蛇足1本
私の名前はマルカ・サージェ・ペルルシャ。
真ん中に余計な文字が増えたせいで、署名をするのに場所と時間と手間がかかるので不満しかない。
ペルルシャ男爵家の正当な当主として、今は……いや、今もせっせと働いている、ただの身分卑き成り上がりの元平民だ。
十六歳の誕生日に無事――と言っては語弊のある成人を迎え、裏でこそこそ隠れることもなくなったので、仕事三昧している私の仕事部屋には二ヶ月前に買った本が未読のまま積んである。
「マルカ様! そろそろお茶にしませんか!」
そして、リリアーネ様のお付きだったはずのメイドは、嬉々としてお茶と茶菓子を載せたトレーを持って執務室に現れた。
「……私はどちらかと言うと珈琲の方が好きなんだけどな。アミ……」
青い華が咲くティーカップのセットを持ってきた彼女に言えば、
「一体、毎日何杯珈琲を飲まれていると思ってらっしゃるんですか。今日もお茶によく合うお菓子を調達してきましたから、是非召し上がってくださいませ」
にこりと笑って却下される。
つい最近までは、リリアーネ様のために働いていたアミは、どうしてだか私にもよく世話を焼いてくれた。
彼女は部屋に入ってくると、物置としてしか使われないローテーブルを片付け始める。
薄暗い書斎で「本を読んでいる」という雑な嘘を突き通す必要もなくなり、今は男爵様の使っていた執務室で仕事をしている。
「……ねえ、アミ」
「はい! なんでしょう!」
私はペンを置いて、彼女を見つめた。
「恩義を感じてくれているのかもしれないけれど、ずっとリリアーネ様に付いててくれてもよかったんだよ」
純粋に疑問に思っていたことだ。
あれだけ献身的に姉様を守ってくれていたから、アミは彼女のために動くと思っていた。
まさか、私のために怒ってくれるような人だとは思っていなくて、あの日、実は結構驚いていた。
「――――は、い??」
するとアミは、目をまんまるに見開いて。
その声に困惑が滲むのが分かったから、補足をする。
「せっかく公爵家のメイドになれたのに。こんな可愛げのない私よりもリリアーネ様の方が美人でお淑やかで優しくて、支え甲斐のある人もそういないと思うよ?」
首を傾げて見せたなら、アミはみるみるうちに顔色を変えた。
「何を言ってらっしゃるんですか!?」
本気で訳が分からない。とでも言いたげな発声だった。
「わたしはリリアーネ様の味方でいろと他でもない貴女様が仰ったからこそ、あの方のために努力できたのです! 確かに直接マルカ様にお仕えする機会はほとんどなかったかもしれませんが、ずっとわたしは貴女のメイドだというのに!!」
いつも溌剌とした彼女の声が、一気に耳に流れ込む。
まるで走った後のように肩を上下するアミの勢いに当てられて、私は面食らった。
「……え、えっと……とりあえず、ちゃんと自分の意志で私に仕えてくれてる……ってことで合ってる……?」
「とりあえず、という言葉は必要ありません」
「……そ、そうなんだ……」
――そういうことらしい。
薄々気が付いてはいたけれど、彼女も変わっている。
まあ、私はそんなアミが好きなので、こうして働いてくれているのは嬉しかった。
「準備ができましたよ」と呼ばれるから、私は長机から席を立つとソファに腰掛ける。
テーブルに置かれたのは、ほんのり香る紅茶と、こってり焼かれたフィナンシェ。
噛めばじんわり甘いバターの染みた生地が口に広がって、すごく美味しい。
そして、アミが淹れてくれた紅茶を飲めば、すっきりとその甘さが解けていく。
彼女が専属メイドになりたいと言ってくれた日から、私は紅茶も悪くないと思えるようになっていた。
「アミも一緒に食べよう」
「よろしいのですか?」
「うん。ひとりで食べるのは寂しい」
そう言えば、アミも遠慮なく座ってフィナンシェをかじる。
「母様と姉様は、今ごろバカンスを楽しんでる頃かな」
しんと静まり返った屋敷には、もう義姉も姉も母親もいない。
「本当によろしかったのですか? 別荘を丸々に、宝石、ドレス、お金まで……」
「リリアーネ様から離せるし、ふたりも喜んでこの屋敷を出てくれたんだから願ったり叶ったりだよ」
いつか母が言っていた。
海の望む豪邸で、一生遊んで暮らしたいと。
いつか姉が言っていた。
誰にも馬鹿にされないお金持ちになりたいと。
彼女たちの望みが今も同じかは分からないけれど、あとは好きにしてもらえればいいと思う。私も好きに生きるから。
「もう少し頑張ったら、私ものんびり本を読んで暮らすんだ」
もぐもぐと。黄金色の食べられる金の延べ棒を味わう。
「…………マルカ様、もしかしてそちらの箱の存在、なかったことにされていらっしゃいます……?」
しかし、そこで。
アミのじとっとした瞳が私に向けられる。
ちらり、と。
彼女の言う箱の方へ視線をやり、私は何も見なかったことにして前を向き直す。
「…………マルカ様……」
全てを悟ったアミに呼ばれるけれど、返事をする訳にはいかなかった。
「マルカ様!」
ただ、残念なことにアミは見逃してくれないらしい。
セバスティアンはそっとしておいてくれたのに。
「…………はい……」
観念して返事をすると、アミは立ち上がってその箱を私の目の前まで持って来る。
わざわざここまで持ってこなくてもいいのに。
「男性からの贈り物を、こんな風に扱うなんて。それもお相手はあのリカルド卿ですよ!? この国の乙女を全て敵に回したいのですか!?」
ここ数日、マルカ・サージェ・ペルルシャには、とある男性から毎日のように贈り物が届いていた。
その男というのが、この国の未婚貴族男子の中で一番最初に「結婚したい相手」として、ご令嬢だけでなく町娘からも名前が挙げられるような人で。
――リカルド・エラ・レーゼ。
弱冠二十歳で王宮騎士団副団長に就任。
侯爵家出身、次男でありながら自身も騎士として成果を上げて、皇帝から貴族名「エラ」を下賜されている超絶エリート。
そして、何といっても目を引くのが、その容姿。
額にかかる柔らかな金髪。
その間から、真っ直ぐにものを見通す碧眼。
美形。男前。耽美。魔性――。
その全てを持っても言い表せないような、とにもかくにも、顔がいい男だった。
「…………きっと、失恋して頭がおかしくなってるんだよ……」
私は、ここではないどこか遠くを見つめて言った。
良くも悪くも、「もしかすると、手が届くかもしれない……っ♡」と思わせる副団長様は、問答無用でおモテになる。
リリアーネ様の旦那も相当だったが、彼は既婚者になってしまったし、他人に対して冷たすぎた。
ということで、リリアーネ様の婚約者候補第二位の彼は、現在、この国を代表する最強旦那候補様なのである。
「なんてこと仰るんです!?」
思っていることをそのまま口に出してみたところ、アミから鋭い視線が飛んできた。
「どれもこれも、マルカ様を想って贈られた品ばかりですよ! 最近届いた珍しい古書だけは、この箱にまとめていないこと、わたしはちゃんと存じ上げておりますからね!」
「…………本は読むものだから……」
なかなか痛いところを突いてくる。
けど、本に罪はないのだから、箱にしまい込むことなんて私にはできない。
そう目で訴えると、アミは腰に手を置いた。
「なら、他に送られてきた護身用の催涙スプレーや、緊急用の銀笛、皇后陛下御用達の護身用の鋼仕込みの帽子やブーツもお使いくださいませ!」
「……それがおかしいと思うのは、私だけなのかな??」
何か、私は間違えたことを言っているだろうか。
いや、まあ、確かに私のことを考えて、彼がこれをくれたことは分かる。
分かるけれど……普通、何の接点もなかった娘に、護身用グッズを送りつけるか?普通?
多分、私がもし「乙女」とやらだったら、夢が壊れて泣いていると思う。冗談抜きで。
「ただでさえ、今はリカルド卿がマルカ様に告白したということで巷では大騒ぎなんですから、きちんとご自分の身は守っていただかないと!」
「…………………………うん」
よし。もう何も言うまい。
本当に。あの副団長様は一体全体どうして、ああも自分の美貌に無自覚なのか?
リリアーネ様に彼が贈り物をしたなんて知れた日には、それはもう、メルティア姉様の怒りが収まらなくて大変だったのだ。
それを察することもできなければ、ヘタレでリリアーネ様を助けることもできなかったから、怪物公爵に任せることにしたというのに。
今度は、あんな街中で誤解を生むような告白を、よりにもよってこんなお金を稼ぐことしか能がない私に向けてしてくるのだから、苛立ちしかない。
そんなに潔く決断を下せるなら、さっさとリリアーネ姉様に告白しておけばよかったものを――。
私はアミに残しておこうと思っていた最後のフィナンシェを、貴族令嬢(仮)にはあるまじき大口を開けて口いっぱいに噛み締めた。
楽しく感想を拝読させていただきましたので、
フィードバック蛇足編()です。
※続くかは分かりませんので、どうか悪しからず…