花影と骸
月明かりが桜の花びらに触れ、幽かな影を生み出した。
満開の桜は優雅に舞い踊り、散っていく。
儚く女性的な美しさを纏いながらも、幹は力強く男性的な魅力も備えている。
根は心中を図った男女の生気を地下から吸い上げ、力強くその花を咲き誇らせていた。
やがて男の骸が地下から腕を伸ばすと、土を掘り起き上がる。
しばらく呆然としていたが、突如として近くの地面を掘り始めた。
爪の間に土が挟まり、木の根が皮膚を切り裂いても構わない。
必死に掘り進め、やがて何かに指が当たる。
そこには、絶世と言えるほどの美女が眠っていた。
二人は結婚を誓い合った仲だったが、家族間の諍いによりその夢は叶わなかった。
男は名門の出で、彼女が一貧の農家の娘であることを理由に家族から猛反対を受ける。
彼らは絶望し、愛を確かめ合いながら心中を図ることになった。
そのはずなのに、手が動き、足が進み、脳が動き出す。
地面から出ると、すぐに女はここが冥府と呼ばれる場所であることを理解する。
そして「この世界なら、二人で永遠に暮らしていける」と、大層に喜んだ。
女は、現世で男と共に過ごせなかった悲しみから死を選んだ。
一方、男は彼女に対する愛を証明するために死を選ぶ。
その選択は見かけ上同じでも、その心情は全く異なっていた。
男は腰に刀が差してあることに気づくと、迷わずそれを抜く。
そして驚愕に目を見開く女を、瞬く間に両断した。
だが、死ななかった──
痙攣し再び起き上がった彼女の姿は、首が長く伸びており口は耳まで裂けていた。
冥府の妖気に侵され変わり果てた姿を目の当たりにし、男は彼女への愛を失ってしまったのだ。
彼は刀で女を何度も断ち切り、その骸を無情にも断ち続けた。
やがて、女の身体はぴくりとも動かなくなる。
男は「もうこんな所は嫌だ、私を現世に帰してくれ」と、何処へともなく懇願する。
その声は静寂なる冥府に響き渡り、宙を切り裂くかのように鳴り響いた。
無人の夜空へと向けられたその願いは、虚空を切り裂き紫色に輝く月へと届く。
そして月は彼の願いを聞き届けるかのように、光を増して夜空を照らした。
冥府の風景が遠ざかり、やがて彼は現世へと帰還する。
同時に「化け物だ」と、悲鳴が聞こえてきた。
何が起こったのか分からずにただその場で立ち竦む男に、刀を持った武士が駆け寄ってくる。
そして、その身体を切り裂いてしまう。
冥府にも至れない哀れな骸は、最後の瞬間に愛した女の名前を空虚に呟いた。