第二章 其ノ参拾漆
「大丈夫だって。鳥かなにかだろ」
恭平がそう言うと、「にゃーお」と鳴きながら草むらから黒猫が顔を出した。
「なんだ、ジジか」
しゃがみこみ、ちっちっちと舌を打って手招きする。
「この猫、ジジって言うの?」
基子も中腰になって猫を見つめている。
「叔父さんの家の猫なんだ。とは言っても放し飼いだけど」
「この間、ずぶ濡れで部屋に入ってきたよ」
「ああ、たまにあるみたいね」
黒猫は二人から離れたところにちょこんと座ると、ぺろぺろと自分の背中を舐めはじめた。
「懐かれてはないんだね」
残念そうに基子は言った。
「ああ、まあいつもの事だな」
そう言って立ち上がると、黒猫は毛繕いをやめてこちらを向いた。
じっと身動きもせず見ていたかと思うと、ふいっとそっぽを向いてすたすたとも森の奥に消えていった。
「行っちゃったね」
どこか寂しそうに基子は言った。
「ああ」と軽く相槌を打つ。
恭平は気を取り直すように立ち上がり、コンクリートの続いていない森の中を指した。
「ここから先は山道なんだ。足元気をつけてな」
その言葉にこくんと頷く基子。
人が滅多に通ることのないこの道は、自由に背丈を伸ばした草花たちに覆い隠され、気をつけて進まないと遭難してしまいそうだった。
恭平はそれ踏みつつ、彼女が歩きやすいように轍を作っていく。
「恭平、そういえば私の両親の話って聞く?」
「ああ、そうだった。自転車漕ぐのに必死で聞くの忘れてたな」
降り続いていた雨のせいで、すでに靴が泥だらけだった。
「酷い! 折角私の秘密を教えてあげようとしてたのに……」
口を尖らせ基子は言った。
「悪かったって。じゃ、教えてもらっていいか?」
「うーん。なんかその態度、ありがたみがないんだよなあ」
「ありがたみって!」
思わず後ろを振り返る。
突然のことに基子は立ち止まりびっくりしていた。
「ちょ、ちょっと。急に振り向かないでよ」
「ああ、悪い」
頭をぽりぽりと掻き、前に向き直ると再び歩を進めた。
「まあ、事故って言っても大したことないんだよね。ただの交通事故だし」
「いやいや、人が亡くなるような事故が大したことないわけないだろ」
再び開けた場所に出る。
ここは展望公園を通ってくるルートと交わる所で、左右に柵が連なった遊歩道が続いている。
そして、端にはベンチが一つぽつねんと佇んでいた。
「うわー、すごい景色だね」
ここからはカルデラの内側が見渡せる。
世界的にも珍しい二重カルデラの内輪山を上から望められる人気の観光スポットだ。
ただ、島を訪れる人が極端に少ないため人気と言ってもたかが知れていた。
そして、外輪山の切れ目からは灰色の海も見える。
「とりあえずそこで一旦休むか」
恭平がそう促すと、基子は「うん」と首を縦に振った。
ベンチは木でできていて、雨のせいで湿っている。
それを見て恭平は一瞬どうするか迷ったが、基子は気にせずさっさと座ってしまった。
「ちょっと冷たいけど大丈夫だよ」
こちらの意図を察したのか、苦笑いを浮かべ基子は言った。
「ああ」と頷き基子の隣に座る。
「さっきの話の続きなんだけど、実は私も両親と一緒に事故に遭ったの」
基子はカルデラの内側を眺めている。
仄暗い空が、どんよりと二人の間の空気を重くした。
「それって——」
「そう、私だけ生き残ったの」




