3・十六歳の誕生日
今日はマルカ・ペルルシャ、十六歳の誕生日。
張り切ったセバスティアンが、あっちこっちに声をかけてパーティの準備をしてくれたので、人生で一番大掛かりな誕生日会になりそうだ。
「あのリリアーネがどんな風になっているか、楽しみね。メル」
「怪物公爵もいらっしゃるんでしょう? 驚いて叫ばないように気をつけないと」
母と姉も違った意味で張り切っている。
一応家族の誕生日ということで、リリアーネ姉様にも招待状を(セバスティアン)が送ったところ、喜んで参加するとのことだった。
当日不参加になるとも考えていたんだけれど、まだその知らせもないし、本当に来てくれるみたいだ。
彼らが不快な思いをしないといいのだけれど、上手くいくだろうか……。
「……ハァ」
「どうかされましたか、マルカ様? まさかご体調が?」
「ううん。違うよ」
思わず溜息を漏らすと、セバスティアンに心配そうな顔を向けられてしまった。
「何かご不安な点でも?」
「……まあ、今日は色々あるだろうから、ちょっとね……」
私は肩をすくめる。
「大丈夫ですよ。今日はマルカ様を慕っている者たちが大勢駆けつけてくれますから」
「……嬉しい限りだよ」
セバスティアンに励まされ、私は笑った。
波乱の予感はするけれど、今日は私の誕生日だ。
主役が不安な顔をしていては、来客たちの貴重な時間が勿体無い。
珍しく自分のために用意されたドレスを身にまとい、髪も化粧も綺麗に施してもらった。
今日を迎えるために、できることは全てやってきた。
きっといい日にしてみせる、と。
私はその日、柄にもなく緊張していた。
そして。
私の仕事を手伝ってくれている仲間たちが、国中から祝いの言葉と品を持って集まって来てくれた最後。
リリアーネ姉様と怪物公爵様は、満を持して登場した。
「――嘘っ。あれがリリアーネ!?」
「なら、隣にいるのが……まさか!」
メルティア姉様と母様は驚愕に目を見開く。
それそれは美しく着飾ったリリアーネ姉様は、天上に咲く花のようで。
その隣にいる彼女の伴侶は、怪物……ではなく、己の目を疑うほどの美丈夫だった。
仲睦まじく手を取り合って姿を現したふたりに、メルティア姉様と母様は歯ぎしりをする。
……まあ、こうなることは想定の範囲内だ。
なるべく彼らを近づかせないように、セバスティアンには指示を仰いでいる。
全員揃ったところだ。
余計なイベントが起こる前に、誕生日会を始めてしまおうと。
司会の声がホールに響き、立食形式のパーティが開幕する。
「……素敵なパーティに招いてくださり、ありがとうございます。マルカ。……お誕生日おめでとうございます」
リリアーネ姉様は、主役の私に挨拶をしに来てくれた。
相変わらず、その視線は俯きがちで私とはっきり目が合うことはないけれど、祝いの言葉をもらえたのは数年ぶりで嬉しかった。
「ありがとう。リリアーネ姉様。……それに、公爵様もご参加いただきありがとうございます。こうしてお会いするのは初めてでしたね。ペルルシャ男爵家三女のマルカと申します」
私はぺこりと頭を下げる。
「こちらこそ挨拶が遅れてすまない。結婚式もまだだったからな。アルベルト・フォン・ガイアロンだ」
公爵様に若干含みのある挨拶されて、存じ上げておりますと端的に言葉を返した。
結婚式……ちゃんと挙げるつもりなのだろう。
リリアーネ姉様の腰に手を回す彼を見て、私は心の内でほっと安堵した。
怪物公爵の名に相応しく、今日もいつでも敵を屠れるように剣を佩いていることには頬が引き攣る思いだけれど、そんな彼だからこそリリアーネ姉様を全てのことから守ってくれるはずだ。
ちゃんと上手くいっている。
これで、私の抱えていた一大案件が終わるのだ。
リリアーネ姉様には、男爵様との約束通り、彼と結婚して幸せになってもらおう。
「今日はごゆるりとお楽しみください」
私は彼らに向けて笑った。
この目でふたりの様子を確認できたのは、とても良かった。
そこで、ちらりと私の視界にひとりの女性が入る。
「…………彼女は?」
「ああ。もともとこの家のメイドだろう。従者同伴も可とあったから、リリィのお付きとして共に来た」
「……そうでしたか。今日はいないと思っていた顔があったので、少し驚きました。公爵様のご配慮に感謝します」
アミが複雑そうな顔をして控えていたから、どうしたのかと探りを入れたところ、公爵様からはそんな答えが返って来た。
何も言わないリリアーネ姉様は、公爵様の腕の内でぐっと拳を握る。
その違和感に気が付かなかったフリをして、私は彼らに別れを告げると、次のゲストの対応に切り替えたのだった。
客人たちは、みんな私のことを理解してくれている仲間達。
セバスティアンの声掛けで、遠方から足を運んでくれた人もいて、心がポカポカする。
……ただ、ふと現実に帰れば、そこには、まだおめでとうのひと言も貰っていない実の母と姉が見えるから、気を引き締める。
私については放任している母様とメルティア姉様だ。
私が食事を一緒に摂らなかろうが、頻繁に家を空けていようが、「マルカのことだから」という謎の信頼で多くのことに目をつぶって……いや、見るつもりもなかったのか……。
今日来た客人たちの多さには驚いていたみたいだけれど、特にそこに猜疑を抱く訳でもなく、彼女たちはただこの会場で一番際立つリリアーネ姉様たちに嫉妬するだけ。
そんな彼女たちの姿が、ホールから消えた。
よく探せば、リリアーネ姉様の姿もない。
そのことに気が付いてしまったから、私の頭からは血の気が引いた。
「セバスティアン!」
「――はい、マルカ様、いかが……」
「姉様たちは!?」
平静を取り繕う余裕もなく尋ねれば、セバスティアンが目を見張る。
彼の動揺を見て、私は落ち着いてなどいられなかった。
慣れない高いヒールを打ちつけ、人の間を抜けて、とにかく彼女たちを探す。
一体どこに消えてしまったというのだろう。
焦る心を押さえつけ、私は必死に周囲を見回した。
そして――。
「あなたみたいなのが、どうしてッ!?」
その声は、来客のために開放していた温室から聞こえてきた。
メルティア姉様の金切り声。
憤懣やる方ないとでも言うような叫びだった。
私はついにヒールを靴を脱ぎ捨てて、裸足のまま温室に駆け込んだ。
「――姉様!」
自分でも、どちらの姉を呼んだのかはよく分からない。
もうやめてくれと、苦手な大声を上げて扉を開けた先にいたのは――。
「全員、覚悟はできてるな」
小さく震えるリリアーネ姉様を守るようにして、怒りを露わにした怪物公爵だった。
床に跪いたリリアーネ姉様の頬は赤く腫れ、その膝上には、壊れた装飾の箱。
男爵様とリリアーネ姉様のお母様が彼女に残した、大切なオルゴールに見える。
メルティア姉様が、あれを利用してリリアーネ姉様を呼び出したのは明瞭だった。
側には母様もいて、二人揃ってリリアーネ姉様をまた虐めていたのだ。
「お前たちには、報いを受けてもらう」
彼は、空気を切り裂くような声で告げる。
怪物公爵というふたつ名はまさしく、今こそ使うべきなのだろう。
躊躇いもなく、その腰に下げられた黒剣が鞘から引き抜かれる。
公爵の言う「お前たち」には、きちんと私も仲良く含まれているなんてことは、考えるまでもなかった。
その殺気に、私の身はすくむ。
ああ。このままだと、私も彼に殺されるのかもしれない。
そう思った直後。
「――お逃げくださいっ。マルカ様!!」
叫んだのは――メイドのアミだった。
振り向くとそこにいた彼女は、騎士らしき男に拘束されながら必死に私に訴えた。
取り押さえられるアミを見て、私は悟った。
最初から、リリアーネ姉様は……いや、怪物公爵アルベルト・フォン・ガイアロンは、私を祝うつもりなんてなかったのだ。
いつの間にか、送り込まれた騎士たちが屋敷を包囲している。
この温室にも、次々と武装した公爵家の騎士が突入してくる。
リリアーネ姉様は公爵様に支えられて立ち上がり、その様子をこわばった顔付きで見守っている。
初めてまともに開いた自分の誕生日会が、土足で踏み荒らされていき、私の中では何かがガラガラと音を立てて崩れていた。
公爵様は引き抜いた黒剣を握る手を止めた。
「マルカ・ペルルシャ。お前が裏切り者の主人だとはな。揃いも揃ってリリィの敵か」
初めて名を呼ばれた訳だが、その内容は不穏でしかない。
この狭い温室で、私に逃げ場などなかった。
追いかけて来たセバスティアンが隣にいてくれるが、彼もいい歳で。とてもじゃないが、彼を盾に無理やりここを抜け出すなんて選択肢はない。
全員の視線が、私に突き刺さる。
裏切り者の主人という言葉について、まだ理解し切れていないが、状況から推察するにそれはアミのことなのだろう。他に思い当たる人もいない。
となれば、リリアーネ姉様の味方でいたはずのアミが、実は違う主人がいて、裏切り者だった――ということにでもなっているのだ。
騎士に抵抗するアミを見ていられなかった。
彼女があんな目にあっているのは、私のせいに違いない。
「……アミはリリアーネ姉様のことを裏切ってなどいませんよ」
だから、私はひとつ溜息を吐いた後、そう言った。
「彼女は実家の家族を養うために、私に従うしかなかったんです」
「マルカ様!」
「それは違います!!」
この状況で一番望まれている答えだ。
セバスティアンが厳しい目付きに変わったけれど、事実を述べただけだった。
「ずっと彼女はリリアーネ姉様の味方だったでしょう? それは姉様が一番よく知っているのでは?」
淡々と言葉を紡げは、壊れたオルゴールを抱えたリリアーネ姉様の瞳がこちらを向いた。
「……そうです。アミは……彼女はいつも辛い時に助けてくれました……」
「今日で成人を迎える娘が人質を取るなんて、たいそうな性格だな」
彼女は小さく口を開くと、公爵様を見返す。
その目には、希望が微かに灯っていた。
これで、ずっと味方だと思っていたメイドが裏切り者ではなかったことに、安心してもらえただろうか。
「一体なんの話をしているのっ……!?」
そこで、突入して来た騎士に剣先を向けられたメルティア姉様が呆然と漏らす。
「悪いのはリリアーネよ。わたしたちが何をしたっていうの!?」
悪びれもせず、メルティア姉様は言った。
「ハッ。罪の意識すらないか。曲がりなりにもリリィの家族だから加減してやろうかと思っていたが、遠慮なく処理できそうで安心した」
彫刻のように整った顔が、凄味を帯びる。
「食事もまともに与えず、衣服も古着ばかり、男爵令嬢でありながら使用人のような振る舞いを強要し、彼女の大事な物を奪い壊し続けたのはお前たちだ。心当たりがないとは言わせない」
「――それは貴方に咎められるようなことではないわ!」
それまで黙っていた母様が、カッと目を見開いた。
「この家では普通のことよ! 他人の公爵様が気にすることじゃないわ!!」
母様はメルティア姉様と同じ瞳で、そう言い切ってみせた。
自分を取り囲む騎士たちにゴミでも見るような目で見られようが、母様が怯むことはない。
自分が悪いことをしたなんて微塵も思っていないからだ。
「話にもならないな。――お前たちはリリィに必要ない」
そして、公爵様は断言する。
それを合図に、騎士たちの剣が構え直され、死が近づいてきた。
怪物公爵からすれば、私たちを闇に葬るなんて朝飯前だろう。
それもこれも、私がこの家をちゃんと守ることができなかったのが悪い。
男爵様との約束を果たそうと頑張ったけれど、家族仲良く暮らすことはできなかった。
もっと早く、リリアーネ姉様とふたりを引き離すべきだった。
これは契約違反の代償なのかもしれない。
――どうやら今日は私の命日になるみたいだ。
「離してください」
まだ騎士に腕を掴まれていたアミが声を上げる。
「離してやれ。どうせこんなことだろうと、そいつの家族の元にはすでに護衛を回している」
公爵様はアミを許した。
きっと彼は、アミが人質を取った私に怒りを抱いているとでも思っている。
「――アミ!」
そして、それはリリアーネ姉様も。
こちらに向かって歩いてくるアミを、リリアーネ姉様は呼ぶ。
「……リリアーネ様、少し左にズレていただけますか」
私の横を通り過ぎ、リリアーネ姉様の前に立ったアミは告げる。
「――? うん」
リリアーネ姉様は首を傾げたけれど、言う通りに左に動いた。
そして、アミはその場にしゃがんだ。
彼女が何をしようとしているのか分かって、私は瞠目する。
「アミ! それは、今開いたら駄目だ!!」
焦って止めようとするが、一歩足を前に出せば騎士たちの剣が迫って進めない。
私の行動を見た公爵様は、リリアーネ姉様を自分の後ろに下がらせると、じっとアミがすることを見据える。
――ガコンッと。
円形のデザインがされた部分の石の床を、アミが回す。
鍵が外れた音がすると、彼女はその蓋を開けた。
そして、中に収められた大きな箱から取り出されるのは、大切に紙と布に包まれた――オルゴール。
「――え?」
それを見たリリアーネ姉様が、愕然とした。
何故ならそれは、今手元で壊れているオルゴールと全く同じものだったから。
「それは、わたしがマルカ様の指示で用意した偽物のオルゴールです」
そして、彼女は言ってしまった。
「貴方たちにマルカ様の何が分かる――」
その目に涙を浮かべ、アミはリリアーネ姉様と公爵様を睨み上げていた。