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本日は日曜日。この日は朝から曇天で、本格的に台風が近づきつつあり、その前兆の風景に思えた。
いつ雨が降り出してもおかしくない天気。それにも関わらず、龍一は外出をする。重要な用件ができたこともあるが、昨日の雪の告白に、どのような対応をしていいのか、わからなかったからだ。
あの買い物帰りの後、雪はすぐに横になって眠ってしまい、起きた時には何も覚えていなかった。正確には酒屋の事件までは思い出したが、その後のことまでは思い出せずにいた。龍一も無理に思い出すこともないと助言して、ひとまず終わった。
図らずも月下氷人などと呼ばれ、今日の外出も相談者からの最終調整によるものだった。このようなことをしているにも関わらず、自分のことになると何もできないでいる。
あの告白は、酔った上でのうわごとかもしれない。しかし、酔った勢いで本音が出たのかもしれない。
いずれにしろ、自分に都合の良い解釈を必死に探しているようで、情けなかった。今は雪といる時間を少しでも減らそうと、今日はお互い自由行動で過ごそうと提案し、早朝から出かける始末だった。
正午を過ぎる頃には、龍一の用件は終わっていた。駅前にいた相談者に、最後の段取りを済ます。あとは本人次第。恋仲の結末を見届けたりはしない。月下氷人として、お膳立てをするだけである。
先程から、雨が降ったり止んだりを繰り返していた。龍一も傘を差しながら、駅からの帰り道をゆっくりと蛇行する。どこかで昼食を取って時間を潰そうかと考えていると、
「室瀬くん?」
と声を掛けられ、振り返る。そこには一人の女性が立っていた。直接会うのは二年振りのため、思い出すのに一瞬掛かった。
「沢渡夫人、ですか?」
名前を覚えていなかったため、適切な呼称をする。呼ばれた夫人は、こそばゆさを感じながらも肯定した。
蛍と雪の母親。最後に会った時より、やつれているように見えるのは先入観からだろうか。
改めて状況を考えると、気まずい。現在の二人の共通項は沢渡雪である。お互い、思うところが多々あり、しばらく立ち尽くしてしまう。だが、このままでは埒が明かない。
「あの……昼食は、お済みですか? そこのファミリーレストランに行きませんか?」
龍一が、場所を変える意味で夫人を誘い、夫人も同意した。
店内に入った途端、外は土砂降りとなり、避難の意味でも助かった。
この天気や学校でのことなど、ありきたりな日常会話を交えながら、各々に注文したメニューを平らげ、コーヒーのみとなったところで、夫人が本題に入った。
「今日は、その……雪はどうしてるの?」
「雪さんは、今朝は僕の部屋にいました。今日は、お互い自由行動なので、雪さんもどこかに出かけているかもしれません」
「そう……雪は元気にしてるの?」
「……はい。現在は先週よりも明るくなっています」
「…………」
多少の皮肉を込めて言い放ったことに、後悔の念が生じた。龍一とて夫人を追い詰めるような真似はしたくなかったが、感情が言葉の一端に出てしまう。
「僕からも聞きたいことがあります。いいですか?」
「え、ええ。どうぞ」
「そもそもケンカの原因は何ですか?」
「…………」
「すみません。他人の僕が気安く聞いていいことではなかったですね」
夫人の沈黙が答えとなり、龍一は瞬時に切り替えた。その内容から、もしかしたら突破口があるのかもと思ったが、その中に大人の事情が絡んでいるのなら、ケンカの理由や原因を聞いても意味がない。
そうなると解決策は、やはり原点となる。
「事実として、雪さんは家に帰ることに恐怖を感じています。それは、また酷い目に遭うと思っているからです。だから雪さんが家に帰るためには、そこが安心して暮らせる環境であると、わからせないといけないんです。そして、それができるのは、ご両親だけなんです」
「室瀬くん……」
「出過ぎたことを言っているのは、重々承知の上です。ですが、どうか考えてください。どうやったら、雪さんを助けられるのかを」
最後は仰々しい物言いになってしまったが、これくらい言わないと響きそうになかった。いや、これでも動いてくれるかどうか定かでないと龍一は感じている。所詮、子供の言動である。種を蒔いて芽を出すかは運次第と思っていた。
「わかったわ、何とかやってみます……ところで、室瀬くん」
「何でしょうか?」
「雪とは、もう一週間以上は暮らしてるのよね」
「そうなりますね」
「室瀬くん、あのね……雪とは……その……つまり……」
歯切れの悪い曖昧な物言い。ここから察せられるのは、親心として当然の懸念。娘が、見知っている親しい友達とはいえ、男と暮らしている。そこから思い至る体の重なりを、気に病まずにはいられないだろう。
そうだとすれば、これは雪が必要悪として役割を果たせている証拠でもあった。言葉より行動が効果的なのも真理である。
「安心してください。雪さんに不自由はさせていないつもりです。夫人が心配するようなことは何もありません。その点は信用してください」
夫人が別の意図を述べようとしていた可能性もあるので、あまり先回りしたことは述べないようにしておく。夫人は曖昧に頷きながら、得心がいっていない感じに見えた。だが龍一は、これ以上の回答を与える気はない。そこまで雪の身が心配なら、どうするべきか。そこに自ら至らなければ、この問題は解決しない。当初の解決策に変更はなかった。
「雨もそろそろ弱まってきましたね。また強くならないうちに帰りましょうか」
「ま、待って、室瀬くん」
そう言うと夫人は、カバンから封筒を取り出して、龍一の前に差し出した。
「雪が迷惑を掛けて申し訳ないわね。これを生活費の足しにして――」
言い終わらない内に、龍一は封筒のお金を突き返す。
「旦那さんにも言いました。僕は自分の責任で雪さんと暮らしています。その責任を果たしているだけですので、このようなものは不要です」
「でも、人ひとりが増えての生活は大変でしょ? だから……」
しばし押し問答となったが、封筒を受け取らない代わりに、ここの会計を夫人が持つことで収まった。
夫人と別れてから龍一は、また雨足が強くなってきた中、淀みない足取りで帰宅していく。
雪の件は、まだ何も解決していない。改めて、雪を守らなければと決意する。告白で浮足立っている場合ではなかった。物心ともに、雪から距離を取っていたことを恥じ入る。
きちんと向き合っていこうと、さくら荘一〇四号室に到着した龍一は、ドアを直接開けようとして制止する。前回、これで雪の背肌を見てしまったことを思い出す。部屋の明かりは付いているので、雪は出かけていないのだろう。チャイムを鳴らして名乗ると、ドアが開けられた。
「よっ、龍一。おかえり」
「あれ、蛍? 来てたのか」
出迎えたのは蛍だった。雪も部屋の奥にいて、笑顔で迎えている。
買い物で外出していた蛍が、土砂降りに見舞わられ、さくら荘が近かったこともあり、雨宿りも兼ねて寄らせてもらったのだという。
「まったく、ひどい大雨で散々よね。まあ、こんな日もあるわ」
「そうね。わたしも出かけようかと思ったけど、そうしなくて良かったわ」
「ほら、手土産にドーナツも用意してきたんだから、皆で食べましょう」
「わあ、さすが蛍ね。それじゃあ、わたしはコーヒーを淹れるね。あ、龍一くんは座っててね、全部やるから」
蛍と雪が笑顔を振りまきながら、てきぱきと動いてくれている。龍一は言われた通り、テーブルの前で座っていた。
二人とも活動的なのは良いことだが、なんだか妙に気分が高揚しているように見える。嵐の前はそういう気分になると言われているが、あれは男子に見られる傾向ではなかったか。
何にせよ、この天候とは相反する気質があるのなら、それを否定する理由はない。この場で、母親に会った話をするのも適切ではないだろう。かえって二人に心配をさせかねない。
今は、蛍と雪が用意するティータイムを楽しむことにしようと思う龍一だった。
(続)




