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 雪が龍一のもとに避難してから、今日でちょうど一週間。切りの良い日数が、問題を解決することもあるだろう。しかし、その恩恵には預かれず、今までと同じようで違う新たな日常は続く。

「ほら、もたもたしないで、早く動け!」

 体育教師の掛け声が響く校庭では、体育祭に向けての練習が行われていた。

 今日は、二年五組と二年六組の合同体育。一通りの行進や整列の練習が終わると、集団競技の予行演習が始まる。男子は棒倒し、女子は大縄跳びである。

 合同授業なので、龍一は、つい稗田の姿を探してしまう。見つけたところで、特に意味はないのだが、やはり意識が向いてしまう。

 昨日は一応、トマリギからの帰路を別々にし、雪が自宅近くまで行ったら、さくら荘へ赴くようにした。

 現在、稗田は快晴の下でクラスメイトと朗らかに喋っている。競技が始まれば好戦的にもなろうが、普段は柔和な雰囲気であり、自然と人の中心にいる存在である。昨日の勉強会で、一種の親交が生まれたとは思うが、龍一に向ける稗田の感情が、どういう性質のものなのか、ある程度は推測できればと思ってしまう。

 堂々巡りの中、棒倒しの準備が着々と進んでいく。予行演習なので、激しい闘争は自重されているが、龍一は気が進まない。どう考えても、貢献できそうにない種目である。防衛側にいると敵の蹴りが激しいので、攻撃側に回って敵陣周辺で適当に騒ぎ立てる。それが龍一の作戦だった。

 女子群は、すでに大縄跳びを開始しており、掛け声を合わせて跳んでいた。蛍が、溌剌とした笑顔で軽快に跳んでいる姿が目に映る。手洗い場での報告の時には、いまだ変わらない両親の対立に、深刻な態度を見せたが、それ以外では、終始朗らかにしている。これが本来の蛍の姿なのだと龍一は再確認し、自然と笑みがこぼれた。

「こら、龍一。目がエロいぞ」

「な、なんだよ、彰。離せよ」

 クラスメイトで小学時代からの友人、黒須彰が龍一の首に腕を回してくる。女子ばかり見ている姿を見咎めたようだ。

「胸が揺れるのを期待してるのか? でも、うちのクラスで、揺れるほど胸のある女子は、いないだろ……あ、西園寺なら、あるか」

「バカ、いきなり何を言い出すんだよ」

 西園寺透子は、クラス委員長である。背がモデル並みに高く、人気も高いが、もちろん見ているのは彼女ではない。

「わかってる、蛍を見てたんだろ? 最近、よく一緒にいて、仲良くしてるみたいじゃないか」

 彰の指摘に、龍一も狼狽する。

「何を言っているんだよ。蛍は彰とも仲良く話しているだろ?」

「そうだけどさ。いや、そうじゃなくて、なんかこう……他の奴らが入っていけない空気っての? そういうのがあるってことだよ」

 手洗い場でのことを言っているのかと思ったが、それも含めた全体像を指しているのだろう。確かに蛍と話す機会は、状況が状況だけに、これまでよりも格段に多くなっている。

 もともと蛍とは、気が置けない間柄として楽しく過ごしていた。それは蛍自身の快活な人となりにもより、龍一もその気質にずいぶんと助けられた経緯がある。

 そんな彼女だからこそ友達も多いが、その中でも龍一とのやり取りは、周りから見れば、特別な関係に映っているのかもしれない。

 そう意識すると龍一は、今までとは違った感覚で、蛍のことを目で追ってしまう。自分は蛍のことを、どう思っているのか。今は雪のことで手一杯だが、いずれ蛍とも、きちんと向き合う必要が出てくるかもしれない。

 その蛍は今、縄を跳ぶたびに右の三つ編みをなびかせ、躍動感に満ちている。それと同時に、体操着がめくれた胴体の素肌から、小さな窪みがさらされ、一種の催春性を醸し出していた。

「ほら、今だって蛍を、じっと見てるんだろ? 龍一の視線をたどれば、わかる――」

「み、見るな!」

 蛍に視線を向ける彰を、龍一は強引に自分へ向かせる。蛍の体を見せたくなかった。もうすぐ棒倒しが始まると諭し、自身も目の前の競技に集中しようとした時、女子群から悲鳴が聞こえた。


「大丈夫、雪さん?」

「うん。ありがとう、稗田くん」

 保健室で、右足に包帯を巻いた雪が、稗田に付き添われている。体育の授業は、まだ続いており、窓越しから、くぐもった掛け声が断続的に聞こえていた。

 雪の怪我は、大縄跳びによるものだった。息の合った跳躍が順調に進んだせいか、縄の回転速度が次第に増していき、皆も熱くなって無我夢中で跳び続けた。だが次第に体力の限界も近づき、しかし、回転速度は変わらなかった。その結果、雪の足が引っ掛けられたのだが、増幅された縄の威力は、雪の体を宙に浮かせて側転させたのである。雪は、そのまま右足から落ち、強い衝撃を受けたのだった。

「まさか、あんな風に回転するなんて思わなかったわ。正直怖かった」

「普通は怖いものだよ。それなのに皆は、宙返りしたことを面白がって、はしゃいで……とんでもないよね」

「わ、わたしは別に気にしていないわよ。だから皆のこと、そんな風に言わないで、稗田くん」

「……わかったよ。雪さんは優しいね」

 稗田の笑顔を直視した雪は赤面し、下を向く。なんだか、こそばゆくて間が持たない。養護教諭も、稗田に雪のことを一任して用向きに出かけたので、今、保健室では二人きりである。

「稗田くん。わたしは、もう大丈夫だから、皆のところに戻ってあげて。まだ授業は終わってないでしょ?」

「雪さんは、俺と一緒にいるのが嫌?」

「え? そ、そんなことないけど……」

 稗田を取り巻く雰囲気が、重苦しく変わった。雪もそれを察して動揺する。

 本来、怪我をした雪を保健室まで運ぶのは、保健委員である濱崎のはずだったが、クラス委員長の稗田が、悲鳴と同時に雪の元に駆けつけ、保健室まで疾風の如く連れ去ったのであった。

 稗田には別の目的があって来たのではないかと、雪は警戒する。

「最近、室瀬くんと、よく一緒にいるよね。前から、そんなに仲が良かったっけ?」

「い、いきなり何を聞くのよ」

「答えられないの?」

「……普通よ、普通。友達なんだし、仲が悪いわけないわ。だいたい、わたしと龍一くんって、学校でよく一緒にいる? 稗田くんとの方が、ずっと一緒にいると思うんだけど」

 稗田の内心は煮えたぎっていた。雪の言っていることは嘘ではない。クラスの関係もあり、学校では龍一よりも稗田と話す方が多い。

 では学校以外では、どうだろうか。

 稗田は、登校時に校門で、雪が龍一と肩を並べている姿を目にしたことがある。もっとも、蛍も一緒だったので、双子の登校に龍一が校門前で合流したもの、と認識していた。

 しかし、クラスメイトから集めた室瀬龍一に関する情報によると、この三人は通学路から、ずっと一緒に並んで、楽しく会話をしながら登校しているという。しかも朝には、お互いの家を交互に訪問して出迎えをしているとも聞いた。

 そして下校時になると、龍一は雪と二人きりで校門を出ていくという。それも、ここ最近になって頻繁に。

 さらに、私服姿の龍一と雪を、街中で見かけたという目撃情報もあった。二人が商店街で買い物をしている姿を目撃している稗田だけに、私服で普段から親交を持つ間柄という事実は、衝撃的だった。

 だが全てはクラスメイトからの間接的な情報である。どこまで正確かは、わからない。雪自身に直接聞いてみたいが、どうしても踏み出せないでいた。自分が好意を寄せている女子から、真実が語られるのが怖かった。その真実が、自分の聞きたくないものなら、尚更に。

 そんなことを考えているうちに、龍一に対する憤りが徐々に生じ、無意識のうちに呪詛のような呟きを漏らすまでになっていた。このまま遅れを取るわけにはいかないと思い、昨日など、勇気を出して雪を下校帰りに誘ったものの、その後のやり取りで、当然のように龍一が一緒にいたのも本当は違和感でしかなかった。

 とはいえ、龍一自身との仲を拒絶する気はない。ここ数日での交流は友好的なものであり、友達付き合いができていると認識できていた。しかし、恋愛は理屈ではなかった。

「ここ最近、放課後は室瀬くんと一緒に帰っているよね。蛍さんとは、帰らないの?」

 稗田は、下校時の件のみを、さも自分が見たように聞いてみた。全ての件を追及するのは、雪を犯人扱いするようなので、禁止にする。

「ほ、ほら、蛍はリレーの選手でしょ? 練習で忙しくて一緒に帰ろうにも帰れないのよ。今日も確か、蛍は練習があったって思うんだけど……どうだったかな? やっぱりクラスが違うと、どうなっているのか、わからないわね」

 雪の苦笑が、そらぞらしく感じ、稗田は焦れる。人は嘘を吐く時、言葉数が多くなるというが、雪の場合、嘘を吐いてはいない。ただ、肝心なことを言わないだけである。今も雪は、龍一と一緒に帰っているのかどうかを話すことなく終わった。

「雪さん、その足じゃ帰るのが大変でしょ? 蛍さんも練習だし、俺が家まで送るよ」

「い、いいわよ別に! そんなことしなくても大丈夫だから」

「遠慮しなくても、いいよ。本当に心配なだけなんだから、送らせてほしい」

「そんな……こ、困るわよ……」

「どうして?」

 稗田の口調は平坦だが、誘い文句は終わらない。稗田も必死だった。

 もちろん雪は、稗田の随行を許可するわけにはいかない。いまだ父親に対する恐怖の残る実家に近づくのも、龍一と同棲していることを知られるのも、絶対に阻止しなければならなかった。

「稗田くんは、人気があるんだよ。なんでもできるし、かっこいいし。わたしが稗田くんと一緒に帰ったなんて知られたら、稗田くんを好きな女子に恨まれちゃうよ」

 龍一が、稗田は人気者であると言ったことを思い出し、そこに塚原の出来事を加えて完了。しかし、稗田も引かなかった。

「じゃあ、室瀬くんは人気がないの? だから一緒にいても問題ないってこと? それは、かえって室瀬くんに失礼じゃないかな」

「そ、そんなこと言ってないでしょ!」

 雪は、つい声を荒げてしまった。龍一に対する心外な意見に、我慢ができなかった。

 稗田も、これには驚く。普段おとなしい雪が、ここまで感情を顕にするとは思わず、嫌われたのではないかと危惧する。

 お互い、気まずい雰囲気となり、一言も喋らなくなってしまった。脳内で様々な想いが錯綜して、次の行動が決まらない。

 永遠とも感じられる場の沈黙を破ったのは、保健室のドアだった。


「お邪魔しまーす……って、先生はいないの? 二人だけ?」

 見舞いにきた蛍が、遠慮がちに入ってきた。その後に龍一が続く。チャイムが鳴る前に来たのは、一通りの実技が終了し、区切りの良いところで、早めに切り上げられたためである。龍一と蛍は、体操着のまま直接、保健室へ向かったのだが、

「どうしたの、雪? 大声を上げてたみたいだけど。廊下まで響いてたわよ」

 予期せぬ雪の怒声に、龍一と蛍は呆然としてしまい、しばらく動けなかった。恐る恐る保健室に近づいても、それ以上の話声は聞こえず、ドアの前で、どちらが先に入るかを押し問答して、やっと到達したのである。

「や、やだ、そんなに響いていたの? 恥ずかしい……」

「気にすることないよ。廊下には僕と蛍しかいなかったんだから。それより、怪我は大丈夫なの?」

「うん。捻った様子もないようだって言われた。手当てもしてもらったから、しばらく動かさないでおけば、じきに治るわ」

 龍一と話している時の雪は、自然な笑顔になっている。少なくとも、稗田の目には、そう映った。

 そもそも、なぜ龍一がここに来るのかが疑問でならない。昨日の血液型の会話から、それなりに深い関係であると想像できるが、クラスも違うのに、さも当然のようにいるのが苛立つ。蛍は、雪の双子の妹なのだから、心配するのもわかる。では、その蛍に龍一が付き従ってきたと考えれば、おかしくないのだろうか。つまり、龍一は蛍のことが好きで、雪の怪我を心配する蛍に合わせているとすれば得心がいく。

 稗田は、そのように自己完結させたが、次の雪の言葉で砕け散る。

「ねぇ、稗田くん。わたし、やっぱり龍一くんに家まで送っていってもらうわ」

 突然の提案に驚いたのは、稗田よりも蛍だったろう。稗田の想い人が、他の男を指名したのである。それも本人の前で。

 そんな思惑をよそに雪は、龍一と帰路の打ち合わせをする。先程の心外発言に対する反抗心が働いていた。実家を指定してしまった手前、後で龍一に迂回路を決めてもらおうと画策する。雪なりに考えた回避策だった。

 納得のいかない稗田が、質問をする。

「室瀬くんに聞きたいことがある。室瀬くんは、蛍さんと雪さん、どっちが好きなの?」

 保健室が緊張に包まれる。これまで聞きたくても聞くのをためらわれた内容が、唐突に突き付けられた。

 蛍と雪は、あまりのことに沈黙状態となる。というよりも、下手に口を挟んで龍一の返答を邪魔しないよう配慮しているようだった。

 その龍一はというと、狼狽するでもなく、冷静に稗田の真意を窺っていた。

「稗田くん。それ、本気で聞いているの?」

「もちろん。室瀬くんは、蛍さんが好きなんだと思っていたけど、雪さんに対しても、友達以上の感情を持っているんじゃないの? もしそうなら、はっきりさせるべきだと思う。もう一度、聞く。蛍さんと雪さんのどっちが好きなの?」

 先程より、一段階高い声で問いかけられる。こうなると、質問ではなく詰問である。

 これに対して龍一は、深く重い響きをはらませて返答した。

「稗田くんが、そんな非情なことを言う人だなんて思わなかったよ」

 全てを暗闇に引きずり込みそうな龍一の雰囲気に、全員が見えない鎖で縛られる。

「どういう意味だよ?」

 直接相対している稗田だけは、持ち前の芯の強さから毅然と応じてきたが、自分より背の低い相手の底が知れず、戸惑っていた。

「どちらかが好きってことは、どちらかが嫌いってことになる。稗田くんは僕に、蛍か雪のどちらかを嫌いだって言わせたいの? それも、本人達の目の前で」

「い、いや、そんなつもりは……」

「なら、どういうつもりだっていうんだ!」

 怒号が狭い室内で反響する。これほどの怒気を発する龍一を、稗田はもちろん、蛍も雪も見たことがなかった。いつも冷静沈着で、相手が熱くなっている時でも、物怖じせず平静を保って応じるのが、蛍と雪の知る室瀬龍一だった。それとは無縁の彼が今、目の前にいる。

 そんな鬼気迫る龍一に、雪が決死の一歩を踏み込み、その腰に抱きついた。

「お願い、やめて! そんな顔しないで。わたしが悪かったから……元に戻って。お願い!」

 その哀願に我を取り戻した龍一は、自分の頬を二回叩いた。自分ではわからないが、すごい剣幕をしていたのだろう。

「ご、ごめん。別に雪を怖がらせるつもりはなかったんだ」

 ようやく落ち着きを取り戻した龍一は、雪を優しく離す。そして稗田に向き合い、怒鳴りつけたことを謝った。

「いや、俺も勝手なことばかり言って悪かったよ。さっき言ったことは、その……忘れてほしい」

 稗田の言葉に龍一が頷くと同時に、チャイムが鳴り響く。

 生徒達の喧騒が、澄んだ廊下を埋め尽くし始めていた。


(続)

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