6・元当て馬の告白
次に彼女――マルカ嬢と出会ったのは、王都の街中だった。
「……? 副団長? どうかされました?」
「……いや。なんでもない……」
机に張り付いてばかりで、気分転換も兼ねた巡回で市内を回っていた時。
彼女はメイドとふたりで、店から出てくるところだった。
――諦めてください。
そう言われたあの日から、僕はマルカ嬢について調べていた。
彼女は、リリアーネの婚約者を自分が決めたと言ったのだ。
成人を迎えるとともに男爵家の女当主となった、天才。
巷ではそう呼ばれているらしいが、もしかするとマルカ嬢の策略でリリアーネは男爵家から追い出されたのではないかと思った。
そして、出てきた事実といえば……。
彼女が十六歳の誕生日を迎えた日に起こった事件のこと。
その日、マルカ嬢の客人として招かれていた男は酒に顔を赤く染めながら、僕に愚痴をこぼすように恨みつらみを並べて語った。
まだ幼い頃から、男爵家を立て直すために知恵を絞り、将来当主としての振る舞いや知識を学びながら、毎日頑張っていたこと。
冷たく見えるが、家族思いで、本当は義姉とも仲良くしたかったこと。
結局それは叶わず、自分が当主になる前に、何とか義姉を幸せにしてくれる嫁ぎ先を、寝る間を惜しんで探していたこと。
大好きな読書を我慢して、ずっと家のために働いていた、小さくても気高い自慢のオーナーなのに――。
あの怪物公爵に剣を向けられ、マルカ嬢は殺されかけたのだと。
彼はそう言って寝落ちた。
「マルカ様! 本当にありがとうございます。わたし、ずっと前からこの店のタルトを食べてみたかったんです!!」
「喜んでくれて嬉しいけど、はしゃぎすぎだよ。アミ……」
彼女はメイドを窘めるように、その穏やかな声で淡々と言葉を紡ぐ。
「この後は、明日の商談に使う茶菓子を買うんでしょう」
「――はい!」
マルカ嬢はジャケットから、懐中時計を取り出して時間を見た。
その所作は手慣れていて、普段から時間を気にして行動している人だと分かる。
とても、数年前までただの貧しい平民だったと言われても信じられない。
「……まだ時間もあるし。みんなのお土産も買って帰ろうか」
「えっ、いいんですか!? この後は書店に行かれるんじゃ?」
「家に読めていないものがたくさん積んであるんだ。それに、またアミばっかりズルいと言われてしまうからね」
「ははっ。確かに!」
若い女性たちが買い物を楽しんでいるだけに見えるが、彼女たちの関係を知っていれば、見方も変わる。
あの小柄な娘が、この国を代表するような企業のトップなのだ。
こんなところで護衛も付けずに、メイドとお茶をしているなんて、とんでもない。
「――! これはこれは、ペルルシャ男爵! まさかこんな場所で会うとは!」
そして、彼女に気が付いた、見るからに貴族の装いをした男が声をかけた。
「……ベクター子爵。ご健勝で何よりです……」
マルカ嬢の声のトーンが明らかに下がった。
彼女はスカートの端をつまむと会釈を返す。
「多忙な女当主の貴女でも、こんな風に街中で楽しまれる時間があったとは。いやはや……。まだお若いのに仕事ばかりでは、遊び足りないでしょう」
「そうですね、今日もこの後予定が入っておりまして。昼食を取り損ねてしまったので、時間まで軽食を食べてひと休みしていたところでした」
意訳すると「お前と違って暇じゃない」といったような内容が聞こえた。
「それは、大変だ! 是非とも貴女のお力になりたいのだが、先日のお話は考えてくださったかな?」
しかし、相手の男も引く気はないらしく。
マルカ嬢の手を勝手に握り、その顔を彼女に近づけ、あの琥珀色の瞳を見下した。
「……有難いお話ですが、この通り私はまだ当主として未熟ですので……。きちんと独り立ちできるまで、婚約する気は……」
「もう十分、独立されていらっしゃるのでは?」
グイと男に腕を引っ張られ、マルカ嬢が明らかに顔を歪める。
「ああ、それとも貴女は将来自分の夫となる男に、当主の座を奪われるのが怖いとか――?」
男は口の端を上げた。
その笑みは、見ているこちらですから嫌悪を抱くもので。
直接それを見せつけられたマルカ嬢は、その目を冷たく尖らせる。
「あいにく、私にはある程度の蓄えがございますので、無能な夫は必要ないんです」
「――なっ!? 生意気なっ!! これだから、女のくせに調子に乗ってる奴は!!」
男は、ステッキを握ったままの手を振り上げた。
「マルカ様!!」
彼女を守ろうとメイドが手を伸ばすが、マルカ嬢は男を睨んだまま微動だにしない。
「――そこまでだ」
僕は男の腕を掴んだ。
「な、なんだ、お前は……っ、騎士!?」
男はこちらを振り向くと、制服を見て目を見開いた。
「婦女暴行未遂。署まで同行願おうか」
「わ、私を誰だと思っている! 子爵だぞ!?」
「僕は侯爵家の人間だが?」
「――!?」
顔を真っ赤にして、その男は部下たちに連行される。
「…………」
男が離れていくのと一緒に、騒ぎが次第に収まる中、彼女は黙ってことの成り行きを静観していた。
「お仕事、ご苦労様です。リカルド卿」
そして僕が向き合えば、マルカ嬢はあっけらかんとしていて。
「……僕が止めると分かっていて煽ったのでは……?」
「何のことでしょう?」
とぼけて首を横に倒す。
言葉を交わしたのは、今日でまだ二回目だ。
それだけれど、どうしてだろうか。
今、ものすごく――僕は苛立ちを感じていた。
「あのステッキに頭でも殴られていたら、君は最悪、死んでいたかもしれないんだぞ!」
気が付けば、目の前の危機感が欠如している娘に、そう声を荒げていた。
彼女はびくりと肩を揺らし、その大きな目で瞬きを繰り返す。
「……す、すみません。次からは気を付けます……」
驚いた顔をしたまま、マルカ嬢は素直に謝罪を口にした。
それは叱られたから謝った、といった内容で、僕の怒りは収まらない。
「そもそも、どうして護衛も付けずに女性ふたりで出歩いているんだ。無防備にもほどがある!」
「え、その、私に護衛なんていらないですよ? 仕事はもう、ある程度幹部に任せてますし、家のことも優秀な執事が――」
「だから、自分はいついなくなっても問題ないとでも?」
琥珀色の宝石のような瞳が、見開かれた。
はっきりと動揺があらわになって、それが図星だったことが証明される。
「……そ、れは……危機管理を徹底すれば、そうなるというだけで……」
分かりやすく、目が泳いでいた。
「マルカ様……」
少し後ろに立っていたメイドは、眉根を下げて主人の名を不安そうに呼ぶ。
――どうして。
どうして誰も、こんなに不安定で、必死にひとりで立っている娘を隣で支えてやらないんだ。
家族のために、リスクが大き過ぎる賭けをして。
それを母親にも姉にも言えずに、自分の将来も分からないのに、義姉の将来を準備して。
挙げ句の果てには、義姉のために見つけた旦那に、自分の成人を迎える特別な誕生日会をぶち壊されて、殺されかけて……。
確かに仕事を通じて、信頼できる仲間はいるのだろう。
だけど、あくまで彼らは彼女にとって守るべきもので、自分が消えても困らないようにするのが、当然だとでも思っている。
だから、こんなに苛立つほど彼女は自分について無防備なのだ。
しかも、その自覚があるに違いないから尚一層タチが悪い。
「君は前に僕に言ったな。義姉を幸せにすると約束したと」
「…………は、い……」
マルカ嬢はいつもの飄々とした様子ではなく、どこか戸惑った顔で返事をする。
彼女のことを調べ出してから、ずっと。
ずっと、この顔が頭から離れず、今日に至る。
「なら、君の幸せは僕が守る」
今の一件で、覚悟は決まった。
もう二度と、僕は誰かに対して抱いた感情を口に出さずに、後悔したくない。
それがたとえひと目で落ちた恋だろうが、名状することもできないような衝動だろうが。
――ヘタレ、だなんて二度と言われてなるものか。
「……………………へ?」
目の前の彼女は、ポカンと口を開けた。
「騎士としての誇りに懸けて、マルカ嬢――君が笑って過ごせる日々を約束しよう」
自分の矜持を守るための告白は、その日瞬く間に王都に広まることになる――。
この後、恋愛感情ゼロスタートのふたりがくっついたり、離れたりするのだかしないのだか…。
短編のつもりが、思ったより長くなってしまいました。今回はこのあたりで!
最後までお読みいただきありがとうございます!