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お待たせしました。再開です
その日、東京郊外にある綾城小学校の六年生と五年生に、転校生が来た。一人は工藤栞、もう一人が室瀬龍一だった。
二人は同じ施設で育った幼なじみで、ある事情から学校には通っていなかった。昨今、様々な要因で発生していることなので、珍しいことではない。
社会通念上の義務の遂行、本人の心身の正常化、抱えていた問題が解決されたと判断――そういった、一定の目処が立った時、すぐに通えるよう、施設側と学校側は相関体制を整えていた。
しかし、そのような複雑な事情は子供たちの関知するところではなく、クラスの皆は転校生を初めて迎えるというイベントに色めきだっていた。
沢渡蛍は、教師から転校生の加入を伝えられた時、小さく拳を握って喜んだ。教室に入ってきた龍一に軽く手を振り、それを見た龍一も手を振り返す。
実はこの三日前、蛍と雪は、すでに龍一と会っていた。学校の下見に来た龍一が、その周辺も見て回ろうと、目に入った神社に寄ったところ、雪が境内でうずくまっていた。蛍と長時間の買い物をした結果、脱水症となっていたのである。龍一が話しかけながら、自分のミネラルウォーターを飲ませようとしたところ、スポーツドリンクを買って戻ってきた蛍に、不審者扱いされたのが出会いだった。
その後、お互いのことを話していくうちに意気投合し、すっかり友達として接するようになった。
「あたし、転校生なんて初めてなのよね、楽しみ。うちのクラスに来てくれないかな」
「えっと、沢渡さんは一組で、沢渡さんが二組なんだよね」
「ちょっとちょっと。それじゃあ同じで全然わからないじゃない。あたしのことは蛍でいいわよ。双子なんだから、名前で呼ばれないと、わからないわ」
「あ、ごめんなさい。蛍さん」
「さん、も要らないわ。その代わり、あたしもあなたのこと、龍一って呼ぶことにするわね」
「わかったよ。僕もその方が気楽だ。よろしく、蛍」
そう言うと龍一は、右手を差し出してきた。握手を求めている。男子の手を握ることに気恥ずかしさを覚えるものの、映画のような場面に心躍った蛍は、ぎこちながらも、しっかりと握手を交わした。
「そして、雪さん。いや、雪って呼んだ方がいいかな。僕のことも龍一って呼んでいいから。今後ともよろしく」
同じく握手を求めたが、雪はなかなか応じてくれない。それでも龍一は、急かすことなく手を差し伸べ続け、ようやく優しい握手をしてくれた。
「よ、よろしく……龍一、くん」
耳まで真っ赤になっている雪の声は、か細かったが、きちんと目を見て言ってくれた。その芯まで見通してくるような眼差しに、龍一は呆然とする。どこかに吸い込まれそうな感覚に陥り、しばらく固まった。
「……いつまで握ってるのかしら?」
わざとらしく咳払いをする蛍に促され、握手を解く。と同時に、雪がふらついて倒れそうになったところを、龍一が抱える。また体調が悪化してはいけないので、そろそろ解散することにした。別れ際、蛍が願いを掛ける。
「それじゃあ、今度は学校で。ねえ、龍一。絶対にうちのクラスに来て。約束よ」
「ど、努力はするよ。でも、どのクラスになっても、雪たちには会いに行くから。それは約束する」
最後に雪と蛍を交互に見て、龍一は神社を後にした。その姿を蛍は嬉々として見送り、雪は一心に見詰めていた。
転校初日、蛍のいる一組に入った龍一は、最初こそ、その背の低さから戸惑われたが、その後は、特に問題なくクラスメイトと話せていた。これには蛍との下地があったことも貢献し、おかげで男女分け隔てなく友好的でいられそうだった。
二組にいる雪にも、早めに会っておきたかったが、授業の準備やクラスメイトからの質問攻めで足止めを食い、今日は無理かもと思ったが、昼休みに一組の廊下の前で雪が待っていた。どうやら授業の合間にも、一組を覗きに来ていたみたいで、会う機会を窺っていたようだった。
そんな健気さに応えるよう龍一は、雪に学校の案内を頼み、放課後は蛍も一緒に学校を回りながら楽しく過ごしたのだった。
それからの蛍の生活は濃密なものとなった。
まず、龍一の幼なじみという工藤栞と知り合い、その力を見せられたこと。栞は剣術を身に付けており、その一端を見せてもらってから、畏敬の念を抱くようになった。
トマリギを紹介され、龍一と一緒に食事をしていた時、離れたテーブルにいた高校生の恋愛事情を知った龍一が、その恋仲を取り持ったのである。後に月下氷人という異名を、蛍が知ることになる最初の出来事だった。
お互いの親の話になった時、最初、龍一は特に感想を持っていなかった。だが内心では自分を放置している親に対して憤っていると、感情を顕にする場面があった。蛍と雪は、最初こそ戸惑ったが、自分たちの親も毎日のようにケンカしていることを引き合いに、共感意識が生まれ、絆が深まったのを感じた。
子供がさらわれているという古い館に忍び込み、これまでにない体験をした。その時は栞も参加し、忘れられない大冒険となった。
誕生パーティーに龍一を招いた。栞同伴とはいえ、自宅に同年代の男子を迎えたのは初めてだったので、少し緊張した。龍一も同様らしく、同年代の女子へのプレゼント選びに戸惑ったと語り、その結果、テディベアを贈ってくれた。赤いリボンと青いリボンの二種類を用意してくれて、とても嬉しかった。
その他、悲喜交交のエピソードが、龍一と共にいることで形作られていった。いつしかそれが当たり前となっていき、まるで以前からの日常の一部のように、自然と過ごすようになっていた。だからこそ、そんな日常が突然なくなることなど、予想だにしなかった。
龍一が中学進学とともに、広島へ引っ越す。それを当人から聞いたのは、小学校の卒業式の一週間前だった。あまりの唐突な事実に、蛍は頭が真っ白になる。受験の話もなかったので、このまま一緒に綾城中学校へ行くものとばかり思っていたからだ。
両親の仕事の都合上とのことなので、その点を追及しても、しょうがないことだった。しかし龍一は、その事に関して平然としていた。まるで別れなど気にしている様子がなかった。
「なんだか、普段通りよね……なんで龍一は、そんな普通にしてられるの?」
「蛍……」
呪詛のような響きを放つ蛍に、龍一は固まってしまう。申し訳なく思った龍一が「ごめん」と謝り、その日は別れた。
家に帰った蛍は、しばらく呆然とした。龍一と知り合ってから、二年弱。蛍には友達も多く、付き合いの長さでいえば、彼以上の友達は、たくさんいる。しかし、付き合いの深さでいえば、彼以上の人は、いなかった。
雪は知っているのだろうかと、恐る恐る聞きに行ったところ、雪も初耳だったようで、大層衝撃を受けていた。自分たちは、それほど重要な存在ではなかったのかと憤るのと同時に、雪にだけ知らせるような真似はしていなかったことに、安心してしまった。
翌日、学校で龍一から話があると言われ、放課後に雪とともに残り、事情を聞かせてもらった。
「以前は、各地を転々としていたのが当たり前でね。その時にできた友達とも、すぐに別れることなんて珍しくなかったんだ。それに今回は、いずれ戻ってくる可能性が高い。だから、さくら荘の住処もそのままにしておくんだ。でも、問題はそこじゃなかったね。蛍と雪には、きちんと話しておくべきだった。ごめんなさい」
龍一の謝罪に、胸が締め付けられる。男子が女子に謝るのは、かっこわるく絶対にしないという態度の多い年代で、ここまで素直にされると心に響く。
「寂しいのは、僕も同じだよ。でも、二人のことを忘れたりはしないよ」
「な、何を言ってんのよ! あたしは別に寂しくなんかないし」
「……わたしは、寂しいよ」
龍一の言葉に反発してしまう蛍に対し、雪は素直にぶつかっていく。雪を見つめる龍一。最後の最後で蛍は後悔した。
「な、なるべく早く戻ってきなさいよ。雪を寂しがらせるんじゃないわよ」
こう言うのが精一杯だった。
卒業式の翌日、簡単な壮行会が行われ、龍一は広島に向かった。
結果から見れば、一年で帰ってくるのだが、蛍と雪は空虚感に包まれた。特に蛍は、肝心なところで突き放す態度を取ってしまう自分に、腹立たしさを覚えていた。
このような状況になって初めて蛍は、龍一を好きだったのだという気持ちに気づいたのであった。
(続)




