第二章 其ノ伍拾陸
「いや、それはその——とりあえず、着替えようか」
視線を逸らし応える。
血の匂いが鼻腔をくすぐった。
「恭平、ちゃんとこっち見ながら答えて!」
「は、はい!」
気迫に押し負け、なぜか地面に正座をしてしまう。
——喉が、渇いた。
「ねえ、一体何があったの? まさかこれも自称妹のせい?」
ずいっと恭平に詰め寄る基子。
彼女の白い首筋が、どこか艶めかしく見えた。
「いや、それはその——」
再び目を逸らす。
すると、ガシッと力強く両肩を掴まれた。
突然のことに、ビクッと体が跳ねる。
「恭平、知ってること全部教えて!」
凄みのある声音で脅された。
——教えてって言われてもなあ。
もちろん本当のことなど話せるわけがない。
彼女の瞳を見つめていると、心臓の鼓動が大きくなった。
そして段々と息が荒くなる。
——あれ? なんだ、これ……?
「どうしたの恭平? 大丈夫?」
胸に手を当て、うずくまりそうな恭平の顔を基子は心配そうに覗き込んだ。
——ダメだ。我慢……でき……な……
恭平は基子を地面に押し倒した。
「きゃっ!」
そして、そのまま白い首筋に歯を立てる。
「痛っ! ちょ、ちょっと恭平、何やっ——あっ!」
ジュルジュルと音を立てて、欲望のままに彼女の血を啜った。
口の中に錆鉄のような味が広がる。
何度かそれを嚥下すると、それは徐々に甘美な味に変わっていった。
「ちょっと、恭……」
基子はしばらく抵抗していたが、次第に大人しくなり、しまいにはかくんと意識を無くした。
——これ以上はまずいか。
薫にやられた時のことを思い出す。
恭平も同じように、貧血で気絶した。
白い首筋に刺さった犬歯を抜いた。隆起した傷口から、じわじわと血が湧き出している。
優しくなぞるように舐めると、基子の腕がピクっと反応した。
恭平は上体を起こし、空を仰いだ。
包まれる充足感。
じわりと目頭が熱くなる。
認めたくなかった。
円香を殺されたことによって目覚めた力が、薫と同じ鬼の力だということ。
——なんで自分が……
恭平は藍ヶ島出身ではない。
それに、双子の兄弟はいない。
ただ、母親がこの島の生まれだ。
それが何か関係しているのだろうか?
考えても仕方がないなと思い、恭平は立ち上がると地面に落ちた大きな鉈を手に取った。
ズルズルとそれを引きずりながら、今は動かなくなった円香に近づく。
途中、転がり落ちた頭部を拾った。そして、それを彼女の腹部に抱えさせるように置いた。
恭平は鉈を地面に刺すと、膝を折り手を合わせ目を閉じ願った。
——円香さん、すみません。俺、何も出来ませんでした……どうか安らかに。
大きくお辞儀をして立ち上がると、再び鉈を手に取り踵を返した。
そして基子の側まで戻り、彼女を抱えあげる。
村人に追われているとはいえ、このままここに置いていくのも忍びない。
恭平は基子を抱えたまま山を下りると、車まで戻り、後ろの席に基子を寝かせた。
ポケットからスマホを取りだし、ポチポチと操作をする。
「これでよし——」
ポケットにスマホを戻して、車の横に立てかけた鉈を手に取り歩き出す。
——目的地は……
恭平は迂回路を回らずに、森の中を鉈を振り回しながら突っ切った。
そこまで傾斜はきつくないものの、整備はされていないためか、なかなかの重労働に汗が身体にまとわりつく。
森を抜けると、ここからは青宝トンネルまでは舗装された道を進んだ。
当たり前だが、街灯などない。
月に薄雲がかかり、辺りは一瞬だけ暗闇に包まれた。
そして、すぐにまた道路を照らしだす。
薄灯の点いた青宝トンネルを抜けると、あとはひたすら三宝港まで下る。
船着場の手前で道を外れ、ゴツゴツとした岩の群れを慎重に下り、海までたどり着いた。
真っ黒に塗られらた水面が、大きな音をたてながら荒々しく揺らいでいる。
白く伸びた月光の道だけが、キラキラと輝いていた。
恭平は手に持った鉈を見下ろした。
本当はこれで自分の首を切り落とそうと考えていた。
恐らく、今の恭平の力ならば簡単に切り落とせるだろう。
しかし、万に一つでも切り落とせなかった場合、ものすごい苦痛が自らを襲う。
なにより、傷口が塞がり再生されるまでその痛みを耐えなければならない。
考えただけで身震いがした。
——って、何考えてるんだか。
恭平はくすりと小さく笑った。
これから死のうとしてる人間が、何を恐れるのだろうか。
いや、既に人間ではないのかもしれない。
薫のように、吸血鬼の欲望にまみれて多くの人の命を奪うくらいなら、最後は「柴山恭平」として人の心を持ったまま朽ちる。
そう決めてここまで来た。
恭平は大きく深呼吸をした。
「よし」
小声で、且つ力強く呟く。
波打ち際の岩場まで進むと、膝を着き、海面を覗き込むように上体を前に出した。
そして、手に持っていた鉈を、自分の首後ろ目掛け叩きつけた。
ゴスっと鈍い音が頭の奥から響いた。
すぐに「ぼちゃん」と水面に落ちた音が耳元で聞こえる。
——冷たっ!
どうやら海水浴はまだ早かったようだ。
そんなくだらないことを考えていると、意識はすぐに薄れていった。
※第二章はここまでです。




