5・とある当て馬の失恋
僕の名前はリカルド・エラ・レーゼ。
いきなり出て来てお前は誰だ?と聞かれれば、レーゼ侯爵家の次男で、王宮騎士団で副団長をしている騎士だ。
最年少で副団長になったせいで、周りからは優良物件だななんて言われるけど、毎日何十通と見合いの手紙が届けばうんざりする。
そんな日々を送っていたから、僕から逃げていく彼女が珍しかった。
その人の名前は――リリアーネ・ペルルシャ。
今の名をリリアーネ・ガイアロン。
初めて彼女と出会ったのは、二年前のことだった。
縁のある伯爵家が主催の夜会に招かれて顔を出した僕の周囲には、とにかく女性が集まった。
女性には興味もなさそうな剣しか取り柄のない僕に一体何の魅力があるのかと思うのだが、どうやら親にもらった容姿は人より少しばかりよく見えるらしく。
世辞の言葉も尽きて来た頃、僕は騎士としては情けなくもパーティ会場から抜け出した。
そして、月明かりが差し込む中庭で出会った。
会場で相手をした女性たちと比べて、とてもシンプルで素朴なドレスを来た、銀髪の天女。
どこか影を落とす、彼女の表情が神秘的で足が止まった。
ベンチに座って月を眺める彼女が気になってよく見てみれば、靴を脱いでいる。
どうやら靴連れを起こしたようだった。
女性がひとりでいるのも気掛かりだったので「大丈夫ですか」と声をかければ、「大丈夫です。私のことはお気になさらないでください……」と小さな声で彼女は縮こまってしまう。
長い前髪が綺麗な瞳を隠してしまうから、それが少し残念で。
線が細く今にも消えてしまいそうな儚さが、どうにも僕の心を掴んでしまって離さないから、お節介かと思いながらも彼女の前に跪いて、踵に自分のハンカチを巻いた。
戸惑う彼女を前に、僕は名乗ってまたどこかで会えたらお茶でもしようと言った。
先ほどまで女性の相手をするのが嫌になっていたのにも関わらず、そんな言葉が出てくるとは自分でも驚いた。
礼儀として名乗ってくれた彼女、リリアーネが困ったように、そして嬉しそうにはにかむのを見て、僕はいとも簡単に恋というやつに落ちてしまったのだ。
それから、彼女と茶会や夜会、その他のパーティで顔を合わせる度に言葉を交わした。
いつも俯きがちなリリアーネが笑っているところが見たくて、色んな話題を集めたし、細やかだけど贈り物もした。
だけど、その内、彼女から避けられるようになった。
最初の頃もリリアーネは僕に、他の女性が向けるような視線を向けることはなかったけれど、そうじゃない。
彼女は僕と接触すること自体を避けた。
騎士として、紳士として。
嫌がるようなことはしていない、と信じたいのだが、彼女から避けられているのは明白で。
僕は結局、リリアーネに気持ちを伝えることができなかった。
そんな彼女が、結婚した。
それも、あの怪物公爵と。
権力を権力で殺す怪物アルベルト・フォン・ガイアロン。
あの儚き女性が、よりにもよって怪物と結婚した。
騎士の仕事をするようになってから、この世に権力というものほど厄介な剣はないと僕は学んだ。
怪物公爵はその剣を扱う最たる例。
王が目を瞑っているから、僕たち王宮騎士団も目を瞑ると暗黙の決まりが存在しているが、やっていることは私刑だ。
国の法で裁けない悪人を、裏で捌くのがあの男だ。
はっきり言えば、真っ当ではない。
そんな男の元にリリアーネは嫁いでしまった。
まともにパーティに出席せず、女性のエスコートも知らなそうな男が相手になると知って、僕は後悔した。
先に告白しておけば、もっと違う未来があったのではないかと。
僕は諦めきれなかった。
この目で、彼女が本当に自分の幸せのためにあの男を選んだのかを確かめるまでは、この気持ちは捨てられない――。
「……そう思ってたんだけどな……」
結論。その人が幸せそうに笑う先にいるのは、僕じゃなかった。
年に二度開かれる王宮での園遊会……という名の探り合い。
その日、怪物公爵はリリアーネと共に現れた。
つい最近までどこに行くにも仮面を付けていた素顔を見せる彼と、まるで人が変わったように華やかな彼女。
ふたり寄り添って、小声で何かを怪物公爵が囁き、リリアーネが花が咲くように微笑する。
あんな仲睦まじい姿を見せられたら、何も指摘できることなんてない。
彼女の隣にいるのが自分じゃないことに、こんなに胸が苦しくなるとは思わなかった。
「すみませんが、諦めてください」
「――!?」
すると、呆然とふたりを見て立ち尽くしていた僕に、いきなりそんな声がかけられたからギョッとした。
慌てて振り向いた先――というよりも、下。
そこには水色の髪に、琥珀色の目をした令嬢がいて。
「彼女には幸せになっていただかないと困るので、余計な荒波は立てないでください。リカルド卿」
まるで僕の心を読んだかのように、そう言った。
「――きっ、君は?」
「ご挨拶が遅れました。――マルカ・サージェ・ペルルシャと申します」
彼女はシックなグレーのドレスの端を摘むと、見た目の若さを感じさせない余裕のあるカーテシーを魅せた。
――ペルルシャ。
僕が、その名前を知らないはずがない。
唐突に現れたその令嬢は、リリアーネの義妹だった。
*
「…………さっきの『諦めろ』っていうのは?」
場所を変えて、僕は彼女に尋ねる。
この園遊会は王宮の広大な庭で開かれており、休憩のためにパラソル付きのテーブルやテントも沢山並んでいる。
もちろん、それはこういった内密の話をするのにも利用されるわけだ。
リリアーネは怪物公爵に嫁いだので、男爵家は残った妹が継ぐ事になっとは風の噂で聞いていたが、まさかその本人に話しかけられるとは思っていなかった。
「そのままの意味です。リリアーネ様はもう公爵様に嫁ぎましたから、諦めてください」
「〜〜〜〜っ!?」
彼女は淡々と、歯に衣着せぬ物言いで僕の急所を突く。
今まで誰にも指摘されなかった心を、見ず知らずの、あの人の義妹に言い当てられて見事に動揺してしまった。
「ど、どうしてっ」
僕は熱の集まる顔を隠すこともできず、マルカ嬢に言う。
「事前にあなたのことは調べていました。リリアーネ様に贈り物をする男性に下心がない訳がない」
彼女は顔色ひとつ変えずに紅茶を嗜んだ。
僕より八つは年下のはずなのに、とても大人びた娘だ。
その冷静さを目の前にすると、狼狽ているこちらの方が子どもみたいだった。
状況が理解できて来て、心の内で落ち着けと自分に言い聞かせる。
「なぜ、僕のことを調べるなんてことを……?」
ぐっと拳を握り、努めて冷静に尋ね返した。
「彼女の婚約者を選んだのは私ですから」
そして、彼女は当然だろうというニュアンスを交えて、答えを投下する。
「…………は?」
素が出た。
「あなたも候補には上がったんですが、ヘタレだったので公爵に任せることにしました。気弱なリリアーネ様にはあれくらい押しが強い人のほうが合うみたいです」
急に目の前の小柄な女の子が、大きく見える。
一体、何なんだ、この娘は――?
「そういう訳なので、たとえリリアーネ様の旦那様があなたの苦手な学生時代の同級生だったとしても、下手に介入しようなんて考えないでくださいね」
こぼれ落ちそうなほど大きな瞳が、僕を見つめていた。
義妹なのでリリアーネと似ている訳はないのだが、あまりにも違う。
これまで自分に向けられて来た女性からの視線の中でも異質で、まるで飲み込まれそうな目だった。
「では。話はこれだけですので」
マルカ嬢は、いつの間にか空になったカップを置くと、腰を上げる。
「――ま、待ってくれ!」
「……なんでしょう」
僕は本当に無意識のうちに、去ろうとした彼女を引き止めていた。
「君たち姉妹の仲が良くなかったことくらい、僕だって知っている。……なのに、なぜ――」
「『なぜ、今更、義姉を気遣うようなことを?』とでも?」
「…………」
また心を読まれた。
ストレートな言葉が返ってくるから、黙ったまま頷くしかない。
彼女は、座ったままのそんな僕を見おろした。
「ある方と約束したので」
「……約束?」
琥珀色の瞳が遠くを見据える。
「はい。『全部やるから、リリアーネを幸せにしてやってくれ』と」
まだ成人したばかりの娘には、似つかわしくない、どこか哀愁を帯びた表情だった。
そんな約束を彼女にさせたのは、一体誰なのだろう。
まるで、自分の娘をやる男に向けるような台詞だ。
彼女だって守られるべき、うら若き娘だというのに。
「――マルカ様、そろそろ……」
「今行く」
控えていたメイドが、彼女を呼んだ。
マルカ嬢は椅子から抜けると、改めて僕を見る。
「なので、リカルド卿。私が彼女を気遣うのは義務です。どうか悪しからず」
――それで、分かった。
彼女は誰かに椅子を引いて貰わずとも、自分で立つことが当然で、自身が守られる側の人間だなんて思っていないのだと。