1・可哀想な義姉
短めのお話です。
よろしくお願いします!
私の名前はマルカ・ペルルシャ。
しがない男爵家の三女で、今は十五歳。
そんな私には、灰被り姫も顔負けの可哀想な義姉がいる。
「――こんなにぬるいお茶を飲めと?」
パタタタ、と。
傾けられたティーカップから流れる紅茶は、義姉の頭に注がれて、衣服にシミを作った。
犯人は言わずもがな、私の実の姉であるメルティア姉様だ。
どうして頭にお茶がかかるのかと言われれば、メルティア姉様が床に落ちたティースプーンを義姉に拾わせていたところだったからである。
「……申し訳ございません……」
義姉のリリアーネ姉様は全てを諦めた眼差しで、静かに謝罪を口にする。
そして、メルティア姉様はせっかく美人な顔をキツく歪めて彼女を見下した。
――いつものことだ。
私は静かに本を読みたいだけなのに、今日も今日とて義姉さまイビリは続いている。
せっかくの休憩時間を男爵家自慢の花咲く温室で、のんびりしていたのに……。
読んでいた本をぱたんと閉じて、吐き出しそうになった溜息を飲み込んだ。
メルティア姉様が来た時から嫌な予感はしていたけれど、案の定の成り行きで頭が痛い。
メルティア姉様とリリアーネ姉様は、同じ十八歳。
もう大人なのに飲み物やら食べ物やら、衣服やらを無駄にして、感情だけで動いている我が姉を見ると呆れてしまう。
同じ空間にいるのも嫌になって、私は温室を出ることにする。
彼女たちの横を通らなければ外に出られないのだから困ったものだ。
「……早く着替えたほうがいいよ」
何も言わずに通り過ぎてもよかったけれど、黙って下を向き続けるリリアーネ姉様を見たら、黙っていられなかった。
私が何も言わなければ、メルティア姉様の嫌がらせはきっと終わらない。また服や食べ物、備品が犠牲になってしまう。
「……はい……」
リリアーネ姉様は俯いたまま返事をする。
敬語で話せと言った覚えはないけれど、もともとリリアーネ姉様が丁寧な話し方をするのと、姉と母が虐めるから、私にまでこんな風に話す。
彼女はいつも長い前髪で視線を隠していて、私と目が合うことはなかった。
リリアーネ姉様のお母様が病気で亡くなり、男爵様と私の母親が結婚してから五年。
そして、男爵様が事故で亡くなった二年前から、だんだんとリリアーネ姉様の居場所は小さくなって、ご覧の通り。
男爵様が借金を残していたことが発覚してしまってからは、メイドの真似事なんかさせられて、彼女の手は令嬢のものとは思えないくらい荒れている。
「あら。マルカ、居たのね。気が付かなくてごめんなさい。あなたもお茶にする?」
「ううん。いらない。私もぬるいお茶は飲みたくないから」
「そうよね。マルカの言う通りだわ」
ニコリと笑う姉を見て、彼女の機嫌取りが終わったのを確認すると、私はまだ床に膝を付いているリリアーネ姉様を見た。
「立てないの?」
いつまで、そうしているつもりなのだろう。
私が最初に声をかけた時に立ち上がって、早くここから出ればいいのに。
再びリリアーネ姉様に声をかけると、彼女は肩をびくりと揺らした。
「……い、え。今、立ちます……」
そう言って立ち上がり、リリアーネ姉様の紅茶まみれのくたびれたドレス姿が露わになる。
――はぁ。
また古着を調達しなければならない。
新品を用意すると、すぐに姉様と母様が目を付けるから、決まって街の古着屋で、丁度良いくたびれ具合の服を探してもらっている。
今日もこの後、メイドのアミにお使いを頼まなくては……。
久々に。本当に久しぶりに仕事が落ち着いたから、ゆっくり休めると思っていたのに。
忙殺されて手が回らない家のことで、仕事が増えるものだから、げんなりする。
「はい、これ。ちゃんと拭いてから屋敷に戻ってね」
「……かしこまり、ました……」
ポケットを探ってハンカチを渡すと、リリアーネ姉様は静かにそれを受け取って頭を下げて部屋を出て行く。
「マルカは優しいのね」
「どこが?」
メルティア姉様がそんなことを言うものだから、私は怪訝な顔で即答した。
一体何をどう見れば、私が優しいなんて評価になるのだか。
全く目を合わせてもらえないくらい、リリアーネ姉様には嫌われてるいるのに、私が優しい訳がない。
「なんでもないわ。マルカは本が読めれば、それでいいものね」
「そうだよ」
性格が残念な我が姉ながら、よく分かっているではないか。
私はそれだけ答えると、リリアーネ姉様と再び出会わないように、ゆっくり歩いて温室を出た。
*
「もうお戻りですか? マルカ様?」
「うん。今日は温室に姉様たちが来ちゃったから、休憩は終わりにしてきた」
「……さようでございましたか……」
白髪混じりの老紳士、執事のセバスティアンが目を丸くするので答えると、彼は全てを悟った眼差しだった。
「アミにまた服をお願いしておいてくれる?」
「かしこまりました。指示を出しておきます」
お義父様の書斎に戻って来た私は、立派な皮が貼られた椅子に座ると、作業に戻る。
机に並べられているのは、男爵家が管理している事業関係の書類だ。
昔から本を読むのが好きだったのと、ここ数年、私がずっとこの部屋に引きこもっているから、母様もメルティア姉様も本が読みたいから私がここにいると思っているらしい。
リリアーネ姉様は……多分、私が嫌がらせでお義父様の書斎を独占しているとでも思っているのだろう。
――でも、本当はそうじゃない。
今は亡きお義父様から事業経営を任されているから、私はとてもとても忙しい。
いじめられているリリアーネ姉様を助ける暇も、家族揃って食事をする暇もないくらい忙しい。
でも、彼女たちにそれを言ったところで面倒なことにしかならなそうだから黙っている。
最初の頃は自分の足で仕事を取りに行かなくちゃいけなかったから、家のことは放ったらからし。
まさか、私がいないうちにこんなにリリアーネ姉様が追い詰められることになるとは思ってなかった……。
「よろしければ、珈琲をお淹れしましょうか?」
「うん。濃い目に淹れてくれると嬉しい」
「かしこまりました」
ペルルシャ男爵家の女主人となった母様はセバスティアンに経営のことを放り投げたつもりらしいけれど、実際に仕事を回しているのは私だ。
何故、私がそんなことをしているのかと言えば答えは単純で、そもそもこのために私は男爵家の三女になったからである。
私がまだ平民だった頃。
ひとりでよく訪れていた図書館で、お義父様と出会った。
いつも私がひとりで本を読んでいたからか、彼から声をかけてくれて、とても仲良くなった。
そして、うちの経営を任せたいから是非とも養子になってくれと言われたから、私は母と姉も一緒にならという条件で彼の娘になったのだ。
口裏合わせで母様は男爵様に見そめられたと思っているから、私がお義父様と結んだ契約について彼女は知らない。
リリアーネ姉様の現状を見てお分かりの通り、母様とメルティア姉様はプライドが高くて面倒なので、私が契約について黙っていてもらうように頼んでいた。
今はあの手この手で、母様が他の男性をこの家に連れ込まないように策を練り、私が十六歳の成人を迎えて正式な当主になるまで時を待っている状態である。
「……もう二年かぁ」
しばらく書類に向き合った後、用意してもらった珈琲を飲んで、私はひと息吐く。
リリアーネ姉様のお母様が病気で伏せってから、お義父様の精神は不安定だった。高額の治療費を払い、何の不運か事業の経営も傾き、多額の借金を背負っていたので、立て直すには少々苦労した。
でも、今は私が考案した通信事業が軌道に乗っているから、お金の心配はいらない。
お金があると知れば母様たちが荒遣いするから、架空の名義でやっているが、貴族社会ではよくある話らしいので、兎にも角にも問題はない。
まあ、それでも強いて何か問題があるとすれば、上手くいきすぎて仕事が多すぎることくらいだ。
もっと人手を増やしたいけれど、ここは表向き貧乏男爵家で、私が秘密裏にやっていることだから、簡単に幹部を増やせなくて苦労している。
「あと少しでお誕生日ですね。今年は仮病を使わずにパーティができると良いのですが……」
「どうだろうね。何事もなく迎えられることを祈るよ」
「……正式に男爵家当主となられますが、発表はいかがなさるのですか?」
心配そうなセバスティアンの問いに、カップを机に置いた。
彼はお義父様の側近で、今も私の補佐をしてくれている優秀な執事だ。まだ成人を迎えておらず、色々と手続きができない私のために、裏で手を回してくれている。
「私が当主になる前に、お義父様との約束をなんとかするのが先だよ」
ただ、当主になることも勿論重要だけど、私にはまだやらなきゃいけないことがあった。
***
「よかったわね。リリアーネ。素敵な嫁ぎ先が決まって」
「公爵様に嫁げるなんて名誉なことよ。きちんと妻としての役目を果たしなさい」
言葉と表情がぐにゃりと曲がっている。
メルティア姉様と母様は、私の嫌いな笑い方でリリアーネ姉様を見下していた。
リリアーネ姉様の嫁ぎ先は、「怪物公爵」と呼ばれる冷酷無慈悲な男だった。
気に入らないものは、女子供関係なく躊躇なく切り捨てる。その見た目もこの世のものとは思えぬもので、常に仮面をつけていると噂の人だ。
お義父様との縁があるからと、唐突に舞い込んできた手紙に、やっと厄介払いができると母様とメルティア姉様は喜んだ。
「……はい。今まで、お世話になりました……」
そして、リリアーネ姉様は、いつもと同じ全てを諦めた表情で俯いて、婚約を受け入れたのだった。
リリアーネ姉様の嫁入りは、とても質素で。
少ない荷物とメイドのアミだけを連れて、彼女はガイアロン公爵家に旅立った。
――そう。全ては私の思惑通りに。
「うまくいくでしょうか?」
リリアーネ姉様が家を出た後、さっそく仕事に戻った私にセバスティアンが尋ねる。
「さあ。私にも分からないけど、未婚の男性の中でも一番、財も権力も知能も武力も、容姿も優れた人に嫁入りしてもらったのは確かだよ」
「……まさか、ガイアロン公爵との取引きを成功されるとは思ってもみませんでした。流石ですね、マルカ様」
それは賭けだった。
通信事業で培った情報網で仕入れた、とっておきの優良物件様にリリアーネ姉様を任せることにした。
やや堅物なところは気になるが、何の理由もなしに人に手を上げる人ではないし、女遊びもしておらず品行方正。怪物なんて呼ばれているが、その素顔は絶世の美男子なので、美少女なリリアーネ姉様にぴったりだろう。
「取引きって呼べるようなものじゃないよ。彼が欲しがっている情報を渡す代わりに、リリアーネ姉様と結婚しろなんて……。私の正体を知らない公爵様からすれば訳が分からないだろうね」
「それでも、先方は条件を飲んだのですから、お見事です」
「……ありがとう。でも、私ができるのはここまでだよ」
セバスティアンが褒めてくれるから、私は苦笑する。
「本当はもっと早く嫁がせてあげたかったんだけどね」
そうすれば、少なくともリリアーネ姉様はこの家で傷付かずに済んだ。
昔のように私に笑いかけてくれていたかもしれない。
「……マルカ様は十分努力されておりました。事業の管理だけでも大変なのに、家のことまで……。まだお若いのに寝る時間も削って働かれていらっしゃるではありませんか」
「それは言い訳にならないよ。いじめを止めなかったんだから」
もっと上手くできたはずだ。
母様とメルティア姉様を見限れば、リリアーネ姉様を助けることなんて容易だった。
それでも、この家に一緒に入ることを条件にするくらいには、私も母と姉を愛していた。
仲良くしてくれれば、何も憂うことはなかったのに、見事なまでにリリアーネ姉様はいじめられてしまった。
私はまだ成人していないから、母様の名義がないとできないことが多々ある。だから、母様たちには大人しく家に居てもらうのが一番で。
お義父様の約束を果たそうと、今まで姉様ふたりには夜会や茶会に行くように準備をしたけれど、いつもリリアーネ姉様は下を向いて帰ってきた。
本当は政略なんて関係なく、純粋に恋した人に嫁がせてあげたかったのだけれど、私ももう成人を迎えて当主になるから、対外的にリリアーネ姉様には嫁に行ってもらうしかなかった。
「もし、リリアーネ姉様が酷い目に遭ってる情報が入ったら、すぐに離婚してもらうよ。あとはお義父様の遺産だとでも言って、お金を持たせてあげるくらいかな」
「かしこまりました」
セバスティアンが頷くのを見て、私は書類に視線を戻す。
もうすぐで誕生日。
そうしたら、男爵家の隠し財産を見つけた事にでもして、別名義でやっている通信事業を買い取って、この家で穏やかに暮らすのだ。
メルティア姉様も母様も仕方のない人だけれど、お金があれば生きるのに困ることはないはず。
どんな形であれ、花を売りながらも育ててくれた母親と、寒い日には抱きしめて寝てくれた姉のために私ができるのは、これくらいだった。
お読みいただきありがとうございます!