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今日は日曜日。この日は朝から曇り空で、ニュースでも台風の接近を警戒するよう、報道されていた。

 そんな天気にも関わらず、龍一は朝早くから出かけるという。重要な用件ができたとかで、慌ただしく準備を始めたので、雪も何か手伝えることはあるかと買って出る。

しかし龍一は、個人的なこととして断り、正午過ぎには帰ってくるかもしれないが、今日はお互い自由行動で過ごそうと言って外出した。


 部屋に一人残された雪は、昨日のことを思い返す。隣町まで行った買い物帰りで、龍一に保健室でのことを聞き、その心情を知る。その後、酒屋でビール券をだまし取ろうとした犯人を龍一が撃退し、御礼に酒まんじゅうをもらって、一緒に食べながら帰路に就こうとした――

 それから数時間後、雪が覚醒したのは、さくら荘一〇四号室だった。龍一が言うには、帰り道でまどろみ始め、部屋に着いた途端に眠ってしまったという。あまりの醜態に逃げ出しそうになった。


(やっぱり、聞いたのかな……)

 今朝の雪に対する龍一は、どこかよそよそしかった。確かに緊急案件が発生したのかもしれないが、できるだけ早く自分から離れようとしているようにも取れた。

 実は、雪はすでに告白のことを思い出していた。自分でもなぜ、そのような行為に及んだのか当惑していた。このまま一緒に暮らしていくのは気まずいのではないかと思ったが、龍一からは特に告白に関する言及もなく、藪蛇になってもいけないので、雪も話題に出さずにいた。

「この部屋って、こんなに広かったのね」

 大の字になった雪は、一人でいる空間に独白する。住宅街に加え、今にも雨が降り出しそうな天候のため、外の喧騒も皆無。静寂だけが雪の耳をつんざく。

 龍一に対する想いは、もはや隠しようがなかった。今は、このような状況なので、彼に迷惑を掛けるような行為は慎まねばと自戒する。

 仮に龍一が、告白を聞いたうえで何事もないことを装っているのなら、その意志を汲まないといけない。彼とて、一緒に暮らすうえで居心地悪くなるのは望まないはず。いずれ、想いの決着が付けられるまで、今できることを精一杯やっていこう。

 そう決心した雪は、立ち上がり、まずは部屋の掃除をしようと動き出した。自由行動と言われたが、外出する用件もないので、部屋の中で動いて余計な考えを入れないよう勤しむことにした。


 テレビの番組を適当に流しながら、雪は部屋の隅々まで掃除をした。切れかかっていた電灯もあったので、あとで龍一に報告することを忘れないようにしておく。

 時刻は、もうすぐ正午。テレビからは、台風による突発的な豪雨に見舞われた地域を報道している。さくら荘の周辺も、雨が降ったり止んだりを繰り返す状態になってきた。

 冷蔵庫には、冷凍食品のギョーザやチャーハンもある。昼食はそれで済ませようと考えた雪は、その前に汗を拭こうと着替え始めた。そして、反射的にドアの方を見る。前回、これで龍一に背肌を見られたことを鮮明に思い出す。今回、いきなりドアが開くことはなかったが、これまでに積み上げられた熱量から、一種の思考が過ってしまう。

(もしもあの時、龍一くんが傍に来ていたら……)

 みだらな妄想が広がっていく。今の雪は、あの時と同じ上半身裸の状態。テレビを消して眼を閉じ、仰向けになって深呼吸をする。

そして、自分で自分の体をまさぐろうとした時、唐突にチャイムが鳴らされた。


「蛍です」

 チャイムを鳴らして名乗り、ドアスコープで顔を確認する。双方が警戒するうえで、自然とできた形だった。

 部屋の中からの返答に多少時間が掛かるのは、いつものことだったが、今回は動転している雰囲気が伝わってきて、蛍は心配になった。

「ちょっと、どうしたの?」

「ま、待ってて! 今、開けるから」

 中から雪の声が聞こえたので、一応安心する。ドアの外では雪の名前を出さないようにと決めていたので、黙って待つことにした。

「お待たせ……入って」

 慌てながらも、ドアスコープで蛍を確認することは忘れず、雪は蛍を素早く入室させた。

「どうしたの、雪? 脂汗だらけじゃないの」

「ききき、着替え中だったのよ! だからその……焦っちゃってて」

 先程の行為のことなど死んでも言えず、動揺から甲高い声を発する雪だった。

 蛍は不審がるも、龍一が不在なことに気が向き、雪からの説明を受けて余計に不満を顕にした。

「まったく……何の用事か知らないけど、雪を一人残して行っちゃうなんて無責任ね」

「そ、そんなこと言っちゃダメだよ。龍一くんにだってプライベートがあるんだから」

「……そうね」

 雪を見る蛍の目が攻撃的に映り、雪は一瞬怯んだ。

「と、ところで、蛍。今日は、どうしたの?」

 そう聞くと蛍は、無言で手提げ袋を突き出す。中にはドーナツの詰め合わせパックが入っていた。訪問の手土産のようだったが、これを持ってくることだけが理由ではなかった。

「母さんから電話があったの。買い物に出かけたら、財布を忘れたことに気づいた。駅前まで持ってきてくれないかって。雨が降りそうだったから、急いで渡しに行ったわ」

 その帰りに、ドーナツ店が特売をしていたので、龍一たちと食べようと購入したという。

 急いで家から出発したので、傘も持たずにいたため、雨宿りも兼ねて、さくら荘に急いで来たとのことだった。

「最近、母さんはボーッとしてることが多いわよ。良くない感じだわ。あれから大きなケンカはないけど、ストレスが溜まってるのはわかるわ」

「わ、わたしのせいなのかな」

 これも必要悪の影響なのかと、雪は悩んでしまう。

 蛍は返答をしない。今日の蛍は、なぜか刺々しかった。


 昼食もまだだったので、雪が準備しようとしたら、蛍も手伝うと言ってきた。

 とはいえ、やることは二つだけ。冷凍食品のチャーハンを炒めることと、昨日の作り置きのクリームシチューを温めることだったので、蛍にはチャーハンを任せることにした。

 コンロは二つあり、二人並んで各々の調理をする。このように姉妹でキッチンに立ったことなど皆無だったので、その事に関しては新鮮であり、共同作業の成果か、妙な蟠りもなくなったように見えた。

「龍一とは、毎日こんな風に料理してるの?」

「毎日じゃないけど、凝った料理の時は、二人で分担してやっているわよ。今みたいに」

「ふうん……」


 食事が済んだ頃には、外は土砂降りとなり、部屋中に轟音が響いていた。

「これじゃあ、帰れそうにないわね」

 これは窓を見ていた雪の言葉である。傘も持っていない蛍を心配してのことだったが、蛍は違う受け止め方をした。

「そんなに、あたしに早く帰ってほしいわけ?」

「え? いや、そんなつもりじゃ……」

「雪こそ、そろそろ家に帰ってきた方がいいんじゃないの?」

 雪は絶句した。龍一の方針は、蛍も理解しているはず。今の段階で、そのような言葉が出てくるなど予想外だった。

「あんたさぁ、龍一にどれだけ迷惑を掛けてるか、わかってるの? 今日だって、雪がいるせいで、急な用事とやらを断ってたかもしれないんだよ? このまま龍一に甘え続けるのも悪いわよ」

 蛍の言っていることは正論ではあるが、存分に悪意と敵意が混じっていた。さすがに理屈ではないと感じた雪は、その真意を問いただす。

「ねぇ、蛍。わたし、何かした? 知らないうちに蛍の嫌がることをしていたっていうのなら謝るから。声も顔も怖いよ。そんな姿を龍一くんが見たら、どう思うか……」

 その瞬間、蛍は雪に掴みかかり、容赦なく床に組み伏せた。


 小さい頃は、そうでもなかったが、いつしか雪のことが羨ましいと思うようになっていた。決して要領が良いとは言えないが、肝心なところで本当にほしいものを掴み取る――そういう気質があると、蛍は感じていた。

 保健室での一件もそうだった。本来、あの場を仲介するのは自分の役割と思っていた。実際に、これまで龍一が他の男子とケンカをする場面があり、その度に蛍は、持ち前の覇気で収めていた。しかし、稗田との修羅場は、これまでの龍一とは気迫が違っていたせいもあり、動けなかった。

 しかし雪は動いた。その結果、龍一の本質を見極め、その心を掴んだように見えたのだった。

 そして、今でも雪は龍一の隣にいる。

「なんで、なのよ……」

 逆上した蛍が、雪をうつ伏せにして左腕を極めながら馬乗りになる。

「なんで龍一の隣にいるのが、あたしじゃないのよ」

 蛍の本音を聞いた雪は、このような体勢にされながらも、どこか安心した。なんとなく、そういった感情があると思いつつも、胸襟を開いた語らいは初めてだったからだ。

 だからといって、雪も唯唯諾諾と受け入れることはできない。痛みをこらえながら反抗する。

「こ、ここは……!」

 雪の叫びに、蛍の手が一瞬弛む。その隙に続けた。

「ここは、わたしたちの家じゃないのよ。龍一くんの住処なんだよ。ここを荒らすことは許されないわ」

 雪を押し倒した勢いで、テーブルは倒れ、その上にあった食器や調味料なども散乱し、割れている物もあった。

 その光景に気づいた蛍は、ゆっくりと立ち上がり、雪を解放する。

「雪のそういうところ、本当に気に入らないわ……悪かったわね」

 立ち上がらせた雪の体を入念に整え、黙って片付け始める蛍。お互い、いまだ息が激しい中、外の雨音は若干弱まってきていた。

 雪も片付けようとするが、蛍が自分の責任だとして断る。しかし、

「今、何時? もしかしたら龍一くんが用事を済ませて、まっすぐ帰ってくるかもしれないわよ。そうなったら……」

 この部屋の惨状を見られてしまう――それは甚だまずいことと認識した二人は、どちらが指示するでもなく、迅速に清掃を行った。


「龍一です」

 チャイムが鳴らされて名乗りがされたのは、清掃を開始して二十分後だった。少し前に一通りは終わっていたのだが、細かい見落としはないかと部屋の隅々を何度もチェックしていたところに龍一が帰ってきたのである。

「よっ、龍一。おかえり」

「あれ、蛍? 来てたのか」

 蛍が出迎えたことに龍一は驚いた。雪も平静を装うため、笑顔を作って手を振った。

 龍一には、蛍が買い物帰りに土砂降りに遭い、雨宿りも兼ねて、さくら荘に寄らせてもらったと説明。作り話ではないので問題はなかった。

「まったく、ひどい大雨で散々よね。まあ、こんな日もあるわ」

「そうね。わたしも出かけようかと思ったけど、そうしなくて良かったわ」

「ほら、手土産にドーナツも用意してきたんだから、皆で食べましょう」

「わあ、さすが蛍ね。それじゃあ、わたしはコーヒーを淹れるね。あ、龍一くんは座っててね、全部やるから」

 何事もなかったことをアピールするため、必要以上に陽気を振り撒く姿は、第三者から見たら滑稽に映ったかもしれない。だが二人は真剣だった。必要なことを全力でやる、それだけである。

 とにかく今は、龍一と過ごすティータイムを楽しむことにしようと思う蛍と雪だった。


(続)

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