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 夕暮れ時の、さくら荘一〇四号室では、学校での出来事が話し合われていた。

「確かに塚原さんは、自己中心的なところもあるけど……そんな風に、露骨に罵倒するような人でもなかったわ。少なくとも、わたしの知る限り」

 龍一は雪に、塚原の人となりを聞いてみた。雪の心証を信じるなら、俗物ではあるが、普段からあのような態度を取る女子ではないらしい。ということは、そうさせる何らかの要素が、近日中にあったということだろう。それも、室瀬龍一に的を絞らせるような要素である。

「ねぇ、雪。二年五組の中で、僕の名前が出てくる話を聞いたことある?」

 同じクラスから、三人も敵対者が出てきているのである。そこに何らかの原因があると思えてならなかった。

 雪の反応は、言葉を呑みこんだ沈黙だった。

「……あるんだね」

 龍一の追及に、雪は目を逸らす。あまり龍一に聞かせたくない話のようだ。遠慮なく、ありのままを話してほしいと、龍一は丁寧に催促し、ようやく雪は喋り出した。

「稗田くんがね……」

 出てきたのは、あの稗田の名前だった。彼が何かの要なのだろうか。龍一は、先を促す。

「いろいろと聞き回っていたの。室瀬くんって、どんな人なのかって。最初は単なる日常会話や興味本位の話だと思っていたんだけど……次第に苛立っていたように見えたわ。そして、たまたま、稗田くんの呟きを聞いちゃったの。『室瀬の野郎……』って。なんだか、おぞましくて怖かったわ」

 雪の声では迫力不足だったが、よほど怨嗟の籠もった響きだったのだろう。雪の体が、小刻みに震えている。

「で、でも、何かの間違いだと思うの。友達のことを、そんな恨みがましく言うなんて、稗田くんらしくないもの」

 この友達というのは、龍一のことを指している。二日前に、初めてまともに会話をして、それで友達というのも違和感があるが、雪の感性では、すでに自然な友好関係となっているようであった。

 純粋な心は貴重だが、雪の知っている稗田が全てでないのも確か。特定の人の傍に長年いようと、その人の感情や思惑など、正確に把握できる者など皆無である。

 ふと、龍一は、ひとつの疑問を感じた。

「稗田くんは、雪にも聞いてきたの? 僕のことを」

「あっ、そういえば、わたしには聞いてこなかったわ」

 なんだか妙な話だった。稗田は、龍一に関する何らかの情報がほしいとみて間違いない。それなら、二日前に龍一と一緒にいた雪は、絶好の標的のはず。そんな彼女を避ける理由が、わからない。

 トマリギで稗田に会った時は、人当たりも良く、律儀で、好人物な印象を持ったものだが、そんな彼に、いつのまにか恨まれていたと思うと、龍一も困惑してしまう。

 テーブルから両肘を離して仰向けになり、唸り声を上げて身悶えをしながら考えても、龍一の頭上に閃きの光は起きなかった。そんな龍一の姿に、雪は思わず口元を緩めてしまう。どこか和む仕草だった。

 それと同時に、雪は省みてしまう。自分は龍一に比べ、ここまで一所懸命に考えているのかと。父親に殴られた日、龍一の部屋に行ったのは、一種の本能が向かわせたと言っていい。だから、その後のことなど考えておらず、自分ひとりでは、ずっと悩むだけでいたことだろう。だが龍一は違う。必要悪を考え、衣食住を整えてくれ、対外折衝までこなしてくれている。その発想と実動に、脱帽するしかない。

 今、龍一は、二年五組内のことに思考を巡らせている。雪は、自分のクラスについて、まともに考えたことがあるのかと、自問していた。

 やがて、身悶えしていた龍一が唐突に起き上がり、テーブルの上にルーズリーフとボールペンを用意した。

「これ以上、稗田くんの感情を分析しても意味がない。そういう感情があることを前提にして、なおかつ塚原たちの行動原理を踏まえて……こういうのは、どうかな?」

 クッションに座り直した龍一は、ルーズリーフに箇条書きをする。


・塚原は稗田が好き(小野と濱崎も同様)

・稗田は龍一を恨んでいる

・稗田が嫌いな龍一を塚原が嫌いになる

・塚原は龍一を目の敵にする

・塚原は龍一を屈服させることで稗田の好意を得る


 雪は驚いた。まさか塚原が稗田を好きだったとは。

「あくまで僕の想像だよ。でも、そう考えると説明がつく。雪の聞いた稗田くんの呟きを、塚原も聞いていたとしたら? それを皮きりに、塚原の感情は、あっけなく臨界点を突破し、でも味方がいないと強気になれないから仲間を引き連れ、そして、あんな悪態を披露するまでになった、と。さても醜い恋路の果てってところか」

 龍一の容赦ない結論は、自分勝手な怒りをぶつけてきた女に対してのもの。この想像が間違っていたとしても、今回のことで、塚原に対する印象は最悪になったことに変わりはない。悪意と理不尽には全力で反抗するのが、龍一の流儀だった。

「さて、当面の問題は稗田くんだね」

 龍一は、胡座を組み、テーブルに片肘を付きながら、考察を続ける。

「稗田くんは人気がある。彼の嫌う奴がいるのなら、彼のために、そいつをやっつけてやろう――そういう第二第三の塚原が現れる可能性がある。そうなると、また僕に悪質な注目が集まり、その流れから、いずれ雪にも被害が及ぶかもしれない。それだけは絶対に防がないといけない」

 龍一の口調は淡々としているが、ただならぬ内容に、雪も寒気を覚える。しかし、それ以上に、是が非でも守ろうとする龍一の決意が嬉しかった。だが、守ってもらうばかりでは申し訳ない。自分にできることを考えてみた。

「わたしが稗田くんに聞いてみようか? なんで龍一くんを嫌っているのかって」

「いや、それは危険だ。白を切られるだけだと思うし、かえって僕と雪との関連性を追及される。同棲の露見に繋がりかねない」

 的確な返答に、雪は首肯するしかなかった。

「ごめんなさい、浅はかなこと言って」

「そんなことないよ。否定されることを怖がっていたら、何も言えなくなっちゃうじゃないか。これからも、いろんなことを遠慮なく言ってほしい。そこから何か新しいアイデアが生まれるかもしれないんだから。まぁ、しばらくは、稗田くんの動きを観察するしかないね。まだ不明な点が多くて、うかつに結論付けられない。何か気づいたら、お互いに情報交換をしよう」

 それで今回の議題は終了となった。もうすぐ夕食時なので、二人とも席を立ち、台所に向かう。今日はカルボナーラに挑戦しようということで、パスタを十分に用意してある。

 雪は冷蔵庫を開け、卵や牛乳、ベーコンやタマネギといった、料理に必要な材料を取り出している。そして、冷蔵庫の奥には、モンブランが二つある。龍一が、食後に二人で食べようと買ってきたものだった。

「あ、そうだ。これ、関係ある話かどうか、わからないけど……」

「何かな?」

「塚原さんが、濱崎さんに詰め寄っていたの。『モンブランって何のこと? 正直に言いなさいよ』って。なんだか険悪な感じだったわ」

 その話を聞きながら龍一は、パスタの茹で加減を調整している。アルデンテとは、どのくらいの固さなのかが難題だった。

「濱崎さんは、いい子だよね。がんばってもらいたいよ」

「どういうこと? 龍一くん、何かしたの?」

「種を蒔いただけだよ。芽が出るかどうかは、わからなかったけど、速効で発芽したようだね」

 それでこの話は完全に終わり、現在重要なカルボナーラ作りに集中していった。


(続)

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