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 キュウリを輪切りにし、それを重ねて端から千切りにしていく。

「なるほど。こうやって作っていくのね」

「一本そのまま縦に切るより、ずっとやりやすい。先人の知恵は凄いね」

 曇天の早朝。雪と龍一は、談笑しながらサラダ作りをしていた。

 ネットのレシピで、簡単なサラダの作り方を検索し、手順に則って形にしていく。また一つ、レパートリーが増えたことに、二人は喜びを顕にした。

 学校が始まってからの同棲生活も、今日で三日目。試行錯誤の日々にも、一定の型というものが出来始めていた。テレビのニュースは週末にも台風の恐れありと伝え、朝食にトーストとスクランブルエッグとサラダを用意し、二人が制服に着替え終わる頃には、

「早く開けなさいよ」

 と、蛍がチャイムを鳴らしてくる。まるで今までも、こんな日常を続けていたと錯覚してしまうほどだった。

 今朝がこれまでと違う箇所といえば、蛍が傘を持参していることだった。雪の分と二本である。

「これ、雪専用の傘だから。今日みたいな天気の日には、ちゃんと持たせなさいよね」

 そう龍一に念を押す蛍は、どこか得意気だった。


 つつがなく学校生活を送れるということは、とても貴重なことである。龍一は、そう改めて感じた。

 昨日のことで、塚原の動向が少し気になったが、現在は鳴りを潜めている様子。廊下で会うと、彼女は顔を背けて駆け出す有り様だった。

 本日は六時限目まであるが、このまま大事なく終えられるだろうと龍一は安堵していた。それを破ったのは、またもや稗田だった。


 事の発端は、学校での昼休みであった。いつも通り、授業後に手洗い場へ向かう龍一と蛍。隣のクラスから雪が出てくるのが見えたが、その後から稗田が駆け寄ってくるのも見えた。聞き耳を立てた龍一と蛍は、稗田の「今日の放課後、一緒に帰らない?」という言葉を聞いて、一気に警戒する。稗田の言動を推し量っている時間はない。とっさにどうするか、最初に動いたのは蛍だった。

 雪の元に自然な歩みで会話に割って入り、「今日は両親が用事で外出してるから、夕食をトマリギで食べることになってるの」と、家族間を盾に断りを入れるが、稗田はどこか腑に落ちない顔をしていた。そこで龍一が「その夕食まで、トマリギで勉強会をするんだ。良かったら、稗田くんも来る?」と言ったところ、稗田は逡巡の構えを見せた後、その誘いを受けたのであった。


 臨機応変と言えば聞こえは良いが、強引な点は否めない。当事者の雪はもちろん、マスターや沢渡夫妻への工作が必要となり、下校時の集合からトマリギまでの間に、龍一と蛍は携帯端末からの通信で、帳尻合わせを試みていた。

 トマリギに着いてからの予定は、飲み物の注文をした後は各々で勉強をし、適当な時刻で夕食を注文、その後は適当に解散という、おおまかなものとなった。緊急とはいえ、喫茶店に長時間、居座ってしまうことに、マスターに対して申し訳なく思ってしまう龍一だった。

 最初は四人がそれぞれの勉強を始める。今日の授業の復習や、明日提出する宿題など。そして中間テストに向けての話題が出ると、蛍が憂鬱に伏せってしまう。見かねた稗田が、試験対策の勉強を見るという流れになっていた。

「――というわけで、今度の歴史の試験範囲は、大政奉還から明治維新に掛けてで間違いないね。この辺りの重要な単語を覚えておけば大丈夫だよ」

「な、なるほど……ねぇ、新選組って出るかしら」

「おや? 蛍さん、新選組に興味あったんだね。いや、良いことだと思うよ。だけどテストには出ないだろうね」

 このような感じで、静寂に中に、少し騒がしい勉強風景が続き、龍一も安心を覚えた。こうしていると、稗田とは以前から普通に友達付き合いをしているように感じる。それゆえに、昨日の雪からの報告が違和感でしかない。自分は何か恨まれることをしたのだろうか。それをここで問いただすのは、さすがに悪手であると判断する。あえて今の友好関係を崩すこともないだろう。

 そして、もう一つ気がかりなことがある。先程、雪にそれとなく聞いたところ、一緒に帰ろうと稗田から誘われたのは、今回が初めてだったという。これまでに無かった行為が突然、行われる。そこに稗田自身による何らかのきっかけが発生しているように思えてならなかった。

(……まぁ、さすがに考えすぎかな)

 自戒も込めて龍一は、そう結論付ける。雪のことで疑心暗鬼になっている感覚もあったので、少しは楽観的にならないと身が持たないのも事実であった。友達と楽しく過ごす――それ以外に必要なことは、現時点で存在しなかった。


 一段落が付いたと皆が判断した時点で、勉強会は終了。まもなく、夕食となるエビピラフが配膳され、マスターの好意でサラダの大皿が付けられた。全員、大喜びである。

 思い思いに食事を進めながら歓談し合う姿は、和気藹藹としているものだった。これまでの蟠りなど微塵も無きが如くである。まさに、ほのぼのとした光景であった。

 やがて食後のアールグレイティーが全員分、運ばれてくる。龍一が注文したもので、蛍と雪は紅茶も平気だが、稗田の好みを考えずに飲み物を決めてしまったことに、今更ながら龍一は慌てた。だがそれは何の問題にもならず、稗田もアールグレイティーを堪能したことで、和やかに過ごせたのだった。


 その後は他愛ない雑談が続いていた。

「台風が心配だね。怪しい進路だけど、できれば体育祭には当たらないでほしいよ」

「そうね。せっかく準備してるんだし、直撃は勘弁してほしいわ」

 稗田の話に蛍が応じる。前回、トマリギでの二人のやり取りには、どこかぎこちなさを感じていた龍一だったが、今は流暢に話せていると思えていた。この話に龍一も乗る。

「そういえば、稗田くんは体育祭で何に参加するの?」

「俺? いろいろ出るけど、やっぱりクラス対抗リレーが本命だね。アンカーで責任も重いから大変だよ。そういう室瀬くんは何に出るの?」

「全員参加のを除くと、借り物競走と一一〇メートルハードル走だね。まったく勘弁してほしいよ、跳ぶことさえ一苦労なんだから」

 前者はともかく、後者は龍一にとって、身長面から、しんどい競技だった。特に候補のいない種目には、くじ引きで決めるというのがクラスの方針で、それに当たった結果であった。

「そうか、借り物競走か……」

 だが稗田は、借り物競走に興味を示す呟きをした。そこには憐れみにも似た色が見て取れた。何かあるのかと、龍一は蛍と雪の方を見るが、二人とも能面な表情をしていたので、二人にもわからないのだろう。

「そ、それにしても、今日は雨が降らなくて良かったわね」

 龍一の視線を、何らかの反応を促していると捉えた雪が、適当な話を継ぐ。自分から話題を振るのは得意でない雪に、気を遣わせてしまったようだ。

「まったくよね。でも、しばらくは傘が手放せない日々が続きそうだわ」

 そこから蛍が続くが、龍一は吹き出してしまう。

「何を言っているんだよ。今日の帰りに、さっそく傘を手放していたじゃないか。指摘しなかったら、見事に忘れていたよな」

「あ、あれは、単なるうっかりよ! 龍一なんか傘すら持ってこなかったじゃないの」

「残念、カバンの底に携帯傘を忍ばせているんだよ。僕は小さいから、このサイズでも十分に入るのさ」

「ふん、自分から背の低さをアピールするなんてね。龍一はO型だから、いつまでも、そのままかもしれないわよ。成長させる努力をしたら?」

「蛍こそAB型なんだから、成長にバラつきがあるんだよ。身体能力は高いのに、今日みたいに注意散漫な点もある。ものすごいと感じる部分と、どうしようもなく残念と感じる部分がはっきりしているよな」

「ふーん……じゃあさ、あたしの体のどこが成長してて、どこが残念って思ってるの?」

 そう言われて、龍一は蛍の胸に視線を向ける。

「ちょっと、どこを凝視してるのかしら?」

「て、訂正を求める。凝視じゃなくて一瞥だ」

「……また、よくわからない言葉を使うんだから。そういうところ嫌い」

 慌てて雪が説明に入る。

「え、えっと、蛍? 凝視は『じっと見つめる』で、一瞥は『一瞬見る』って意味だよ」

 わざとらしく咳をして恥ずかしさをごまかした蛍が仕切り直す。

「わかってるの、龍一? これまでの言い分、全部、雪にも当てはまるのよ。雪もAB型なんだから。雪にも成長度合いの分析をしてみる?」

「い、意地悪だな。雪もその……成長しています」

 最後に雪が、左腕で胸を隠す仕草を行って終わった。

 だが稗田は終わっていなかった。三人の会話を呆然と聞くだけだった姿に、龍一が気づく。

「あ、ごめん。勝手に盛り上がっちゃって。ちなみに稗田くんの血液型は何なの?」

「え? あぁ、B型だけど」

 それを聞いた三人は、腑に落ちたといわんばかりの顔で頷く。その様子は、どこか憧憬を感じさせる清清しいものだった。

 一般的な血液型占いの内容は稗田も知っている。その占断の是非はともかく、ここまでの三人の会話は、その内容とは照らし合わされないものだった。しかし、三人の間では整合性は取れている。つまり共通認識があるということだ。

 稗田は疎外感に苛まれた。そして自分の知らない雪の一面が披露されたことに焦りを覚える。ここで血液型の話の真意を聞くことも考えたが、そうすると負けてしまう気がした。特に室瀬龍一に。


 もうじき解散しようという流れになり、その前にトイレへ行く稗田。用を足した後、マスターの傍を通ろうとして、閃いた。龍一は、この喫茶店の常連だという。ならば、このマスターなら龍一の諸事情に精通しているのではないか。先程の血液型の話も、その意味するところを理解できているのではないかと期待し、恥を凌ぐような心境でマスターに質問してみた。

 するとマスターは、得心したように半笑いで教えてくれた。

「あれはゲームの話だよ。それに絡めて、あの手の会話をするのは日常茶飯事なんだよ」

 そう言うと、そのゲームのタイトルを教えてくれた。

 帰宅してから稗田は、そのゲーム『バルキリーの伝説』について詳しく調べた。いわゆるレトロゲームであり、自分たちの生まれる前から存在しているものだったので、タイトルを聞いても、どのようなゲームか、わからなかった。

 では、なぜ龍一たちが知っているのか。マスターの話では、龍一自身も近所のお兄さんから勧められてプレイし始め、それを沢渡姉妹にも勧めて、一緒に熱中してきたのだという。すでにオリジナルソフトは入手困難なため、ネットで復刻ゲームとして配信されているのを購入している。

 そして、このゲームシステムの特徴として、キャラクターメイキングがある。今でこそ、プレイヤーの自作は当たり前にでき、細部にまでこだわる作成が可能とされるものも多いが、当時は斬新なシステムだった。

 ただ、できることは少ない。特定された主人公のカラーを四種類から選ぶ。星座を選ぶ。そして、血液型を選ぶ。これだけだった。その血液型の選択で、主人公の成長具合が異なるというものがあった。


A型――平均的に成長するバランス型

B型――序盤から急激な成長が見込めるが、終盤は成長が鈍化する早熟型

AB型――成長速度が早い時もあれば遅い時もある不規則型

O型――序盤は成長が遅くて苦労するが、終盤から格段に強くなる晩成型


 龍一たちの会話は、このゲームシステムを元に交わされたものだった。思い返せば、全部成長に関係するやり取りだったので、身体的または精神的な成長を指摘し合っていたのだろう。稗田の血液型を聞いて感心されたのも、年齢に比べて大人びているという好意的解釈から来たものと察せられる。そう思うと、稗田も悪い気はしないが、今回のことであの三人は特別な輪の中にいると感じてしまい、ますます焦りを覚えた。

 この先どうするか、いろいろ考えたが、まずは自分も『バルキリーの伝説』をやってみようと思い、ゲームを探すところから始めた。


(続)


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