第二章 其ノ肆拾壱
「あの時ちゃんと首を跳ねておけばよかったのかもね。ちょっと失敗」
言うが早いか、薫は地面を勢いよく蹴り、円香の顔めがけて拳を繰り出した。
円香はそれをいとも簡単に片手でいなし避ける。
着地と同時に地面に手を着いた薫は、後ろに足を出してそのまま体ごと縦に回転させた。
これを円香は上体を仰け反らせギリギリのところで躱す。
そして、薫は空中に円を描きながらすとんと地面に着地した。
「もう、なんでお姉ちゃん長いスカート穿いてくるかなあ」
薫を自分の足元を見ながら呟いた。
「恭平、危なから少し離れてな」
「えっ? あっ、はい!」
円香の忠告でばたばたと逃げるように二人から距離を取った。
佐々木も気づかれないようにこちらに近づいてくる。
「そういえば、どんなトリックを使ったの? 確かにあの時、串刺しにしたはずだけど」
「おや? 本当は気がついてるんじゃないのかい?」
円香の横に黒猫がすっと戻ってきた。
「なるほどね。趣味の悪い覗きはあんたってわけ」
「覗きなんて失礼な。情報収集と見張りだよ」
再び黒猫は薫に向かって臨戦体勢を見せた。
それに合わせて円香も戦う姿勢をとる。
「叔父さん、一体これはどういうこと?」
恭平は隣にきた佐々木に小声で問いかけた。
「円香は、自分のオボシナサマを他のモノに憑依させることができる巫女なんだよ」
「オボシナサマを憑依って、他人に?」
「そう。人に限らず動物もな。現にうちのジジにも円香のオボシナサマが一体憑いている」
「えっ! じゃあ、ジジはジジじゃないってこと?」
「うーん……そういうわけではないと思うが、恐らくオボシナサマが意識の主導権を握ってるだろうな」
「マジか……」
——あんな小さな猫に神様が……
しかし、それがどのような影響を及ぼすのか全くもって検討がつかない。
じりじりと円香と薫の距離が縮まる。
薫と対峙しているのが自分でないとはいえ、恭平は緊張で手に汗をかいていた。
ぎゅっと拳をにぎりしめる。
すると、薫の後方から大きな声が聞こえた。
「いたぞー! こっちだ!」
そちらを見ると、村の男達が数人、手に鍬やら鎌を携えてこちらに向かって近づいてくる。
「あーもう、面倒くさいなあ」
薫はため息と共に吐き捨てるように言うと、警戒を解き、こちらを見て笑顔で手を軽く振った。
「じゃあね、恭ちゃん。また後で」
薫は柵を乗り越えそのままカルデラの中に身を落とした。
突然のことに三人とも言葉無く固まる。
木々が生い茂っているとはいえ、柵の先は垂直に切り立った崖だ。
いくら薫が吸血鬼とはいえ、空を飛べるわけではないだろう。
恐る恐る柵を越えて下を覗き見る。
薫の姿はどこにもなかった。
「おーい。あんたらは大丈夫か?」
背中から聞こえる声に後ろを振り返った。
手に農具を持ち、息を切らしながら円香と何か話している。
すると、死角から突然ぽんと肩を叩かれた。
ビックっと全身が震える。
「とりあえず帰るぞ、恭平」
浮かない顔をしながら佐々木は言った。
恭平はこくりと頷くと、遊歩道に戻り、重い足取りでゆっくりと下山した。




