蛇足2本
「――で。おまえはマルカ・サージェ・ペルルシャを好いておるのか?」
その日、僕はこの国の第一王子ベンジャミン・オル・サイク・クロストフォースに呼び出されていた。
「……それはどういった意味で?」
「無論、恋仲に抱くそれ、だ」
「であれば、否と答えましょう」
「ほう?」
王宮騎士団副団長として、このお方には色々と世話になっているが、そこまで面倒を見られるのは是非とも遠慮願いたい。
「僕は彼女に物を送っただけです。何故、そんな話になるんですか……」
突然呼び出しをくらったかと思えば、楽しそうに目を細める我が主に言われるので、急いでここまで来たことを後悔した。
「聞けば、彼女を守ると騎士の忠誠を誓ったんだとか」
「マルカ嬢があろうことか、騎士である僕の目の前で男に罪を起こさせたので。己の矜持を守るためにも、あの無防備すぎる令嬢に忠告したまでです」
「…………おまえが令嬢に忠告、なぁ?」
王子は含みのある物言いで、その目を細めた。
そして、顎の下に組んだ手を机に倒すと、彼はにこりと口角を上げる。
「まあいい。ならば丁度いいのだ」
「…………」
話の流れが変わって、僕は眉根を寄せた。
何か、面倒ごとの匂いがするのは、気のせいだということにしておきたい。
しかし――。
「リカルド。おまえ、しばらくマルカ嬢の騎士になれ」
残念ながら、その予感は的中してしまった。
「………………理由を窺っても……?」
彼女の騎士になれとは、一体どういうつもりだろうか。
これでも僕は一応、副団長という肩書きがあって、よっぽどのことがない限り要人警護には駆り出されない。
「おまえが言った通りだ。彼女に何かあっては困る。――そして、彼女に何かされても困る」
ああ、なるほど。
つまり彼は、僕にこの国の情報網の集約点となりつつある彼女の護衛と監視役をさせたいのだ。
「理解しました。お受けいたします」
「……やけに飲み込みが早いな……?」
快諾したというのに、王子は怪訝な眼差しだった。
「僕も彼女には腕の立つ護衛が付いた方がいいと考えていたところだったので、丁度よかったです」
「……………………そうか」
反応が遅いのが気になるところだが、指摘するようなことでもない。
僕はその後、任務の詳細について擦り合わせをすると、通常業務の片付けに取り掛かった。
無論、護身用の道具を送っても、最初に届いた社交辞令としての礼が書かれた一通と、その次に送りつけられたもう品はいらないという断りの二通目以外は音沙汰のない、あの孤独な当主に専任で護衛をするための準備だ。
***
「…………何も、副団長である貴方が担当することはなかったでしょうに……」
男爵家に駐在することになった、初日。
皇族からの要望を無視することなどできる訳もなく、マルカ嬢はそう言って僕を迎えた。
「こうして僕が充てられるだけの人材だということを、君は理解したほうがいい」
相変わらずの価値観だ。
これでも僕は、騎士団の中では腕が立つ方で、まだ若いし未婚で身動きも取りやすい。
自分で言うのもなんだが、彼女の専任騎士として派遣されるには、僕以上の適任もいなかった。
「今からでもリカルド卿以外の人を増やすとか、女性の騎士にするとか……。もっと他のやり方をご提案したいのですが……」
「アルベルト・フォン・ガイアロンに剣を向けられても、君を守れるだけの騎士がいるというのなら、喜んで身を引こう」
「…………その、男性の嫉妬は見苦しいらしいですよ……?」
「会話になってないが?」
何をどう解釈すれば、そんな答えになるんだ。
僕は改めて、目の前の令嬢を見つめる。
わざわざ自分の足で玄関まで出迎えにきた彼女は、貴族らしくない素朴さを感じさせた。
良くも悪くも、自然体。
それが不思議と、年の若さに似合わない落ち着いた余裕を醸し出すのだから侮れない。
今まで僕の前に現れた女性たちとは、明らかに違った類の人だ。
そこで、ふと。
僕はマルカ嬢に、茶会や夜会のように飾った言葉を使ったことがないことに気がついた。
――まあ。
いかにも合理的なことを好みそうな彼女には、そんな振る舞いはいらないだろう。
断じて見下している訳ではなく、そう、これは言うなれば対抗心からくるもので。
存在そのものが国の宝となったマルカ嬢は隠さず言えば、犯罪の火種でもある。
そんな彼女が自覚のある無防備さで相手を煽るのだから、僕は騎士の矜持を以てそれを止める。止めなければならない。
「後悔しても知りませんよ。私は止めましたからね? もっと他に有意義な時間の使い方があるはずなのに」
「僕は君を守ると誓った。騎士に二言はない」
「……さようでございますか。――なら、これからどうぞ宜しくお願いします。リカルド卿」
中へどうぞ、と。
彼女はやっとそこで僕を屋敷の中へと案内してくれた。
「リカルド卿がこの屋敷に駐在することになったなんて母と姉が知ったら、喜んで戻って来そうです……。先に謝っておきますね。ご迷惑をおかけします、すみません」
「まだ起きてもいないことで謝るな」
廊下を歩きながら、マルカ嬢は肩をすくめた。
その可能性が高いから彼女はこう言うのだろうが、本人が問題を起こしている訳でもない分、謝罪は聞いていてあまりいい気はしない。
ただ――。
きっと、こうやって先回りをして、今までこの家を守ってきたのだろう。
その事については、純粋に感心する。
何となく静けさを感じる屋敷は、きちんと掃除の行き届いている。
侵入者があったとしても、汚れていればすぐに気が付ける。大切な事だ。
周囲を観察しながらついて行けば、マルカ嬢はぴたりと足を止めた。
「リリアーネ様のものは全て公爵家に送ってしまいましたが、彼女の部屋はそのままですからご安心ください」
そして、全くの予想外から投げかけられた言葉に、僕は理解が遅れる。
――なんだ。今、彼女は僕に、何を言った?
まさか、この人は僕が自分の義姉のためにでも、ここに来たとでも思っているのか?
思考が行き着いて、僕は改めて絶句した。
「…………君、僕が公爵夫人に未練があるから、この屋敷に来たとでも思ってるのか?」
乾いた口を開いてみれば。
「少しくらいはあるでしょう。でなければ、貴方はまるで私のためにここに来たみたいじゃないですか」
「――最初からそうだと言っているんだが!?」
「冗談です」
「冗談!?」
分かりにくいにも程がある。
僕は思わず突っ込みを入れていた。
「リカルド卿が私のせいで仕事に来たことくらい、心得ています。きっと退屈な日々が続くかと思いますが、ここにいる間は不自由などさせませんから。何でも好きに使って、好きにくつろいでください」
マルカ嬢は、眉尻を下げて困ったように笑う。
僕が見たことのある彼女の笑みは、いつも眉が下がっている。
そうやって困ったように笑うのが癖になっているみたいだった。