蛇足5本
私の名前はリリアーネ・ガイアロン。
怪物公爵と呼ばれるアルベルト様に嫁いだ、元男爵令嬢です。
そんな私には、とにかく優秀で、家族想いな心優しき努力家の義妹がいます。
そして、今日は――。
「リリアーネ様、あと半刻ほどでマルカ様がご到着されると!」
「ええっ。も、もうそんな時間なの……!? まだケーキの飾り付けが!!」
彼女と初めてのお茶会です。
思い返してみれば、マルカと一緒にお茶をすることなんてほとんどありませんでした。
お父様が生きていた時も、彼女はいつも本を片手に過ごしていて。
メルティアやガレット様も、マルカは何よりも本を読むことが好きなのだからと、彼女をお茶に誘うことはありませんでした。
「…………喜んで、もらえるかしら……」
私は、マルカの好きなお菓子も、好きなお茶も知りません。
彼女は私のために尽くしてくれていたのに、何も知らない。
張り切ってマルカのためのお茶会を準備して改めて、その事実に唖然としました。
それでも。
だからといって、何もしないなんてことは、もうやめました。
今からでも、知っていくしかない。
ひとつでも多く彼女のためになりたい。
ちゃんと、姉として。マルカと家族でいたい。
公爵家自慢の料理長とメイドさんたちに力を借りて、あれやこれやとお菓子を作ってもらい、厨房は甘い匂いでいっぱいです。
そして、私がどうしても自分で作りたかったのは……。
歪に塗られた真っ白なクリームと、赤いイチゴの乗った誕生日ケーキ。
スポンジから焼いて、一生懸命作ったけれど、やっぱり料理長に手伝ってもらったお菓子に比べれば見劣りします。
すでに私は、彼女の成人を迎える誕生日会を台無しにしてしまいました。
今更こんなことをしても、マルカは逆に不快に思うかもしれません。
「――リリィ。準備は終わったか」
最後のイチゴを乗せた後。
アルベルト様が厨房に顔を覗かせます。
「……は、はい。とりあえず、お菓子と食事の準備は終わりました……」
私は慌てて顔を上げて、彼に答えました。
「できたんだな」
アルベルト様は出来上がったケーキに視線を落とします。
何回か試作品を味見していただいていたので、彼もこのケーキを私が手作りすることは知っているのです。
「……やっぱり、これを出すのは……」
「なら、俺が食べてもいいか」
「――っ、そ、れは……」
アルベルト様の目に見透かされて、私は覚悟を決めました。
他にも沢山お菓子は用意しているし、彼女が好きなものを選んで楽しんでくれればそれでいいけれど。
その中に紛れ込ませるくらいは、許してもらえるでしょうか――。
***
義姉に、茶会に招かれた。
「…………アミ、私、今日、変じゃない……?」
「どこもおかしなところなんてございませんよ。お洋服もメイクも、バッチリです」
「……そっか。それならいいんだ……」
ガタゴト揺れる馬車の中、私は目の前にリカルド卿と並んで座っているアミに尋ねて気を紛らわせる。
――そう。柄にもなく、義姉と一緒にお茶をするという普通のことに、私は緊張していた。
まさか、自分でもこんなに落ち着かないとは思わなくて、驚いている。
たかが茶会だ。ちょっと会って、お茶を飲むだけ。
大事な商談でさえ、ここまで緊張したことがなかったのに。
私は仕事しかできない。
年の近い女の子たちのように、流行りの歌や俳優、服や化粧について知識はあるけれど、それを楽しもうとは、どうしてか思えない。
そこに時間を割くなら、先人たちの残した書物を死ぬまでに一冊でも多く読むことのほうが、私には急務で。
無駄に知識はあるけれど、相手に合わせて知っている情報を話すことしか出来ないつまらない人間だ。
一体、仕事以外のことで、私に何が話せるだろう。
人から、よく冷静で大人びていると言われる。
しかしそれは、私が熱を持って誰かを楽しませる明るさを持っていないことの裏返しだ。
いつも節目がちで、屋敷で自分から話すことをやめてしまったリリアーネ姉様を、私はちゃんと楽しませることができるだろうか。
今になって妹面をして、あの人に幻滅されないだろうか。
もう私が家族として顔を合わせることを許されているのは、彼女しかいないというのに、それが逆に迷惑をかけていないだろうか。
考えたって、仕方ない。
これは仕事とは違う。私自身について、リリアーネ姉様がどう思うかの問題だ。答えを出すのは彼女で、私が見つけられるものじゃない。
「あ、マルカ様! もうすぐ着きますよ! 門が見えてきました!」
ごくり、と。
固唾を飲んで、私は車窓を眺める。
緊張なんて馬鹿らしい。
それは、リリアーネ姉様が私をよく思ってくれているという期待があるから起こるものだ。
いつも通りでいよう。
ふうと息をひとつ吐き、私は心を整えた。
「――大丈夫だ」
すると、アミの隣で黙っていたリカルド卿が口を開く。
今日も今日とて、私のお目付け役をしている彼は、一言だけそう言った。
王宮騎士団副団長様のお言葉だ。
彼が言うのであれば、きっと大丈夫なのだろう。
「いらっしゃい。マルカ。今日は来てくれてありがとう」
そして――。
ガイアロン公爵家に到着すると、リリアーネ姉様は笑顔で私を迎えてくれた。
「こちらこそ、今日は招いてくれて、ありがとうございます。リリアーネ姉様……。お元気そうで何よりです」
「マルカのおかげよ……。さあ、早く中に入って……!」
彼女にこうして公爵家の屋敷に招かれたのは初めてだ。
きちんとこの屋敷の女主人に染まってきていて安心する。
そういえば男爵様がいた頃は、私とメルティア姉様にはこんな風に敬語じゃなくて砕けた言葉で話しかけてくれていたな、と。
昔を懐かしく思いながら、私は中に案内された。
(……なんだろう。甘い匂いがする……)
どこからか、ほんのりと甘い香りが漂う。
中に進むにつれて、その香りが強くなる。
「……その、ちょっと張り切りすぎてしまって。……気に入ってもらえるといいのだけれど……」
リリアーネ姉様はそう前置きしてから、立ち止まった部屋の扉を開く。
大きなガラスの窓から差し込んだ光が、部屋を満たしている。
キラキラと、まるで美術品のように机に並べられていたのは、数えきれないほどのデザート。
「私は、マルカの好きなものを知らなかったから……。口に合うものがあると嬉しい……」
苦笑を交えて、彼女は私を振り返る。
「……私のために……?」
こんなに用意してくれたのか――。
大きなテーブルいっぱいに、これでもかと。
本当に色んな種類のデザートと、それを更に彩らせる美しい花々が綺麗に並べられている。
促されて席に座るけれど、まるで夢見心地だ。
「どれでも好きなものを食べて!」
そう言われて、私は端から端までテーブルを眺める。
そして、その中に、ひっそりと。
完成された他のお菓子とは違う、手作り感のあるケーキがあった。
「その、苺のショートケーキ……」
「――!」
私がぽつりと言うと、リリアーネ姉様は大きく目を見開く。
「こ、これがいいの……?」
驚いた顔で言われるから、私も不思議に思ったけれど、こくりと頷いた。
「私にとって、特別な日に食べるケーキだから。今日、リリアーネ姉様と、食べたいです……」
リリアーネ姉様は口元に手を置いて、何か耐えるような仕草をする。
「……あの、えっと。やっぱり他のものの方が……?」
最初に選ぶべきものではなかったのだろうか。
馴染みのある品で、どこか懐かしい感じがしたから、目についた。
「いいえ。違うの……。実はそのケーキは、最初から最後まで私が手作りしたもので……」
「えっ!?」
まさかの回答に、今度は私が目を見開く番だった。
「――誕生日、ケーキなの。この前、マルカの誕生日会を台無しにしてしまったから……」
彼女はそう言うと、控えていた自分のメイドに目を向ける。
すると、そのメイドは青いリボンの掛かった箱を持ってきて。
それを受け取ったリリアーネ姉様は、私の横まで歩いてくると、膝を曲げてそれを差し出す。
「改めて私が選んだの。お誕生日、おめでとう。マルカ」
――言葉も出なかった。
そっとそれを受け取って、私は呆然と彼女を見つめる。
「……あ、開けても?」
「うん」
リボンを解いて、箱を開くと。
そこには、万年筆と銀製の栞が納められていた。
「アルベルト様に許可をいただいたから、この公爵家の書庫にある本はいつでも読んで平気よ」
リリアーネ姉様が、私とのきずなをくれた。
机にプレゼントを置くと、私は込み上げる衝動のまま、リリアーネ姉様を抱きしめる。
「ありがとう。ありがとう、リリアーネ姉様。すごく嬉しいよ、大事にする」
「……うん。喜んでもらえて、私も嬉しい」
その後、私はリリアーネ姉様手作りの誕生日ケーキを食べた。
世界にたったひとつ、自分のために作ってもらったケーキは格別だった。
気を遣ってくれた公爵様は席を外していたみたいだけれど、こんなにたくさんお菓子は私とリリアーネ姉様だけでは食べきれない。
我儘を言って、屋敷にいた人たちも呼んで一緒にお茶会をしてもらった。
「まさか、お前が義妹殿の番犬になるとはな」
「僕だって、君がリリアーネ夫人と婚約するとは思わなかったよ」
うん……。ちょっと相性が悪そうなふたりもいるけれど、きっと凸凹が上手くハマれば気は合うと思う。
「そうです、リカルド様!」
「……はい。何でしょう」
「もしよろしければ、マルカがどんな風に過ごしているのか聞いても?」
リリアーネ姉様が空気を読んだのか、そんな話題を振った。
「私の話、ですか……? 仕事ばかりで面白くないと思いますが……」
それなら自分で話せそうだけれど、どうして彼に聞くのだろう。
首を横に倒してみれば、公爵様以外の人たちから、何か生温かい視線をもらう。
「毎日色んな情報が入ってきて、とても刺激的な日々ですよ。気になった情報は自分の目できちんと確かめに行かれるので、最近だと西の海まで行きました。毎回、危ないことにも首を突っ込んでいくから、騎士としては喜べないんですが」
「危ないこと……?」
「はい。僕が言っても歯止めにならないみたいなので、是非、夫人からもひと言お願いします」
「!?」
目の前で堂々と告げ口された。
私はリカルド卿を思わず睨む。
「マルカ……。あなたまでいなくなったら、私は……」
しゅんと切ない目をされてしまった。
楽しい茶会なのに、そんな話をしなくてもいいじゃないか。
「だ、大丈夫ですよ。ちゃんと自分の力量は分かっています!」
慌てて言葉を探し、リリアーネ姉様を宥める。
「そうだ。心配することはない。たとえ何があろうと義妹殿のことは守ってくれるさ。なぁ? 副団長?」
助け舟を出してくれたのは、意外なことに公爵様だった。
「……当然だ。けど、本人の意思とそれは別問題だ」
「ほう。大事な妻の妹だ。お前ひとりでは心許ないということなら、俺の騎士を寄越してやろうか」
「必要ない。彼女は僕と王宮騎士団で守る」
「ハッ。そこで『僕が』と言わないのが、お前らしくて笑えるな」
公爵様はなかなか良い笑みを浮かべていらっしゃる。
「――なあ。義妹殿」
そこで私に話の矛先が向けられるから、どきりとした。
「先日言った言葉は本気だ。こいつらに困ったら、いつでも茶を飲みに来い」
「……はい。ありがとうございます、公爵様」
苦笑して、肩をすくめる。
怪物公爵からの寛大な配慮だ。
彼なりに私を気遣ってくれていて、先日まで色々あったことが嘘のようだった。
「まだ硬いな。義妹殿。それでは俺が強要しているみたいだ。――そうだな。手始めに、俺のことは兄と呼ぶといい」
「えっ」
「は!?」
私に揃って、リカルド卿が目を剥いた。
「それは素敵ですね! とてもいい案だと思います!」
リリアーネ姉様は目を輝かせて、胸の前で手を合わせる。
じっと彼女の視線を向けられるから、私は困った。
別に呼び方くらい、変えるのは簡単なことだ。
しかし、そうも期待に満ち溢れた目で見られると、何だかこそばゆい。
「え、と……。それでは、お言葉に甘えて。…………アルベルト義兄様と」
歩み寄ってくれた彼に応えてみれば。
「ふむ。悪くない。俺に妹はいなかったからな」
「私もなんだか嬉しいです!」
「ま、待て。マルカ嬢、こいつのことを兄なんて呼ばなくていい!」
「何か欲しいものはないか、義妹殿。今度リリアーネと三人でどこか買い物でも行こう。聞いた話では、そこの剣術馬鹿は、君に護身用の品を送り付けてくるんだろう?」
「あっ。それなら、この前見つけたお店に行きたいです。自分で香水を作れるお店で、雰囲気もすごく素敵なんですよ」
目の前で、楽しそうに話が紡がれる。
「マルカは何か気になるお店はない?」
「俺より多忙な日々を送っているだろう。日は合わせるぞ、義妹殿」
「楽しそうなところ悪いが、僕も必ずマルカ嬢のそばにいるからな」
その輪の中に、ちゃんと自分がいるのが、どうしようもなく幸せだった。
私の名前はマルカ・サージェ・ペルルシャ。
お金を稼ぐだけしか能がない、リガーレ通信の代表をやっている男爵家の娘だ。
そんな私には、血は繋がっていないけど姉として私を見捨てないでくれた義姉と。彼女を溺愛している怪物公爵と呼ばれる義兄。それから、私の不在でも屋敷を守ってくれる執事と、紅茶を淹れるのが得意な専属メイド。
そして、少し心配性の専任の騎士がいる。
今度こそ、なくさないように。
私は私の大切な家族を守って生きたい。
お粗末様でした!
ご感想もたくさんいただき、本当にありがとうございました!またどこかでお会いできれば光栄です。




