蛇足4本
……お酒の勢いで、何か余計なことを言った気がする。いや、確実に言ってしまった。
私はレストランでリカルド卿と夕食を食べた次の日から、飲み過ぎと風邪のダブルアタックで寝込んでいた。
あれから数日経って体調が落ち着き、やっと調子が戻って来たのはよかったけれど、彼に言ったことを思い出して後悔している。
「…………はぁ……」
ベッドの上で膝を抱えると、私は溜息をこぼした。
「――マ、マルカ様……!」
そして、そんな私に畳み掛けて来たのは、
「どうしたの、アミ……」
「――奥様とメルティア様が……っ」
できれば聞きたくなかった悪い知らせだった。
***
「まだ病み上がりだろ……」
「……こればかりは、私が行かないと……」
支度を終えて部屋から出ると、リカルド卿は眉間に皺を寄せていた。
せっかく綺麗な顔をしているのに、彼にこんな顔をさせてしまって申し訳なさが募る。
「……君が望むなら、このまま国の外に出てもいい」
「追われて過ごす日々は心休まりませんよ」
「……冗談、だ」
「そうですか。本気に聞こえたので、真面目に返答をしてしまいました」
私は肩をすくめた。
一体、私の何が彼の琴線に触れたのかは分からない。
ただ、この人ほど誠実な騎士を知らない。
下手な誤魔化し方をされたが、これは本心からの提案だったのだと思う。
「ご心配いただき、ありがとうございます。リカルド卿」
私の味方になってくれようとしている稀有な存在だ。
私は彼に微笑む。
「……当然だ。無茶をしたら、すぐ止めるからな」
リカルド卿はそう言って静かに、しっかりと頷いてくれた。
*
「――次はない、と言ったんだがな」
「……私の監督不行届です。申し訳ございません……」
私が向かった先は、ガイアロン公爵家。
どうしてこうなったのかと言えば……。
「……母様。姉様。私は言いましたよ。公爵夫妻には近付かないでくださいと」
母と姉が、公爵の忠告を無視してリリアーネ様を傷つけようとしたからだ。
具体的に言うと、私の見舞いに来るという体で、王都に戻ってきた彼女たちは、偶然街中デート中の公爵夫妻に遭遇。
幸せな姿を見て嫉妬に駆られ――彼らが乗る予定の馬車の馬に細工をした。
遅効性の毒を飲ませたのだ。
「あなたたちがやったことは殺人未遂です。もう、私にできることはありませんよ」
ぐっと、拳を握りしめた。
この後、一体私はどうすればふたりの罰を軽くできるというのだろう。
なるべくいつも通りを保とうとした。
私は端的に言葉をかける。
しかし、それは悪手だったらしい。
「全部、あんたのせいよ!!!」
母が逆上した。
「自分だけ何を善人ぶってるの!? あんたのせいでこんなことになってるの! 私たちは何も悪くない!」
「……マルカ、あなただって今、わたしたちが騒動を起こしたとなれば大変でしょう……? 公爵様を説得して? ね……?」
血走った目の母と、すがってくる姉。
公爵夫妻と彼らの騎士や使用人、それから一緒に来たリカルド卿とアミから、私に向けて視線を注がれる。
「……母さん……。お姉ちゃん……」
久しぶりに使う呼び方が口から出る。
「私、ふたりには幸せになって欲しかったんだ。だから、一生懸命お金を稼いで、ふたりの言ってた生活ができるように頑張った。……まだ、足りなかったのかな……」
リリアーネ様を羨まなくてもいいように。
心が貧しくなってしまったふたりに、あれやこれやと望むものを準備した。
「そんなの、あなたの自己満足でしょう?」
――でも、それじゃあ、ダメだったみたいだ。
「…………そっか」
喉が渇く。からからだ。
「いいから早く慰謝料でもなんでも払って、この拘束を解かせなさい、マルカ!! なんでお前がここに呼ばれたのか、分からないの!?」
母の目が、ぎろりと私を睨む。
「――反吐が出るな」
そして。
ついに今まで黙っていた怪物公爵様が口を開いた。
「お前たちの罪が金で償えると思うなよ」
階段の前。彼は宣告する。
「どうやら、俺が何と呼ばれているか知らないらしい。――残虐非道、人の心もない怪物。法で裁けない悪を捌く悪だ」
すらりと。怪物公爵の名剣が鞘から抜かれた。
「俺とリリアーネを危険に晒そうとしただけじゃない。――先代男爵フォルク・コージェ・ペルルシャを事故に見せかけて殺したのは、お前だ。ガレット・ペルルシャ」
ああ、もう無理だ。
私は全てを悟った。
ここまでだ。私が私の努力でどうこうできるのは、ここまで。
「な、何を言って……!」
母の頬が引き攣り、声が裏返る。
「男爵家で昔雇っていた馬の世話役と、使用人の口を割らせた」
流石、怪物公爵様だ。
やはり、ちゃんと過去のあの事故を調べていた。
「ガレット・ペルルシャが市販の薬草を煮詰めて薬を作り、その娘メルティアがそれを馬に飲ませた。そして、その証拠を事件の後に真相に気が付いた現当主殿が隠蔽しようとした」
全てお見通しらしい。
彼の手にかかれば、今はない証拠も簡単に作り上げて、私たちを捌くことは簡単だろう。
この男は、それだけ危険で冷徹な怪物公爵なのだ。
「次はない。そう言った。俺としてはかなり甘い処理をしたつもりだったんだがな」
彼の冷徹な目が、私たちに向けられた。
それは、獲物を定めた目だった。
「私は悪くないっ。全部、全部、マルカのせいよっ」
母が怯えた表情で言う。
「最初から、男爵家の養子として、身請け金だけ私たちに残してたら、こんなことにはならなかったのに……!」
ガクガク震えながらも、彼女は口を回していた。
「ねぇ、助けてよ。マルカ! あなたなら何とかできるでしょう! ねぇ!!」
姉の悲鳴に似た声が耳をつん裂く。
「…………聞くな。聞かなくていい」
そんな私の耳を、誰かが両手で軽く塞いだ。
ハッとして後ろを見上げれば、そこにいるのは金髪碧眼の騎士。
「――何のつもりだ? 副団長」
「勅命だ。アルベルト・フォン・ガイアロン。僕はマルカ・サージェ・ペルルシャを、いかなる場合においても死守せよと承っている」
ぴくり、と。怪物公爵の眉が動いた。
「ほう。潔癖症が罪人を庇うとはな?」
「国のために生きて償ってもらうだけだ」
話が切れると、リカルド卿は剣を抜き、私の腰を反対の片腕で抱き寄せる。
一触即発。
この単語が今以上にピッタリな場面もないだろう。
「リカルド、卿……。私のことはいいから……」
「あんたは実の母と姉を見捨てるというの!? この薄情もの!!」
暴れ出して騎士に取り押さえられた母が叫ぶ。
「やめてください――!!」
それは、私の声じゃなかった。
心の声が飛び出てしまったのかと思ったけれど、違う。
ドレスを両手で掴み上げ、走ってここまで来たのだろう。
リリアーネ様が、悲痛な顔で階段から降りて来た。
「リリィ。何故来た。部屋にいろと――」
「私は知っていました!」
彼女は公爵の前で、今まで聞いたことのない大きな声で告白する。
「お義母様とメルティアが、お父様を殺したことも! マルカが証拠を燃やしたことも!」
シンと屋敷が静まり返った。
「そして、私も! 拾ってしまった、お義母様がメルティアに託した薬草の買い出しリストのメモを燃やしました!」
そんな話は、知らない――。
私は自分がちゃんと立てているのか、よく分からなくなっていた。
「…………どういうことだ。リリィ……」
怪物公爵も唖然としている。
「……私は、お父様に愛されていませんでした。再婚して姉妹ができると聞いて、私は見捨てられたのだと思いました。実際、彼はマルカと一緒にいる時間が長かった……」
リリアーネ様は語り出す。
「ずっと同じ屋敷にいたんです。マルカが当主としての勉強をしていたことは、すぐに分かりました。……だから……。私はこの家を継ぐことを望まれていないと分かっていたから、証拠を消しました……」
彼女は目を伏せた。
私の義姉は、灰被り姫も顔負けの可哀想な人だ。
父親と再婚した義母と姉に虐められただけじゃない。
実の父親からも、まともな愛をもらっていなかった。
男爵様は妻を溺愛した人だった。
亡き奥様は、リリアーネ様を産んでから体調を崩された。
彼女が病に倒れてから、男爵様はずっと愛妻のために生きていて。
長い間、リリアーネ様に冷たくあたった。
それを後悔したのは、奥様が亡くなってしばらくしてからだ。
今更父親ぶるのも迷惑だろうと。
彼が選んだのは、ただ、娘が苦労をせずに暮らせるだけの生活を約束すること。
そして、私がその手段に選ばれた。
「証拠隠滅の罪でマルカを裁くなら、私も同罪です。彼女を斬るなら私も斬ってください」
リリアーネ様は胸に手を当て、公爵様に告げる。
「…………リリアーネ様……」
私は何を言えばいいのかも分からなかった。
リリアーネ様がこちらに向かって歩いてくる。
「マルカは悪くない」
初めて、ちゃんと目が合った気がした。
「……今更だけど。もう遅いかもしれないけど……っ、最後くらい姉らしいこと、してもいいかな……っ」
潤んだ目に見つめられて、私は胸が苦しかった。
この人は。この親子は……。
どうして、もっと早く家族になれなかったんだろう。
そっと、私の腰回りからリカルド卿の腕が離れた。
「……リリアーネ、姉様……」
そうこぼした次の瞬間、目の前のリリアーネ姉様が見えなくなる。
彼女が私を抱きしめるから、前が見えなくなった。
「あなたの姉はわたしだけでしょ! マルカ!!」
「誰が今まで育ててきたと思ってるの! このっ、親不孝もの!!」
ただ、呆然として。
どうしていいか分からない。
「私の不幸はあなたよ、マルカ!! 産まなきゃよかった!!」
じわり。じわり。
今まで耐えていた何かが目に滲む。
――ああ、やっぱり、私には幸せな家庭なんて無理だったんだ。
普通の幸せな家庭なんて知らなかった。
他所の家の表面的な幸せを真似るしかなかった。
でも、それじゃあ、やっぱり駄目だったみたいだ。
私の前から温もりが消える。
リリアーネ姉様に覗き込まれた私の顔は、ひどいものに違いない。
涙が出た。
私は、男爵様も義姉も母も姉も。
誰一人として幸せになんてできなかったんだ。
だから、私自身も愛してもらえない。
――ばちん、と。
私の思考を遮るように、その音がホールの空気を切った。
「…………?」
何の音か分からなくて、私は周囲を回し、ハッとする。
その音の正体は、リリアーネ姉様が母様の頬をぶった音だった。
頭に血が上っている、と言えばいいのだろうか。
リリアーネ姉様がこんなに怒っている顔は初めて見た。
「あなたに、あなたなんかに、マルカの愛は贅沢すぎる」
どうして、血も繋がっていない義姉が泣いているのだろう。
どれだけ虐げられても、自分が手を上げるなんてことはしなかったリリアーネ姉様が、細い手を振るわせている。
「……落ち着け。リリィ。……あとは俺がやる」
そんな彼女を公爵様が放っておける訳もない。
彼は剣を収めて、リリアーネ姉様の横に立った。
「今日、俺たちの乗る馬車馬に毒を盛った殺人未遂の罪で、ガレット・ペルルシャ及びメルティア・ペルルシャを裁く。――地下牢に連れてけ」
彼の言葉に「ハッ」と返事を返した騎士たちが、母と姉を連行する。
その間、「マルカっ、マルカ!」と。自分の名を呼ばれ続ける。
「――マルカ嬢」
その場から動けなくなっている私に、リカルド卿は彼女たちから庇うようにして立つ。
「君のせいなんかじゃない」
――心を読まれたのかと思った。
「彼女たちが犯した罪は、君の罪じゃない」
彼はそう言うと、片手を伸ばして私の頬を親指で拭う。
「そう、ですよっ……。マルカのせいじゃない。私は、マルカがいてくれたから、こうして今も貴族令嬢として生きていられるんです!」
「…………まあ、確かに、リリィと逢えたのは当主殿のおかげだな……」
そうでしょう、そうでしょう、と。
リリアーネ姉様は公爵様に頷いた。
「お言葉ですが!! わたしは公爵様がマルカ様に剣を向けたこと! 一生忘れませんから!!」
そこで、アミがここぞとばかりに声を上げる。
「……アミ、それは、私が悪い、んだから……」
残った涙を袖で拭きながら、私は首を横に振った。
「それでも、わたしは忘れません!!」
彼女の訴えに、公爵様がふぅと息を吐く。
「……マルカ・サージェ・ペルルシャ殿。先日、何の根拠も明示せず貴女に剣を向けたことを深く謝罪する」
そして、あの怪物公爵に頭を下げられた。
「あ、頭をお上げください! 私こそ、私のほうこそ、リリアーネ姉様の婚約を始め、母と姉のことで多大なご迷惑をおかけいたしました。申し訳ございません」
それはもう慌てて彼を止めて、自分も深く頭を下げる。
「……俺が貴女に迷惑をかけられた覚えはない。むしろ、リリアーネとの婚約を許してくれたことに感謝するべきだろう。――ありがとう。聡明で思慮深き義妹殿」
ぐっと喉が鳴った。
今まで取りこぼしてきたものが、一気に器に入り込んで溢れている。
「で、ですが……私は……」
罪を犯したことは確かだった。
しかし、同じ罪を犯したリリアーネ姉様も自白してしまったため、それを口にできない。
「……残念なことに、ここには王宮騎士団副団長がいるからな。証拠がないことで裁くのは難しそうだ」
公爵様はちらりとリカルド卿を一瞥する。
「さっきも言ったが、僕は今、マルカ嬢の騎士だ。何があろうと彼女を守る。それが怪物公爵相手だろうと」
リカルド卿に躊躇いはなかった。
「とんだ番犬に捕まったな。義妹殿」
ハッと快活に公爵様が笑う。
「嫌になったら、すぐここに逃げて来い」
「……おい……」
公爵様の言葉に、リカルド卿は不満そうだ。
「……マルカ……」
「はい……」
改めて、リリアーネ姉様に名前を呼ばれる。
「今まで、ずっと、あなたに頼り切りでごめんなさい」
「……私こそ、自分勝手に巻き込みました。……虐げられていたことも、止められなかった。それに、お父上のことも……」
「…………ううん。いいの。もういいんだよ、マルカ……」
彼女はふるふる首を横に振った。
私たちは視線を合わせると、どちらからともなく苦笑し合う。苦い。苦い笑みだ。
ほんの少しの沈黙の後、再び口を開いたのはリリアーネ姉様で。
「……マルカ。もし。もしよかったら、今度、お茶に誘っても……?」
彼女から歩み寄ってくれたのは、初めてだった。
こんな私でも、妹として接してくれようとしている彼女に、私はまた涙腺を刺激される。
――もう無理だと思った。何なら、今でも半分くらい諦めている。
しかし、実の母と姉との間にできた溝にはまって、今手を差し伸べてくれている人を振り払うことは、したくなかった。
ここで手を取れなければ、後悔するに違いないと、私には分かってしまうから。
「…………是非、参加させてください。リリアーネ姉様」
私は今できる精一杯の笑みを返す。
すると、リリアーネ姉様は、また涙を流して。
今までぽっかりと開いていた距離を埋めるように、私を抱きしめてくれた。
次回、蛇足最終本。
楽しい楽しい誕生日会(予定)




