りたくなったが、なんとか自重して踏みとどまった。

「あ、ごめんね。こんなところで雪ちゃんを足止めしちゃって。あんなことが終わった後なんだし、気分的に疲れてるでしょ」

「おっと、そうだった。気分転換に夜のデートと、しゃれ込むんだよな? そして俺たちも、ね」

 尚も会話が続いていたようだが、蛍の耳には入らなかった。急いで龍一の元に戻ることにしますと言い、その場から離れることに成功したが、蛍は何も考えられずにいた。


 気がつくと蛍は、自室のベッドに潜り込んでいた。結局、食事も取らずに、ただ悶々と聞いた言葉を頭の中で繰り返す。

(室内で激しい応酬? デリケートな青春? 終わった後に夜のデート? 何よそれ……何なのよそれ……)

 無限とも思える時間の中で、悪い妄想ばかりが頭の中を巡る。明日になったら、龍一を問い詰めようと思ったが、明日など来ないでほしいと思っている自分もおり、この二律背反は、考え疲れて眠くなるまで続くのだった。


(続)

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