20
彰と別れた龍一は、そのままトマリギに向かった。すでに蛍と雪は来ており、店内から手を振っている。
今日は、マスターが新作メニューを開発したというので、その試食を頼まれたのである。一ヶ月後にはハロウィンなので、かぼちゃを使った期間限定メニューを出す予定とのこと。男女の意見を取り入れたいという観点から、龍一たちが協力することになった。
三人が揃ったところで、さっそく試食が始まる。一品目は、かぼちゃを使ったパフェである。かぼちゃをペーストにしたクリームの上に、ダイスの形状にしたかぼちゃが置かれている。その脇にはマロングラッセが添えられ、秋を意識させる。器の底には、かぼちゃを含ませたチーズクリームを主体として、コーンフレークと生クリームが敷き詰められている。
皆が一口頬張ると、途端に至福の表情となり、幸せな空間が広がる。
「おいしいわね……」
「そうだな、甘すぎないところが良いね。栗とのバランスも合っていると思うよ」
「ホントそうよね……ただ、かぼちゃのクリームに、ちょっとザラつきが感じたわね。そこが気になったかも」
雪が、龍一が、蛍が、それぞれの感想を述べる。
「なるほど……かぼちゃの裏漉しが十分じゃなかったかな。もっと入念にやるべきか」
マスターが改善点を探る。こうやって少しずつ完成度を上げていくのだろう。
二品目は、かぼちゃのプリン。ホールケーキの型を使っての作成なので、切り分けられて三角柱の形をしている。これも皆の反応は上々であり、申し分ない味わいとなっていた。カラメルソースが、やや甘すぎるかもというのが共通の感想だったので、その点が課題となりそうだった。
甘いものが続いたので、アールグレイティ―で一服する。柑橘系の香りが三人を和ませた。
作法などない優雅な空間が、そこにあった。蛍も雪も、お茶を飲む姿が自然と一致しており、さすが双子だなと龍一は感じた。と同時に、母親も同じような飲み方をしていたことを思い出す。
龍一が沢渡夫人に会ったのが三日前。あれから、娘たちに何らかの反応を示したのかもと期待したが、無反応のようだった。雪の携帯端末にも通信のひとつも無いらしく、蛍の手洗い場での報告も変わりはなかった。
(夫人は、僕と会ったことも蛍に話していないのかな……)
家族で暮らしている蛍には、雑談の中ででも話題に出すのではないかと思っていたが、こうなると家族間の会話すら皆無なのではと思ってしまう。
咄嗟に龍一は頭を振る。悪い方に考えすぎてはいけないと自戒し、今も直接両親といる蛍を気に掛けようと思った。
「ん? どうしたの、龍一?」
笑顔でカップを口から離す蛍。自然と目で追っていた龍一は、この笑顔が消沈を隠す仮面であってほしくないと願った。
「いやその……蛍のことが気になっただけだよ」
飾り気のない龍一の言葉に、蛍はカップを落としそうになる。
「いいい、いきなり何を言い出すのよ!」
「ご、ごめん。変なこと言っちゃったね」
「べ、別に変なことじゃないわよ。変なことじゃ……」
赤面してうつむく蛍に、龍一も不用意なことを口走ったと反省する。そんな二人を雪は、複雑そうな目で見つめていた。
三品目は、かぼちゃのポタージュが用意されていたが、ここで多くのお客が来た。
「すみません。十五人なんですけど、大丈夫ですか?」
会社員と思われるスーツ姿の男女が、入店してきた。現在、トマリギには龍一たちしかいないが、席数にも人員にも余裕はない。
「少々お待ちください……龍一、頼む!」
マスターの呼びかけで全てを理解した龍一は、近くに置かれていたエプロンを手に取り、素早く装着する。これまでも人手が足らない時は、このように臨時店員として働いていたのである。
そして、どうしようか一瞬迷ったが、雪にも声掛けをした。
「緊急だけど、手伝ってくれないか? あとで日当が出ると思うか――」
「やります、ぜひ!」
言い終わらない内に、雪は承諾した。いつしか、一緒に働いてみないかと言われたことを忘れずにいたので、恩返しを形として遂行できる機会が訪れたことに、喜び勇んだ。
すぐに予備のエプロンを出して雪に与えたところで、
「ちょっと待ちなさいよ。なんで雪だけなのよ?」
蛍が恨めしく抗議してきた。単純に、残りのエプロンと発想自体がなかったことだったが、蛍には龍一に頼られなかったことが屈辱と映った。
「えっと……蛍も手伝ってくれるか?」
「もちろんよ。雪だけ働かせられないわ」
本音は、雪だけ龍一の隣にいさせられないということだった。
マスターも了承し、まずは龍一たちのテーブルを蛍と雪で片付けて綺麗にし、龍一がお客の案内をする。
「お待たせしました。入店は大丈夫です」
笑顔で接客を開始し、一団の様子を一通り確認したところで、行動に出る。
「まずはそちらの三名様、奥の席へどうぞ。あ、そちらとそちら、そちらとそちらの方、向こう側の席にお願いします。それから、こちらとこちら、こちらとこちらの方、窓際の席へどうぞ。最後に、そちら方はテーブルが片付き次第、ご案内しますね」
きびきびと誘導し、全員の着席が完了したところで、蛍と雪が水とおしぼりを差し出しに回る。これまでマスターの立ち回りを見てきていたので、その経験が活かされていた。
客数も多いので、龍一と雪が注文を受け、蛍が略図を作ってオーダーの漏れを防ぐ役割を担う(エプロンがなく、学生服の蛍に接客させると、いろいろとうるさそうなので)
コーヒーと紅茶の二種類が注文されたので、これもまた各々の役割で回していく。
マスターが紅茶を淹れ、ドリップからの淹れ方を教わっていた龍一がコーヒーを担当し、蛍がカップを温めるために熱湯を注ぎ、完成した品から順に雪が運んだ。一応、最初に運ぶ相手を主任と思しき男性にすることに注意し、あとは順不同とさせてもらったのだった。
一通りの作業が終わり、水の継ぎ足しやコーヒーの追加注文などで動くことはあるが、今は待機の状態である。
「それにしても、こんな人数のお客さんなんて、すごいわね」
「見るからに社会人だし、会社の研修か総会の帰りってところじゃないかな。まぁ、僕らは普通に接客をするだけさ」
雪の感想に淡々と応じる龍一。二人は今、トレイを抱えて立っている。注文があれば、すぐに向かえるように。
今のところ、大きな動きはないが、龍一は店内の空間を注視していた。何ひとつ見落とさないという意気込みなのかと雪は思ったが、仕事熱心というよりも、何らかに執着しているように感じ、おかしな緊張感を覚えた。
「ただいま、買ってきたわよ」
「ありがとう、蛍ちゃん。そこに置いといていいよ」
マスターは、不足しそうな食材を急きょ揃えるため、蛍に買い出しをしてもらっていた。その中には、龍一が頼んだ品物もあった。
レインボーチョコ――七種類の色に個包装されたチョコが詰まっており、赤色が最も甘く、紫色が最も苦い。
雪は龍一の指示で、三名のテーブルに複数のチョコを盛った菓子皿を出し、龍一自身は四名のテーブル各々に、チョコひとつを盛った小皿を一人一人に提供した。
「こちら、サービスですので、お召し上がりください」
二人の同じ口上に、お客から感謝を受けた。気の利く行いだと思うが、店内の全体像を見ていた蛍には、何か引っ掛かるものがあった。
その後は、マスターの料理提供が中心に進んでいった。OTLサンドが珍しさから注文され、本日の試食の品を数量限定メニューとして安価に提供するなど、忙しくも柔軟に対応していく。龍一たちも適宜に動き回り、その甲斐もあって接客は全て滞りなく終わったのだった。
「ありがとうございました。またぜひ、お越しください」
笑顔で全員を見送った龍一に、お客の数人が必要以上に深々とお辞儀をしている。少し不思議な光景だった。
テーブルの上が片付けられ、ようやく全てが終わった。
「皆、おつかれさま。本当に助かったよ、ありがとう」
マスターが龍一たちを労い、コーヒーを出す。試食会は中断されたが、三人は充足感を得ていた。気がつくと、外はすでに暗い。
「あら、もうこんな時間になっていたのね」
「あ、ほんとだ。蛍、時間は大丈夫?」
雪と龍一は一緒に帰るが、蛍は遅くなると心配される。
「大丈夫よ。家には、仕事の合間に電話しといたわ。試食会のこともあったから、夕食も不要って言ってあるわよ」
これを聞いた龍一は、口から出掛かった言葉を吞み込んだ。ここで「両親とは会話しているの?」などと聞くのは、空気を重くするだけと判断したからだ。先だっての懸念だったが、ここで迷いが生じるようでは、蛍を侮ることになるのではないか。
「なぁ、蛍」
「ん? どうしたの?」
「僕は蛍のことを信じているよ」
妙に真面目な口調と内容に、蛍もどのように対処すべきかわからず、何か言い返そうとするも、何も出てこなかった。
別の話題を出して逸らそうと思考を巡らせていると、ふと先程のチョコのことが気になり始めた。
「と、ところで、龍一。ずっと気になってたんだけど、あのチョコには、どういう意味があったの?」
蛍が引っ掛かっていたのは、その点だった。龍一は単に気配りと主張したが、チョコの配り方が、おかしかった。雪がやったように、一つの菓子皿をテーブルの中央に置けば済む話なのに、龍一は小皿で一人一人に出していた。そもそも、雪には三名のテーブルでの接客ばかりさせていたように見えた。そして、最初に全員の席を指定したのも龍一だった。
「もしかして……また、月下氷人?」
自作の略図を手に取った蛍は、そう推察した。
お客は十五人。その内、男性が九人で女性が六人。三名のテーブルは、全員男性。残りの十二名で男女が六組作られたという図式だ。
「お客さんたちの目線で、誰が誰と一緒になりたいのかなっていうのを、何となく察しただけだよ」
観念した龍一は、種明かしを始めた。
すでに述べた通り、皆の目線や仕草、ちょっとした会話の漏れを聞いた龍一は、脈ありな男女が向かい合うように席を誘導し、有無を言わせない勢いで定着させる。細かな注意が必要な場合もあるので、できるだけ龍一自身が応対し、結果として雪が干渉する場面が減る。そして進展のきっかけになればと思い、一組の男女に同じ色のチョコを配っていたということだった。
蛍も雪も呆気にとられた。まさか、こんな状況でも月下氷人を行っていたとは。
「でも、あの三人は? その、雪が主に接客した男性客。あの人たちの中からも、カップルになりたい人がいたら、可哀想だったんじゃないの?」
蛍が非難めいた目で問う。確かに、一人は主任と思しき年配の男性で、残りの二人は三十歳以上と思われる風体だった。
「誤解ないように言っておくけど、見た目で選んだわけじゃないよ。あの三人は指輪を着けていた。つまり既婚者だ」
わかりやすい証拠があったので、龍一もためらいなく動くことができたのだった。さすがに不倫を助長する気はない。
これには、蛍も雪も驚く。そのような発想が全く無かったからだ。
そして、一連の行為を本心から歓迎した数人が、帰り際で龍一に謝意を伝えたのであった。
「お待たせ。はい、これ。少ないけど」
コーヒーが飲み終わる頃に、マスターが封筒を手渡してきた。日当である。龍一には、いつものことだったが、蛍と雪は少々ためらいが見られた。だが、正当な労働の対価とマスターに諭され、きちんと受け取ることにしたのだった。
――聞いた話によると、あの後、四組のカップルが成立したという。龍一としては一組でも成就すれば良しと考えていただけに、予想以上の結果となった。
そして、その内の一組が、将来の龍一に対して少なからぬ影響を与えることになるのだが、それはまた別の話である。
(続)




