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#魕ガ棲ム島  作者: YasuAki
76/102

第二章 其ノ参拾伍

床に散らばった資料や本を足で掻き分けて、佐々木のデスクの引き出しから自転車の鍵らしきものを手に取り基子の元に戻る。

「ほれ」と渡すと「おお」とそれを感慨深げに眺めていた。

じゃりじゃりと音を鳴らして裏手に回り、駐車場の一角にある駐輪スペースに向かう。

「これが赤い彗星ちゅんちゅん丸だよ」

基子は自転車の鍵を開けると、サドルにまたがりハンドルを握って得意そうに言った。

「お前、たまにわけのわからないこと言うよな」

呆れ顔でぽつり。

「わ、わけわからなくないし! 名前あった方が愛着だってわくし!」

基子はそう言いガチャンとスタンドを蹴ると、地面を蹴りながらバックして駐輪場から自転車を出した。そして、すすっとサドルから荷台に移った。

「愛着って、乗るのはこの島にいる間だけだろ」

空いたサドルに恭平が跨る。

ハンドルを握って、ペダルに足を掛けて気がついた。

——まじか、ギアないじゃんこれ。

ため息を一つ。

すると急に両肩を掴まれもみもみと揉まれた。

「なんだよ急に」

「いや、凝ってるんじゃないかなと思ってね」

基子はにひひとどこか楽しそうに笑っている。

実際、恭平の体は疲れていた。

——まったく。

「それより、しっかり捕まれよ」

そう言ってペダルを力いっぱい踏む。

「うわっ! ちょっと、急に走り出さないでよ!」

もみもみと動いていた手が、がっしりと恭平の肩を掴んだ。

「振り落とされるなよ!」

砂利の駐車場から舗装された道路に出る。

ぐんぐんとスピードを上げ……るつもりが、すぐに登り坂になって失速した。

「頑張れー恭平ー」

荷台で面白そうに恭平の肩を叩く基子。

「頑張れって、結構きついぞこれ——」

息も絶え絶え言葉を漏らす。

「降りて後ろから押そうか?」

「いや、もうちょっと頑張るさ」

とその時、段差にタイヤを取られ、車体ががたんと大きく揺れた。

「きゃっ!」

基子の悲鳴とともに、不意に抱きつかれる。

「基子、平気か?」

内心、色んな意味で心臓がばくばくと音をたてていた。

平静を保つために一つ深呼吸をする。

「平気だけど、びっくりした」

「ごめん。ちゃんと前見えてなくて、段差があるの気がつかなかった」

「やっぱり、降りて押そうか?」

「大丈夫。もう少しだから」

道は白く舗装されたY字路に差しかかった。

そのまま左の綺麗な道を進む。

「あれ? ここって右じゃないの?」

肩越しの基子の声が聞こえた。

「ああ、右に行っちゃうと基子が遊んでた玉石階段の方に出るんだ。こっちはその迂回路」

段々と傾斜がキツくなる。

ペダルを漕ぐ足もそろそろ限界だった。

「あ、あれは遊んでたわけじゃなくて、つるつる滑って危ないから、たまたまあの格好で——」

「基子、一回降りれるか?」

「って、ん? どうしたの?」

「さすがにこっから先の傾斜で二人乗りはきつい」

キキィとブレーキをかけて停止する。

きしっと車体が浮いた。

「それにしても、なかなかな急坂だね」

基子は自転車から降りると、恭平の横に立ち道の先を眺めていた。

二人の目の前に続く坂道は緩やかに右に折れていて、先は見えない。

「よし行くか」

恭平も自転車から降りると、ハンドルを持って転がしながら歩きだした。

その後を基子がついてくる。

「なんか、こういうのって懐かしいね」

からからと軽快に回る車輪の音に混ざるように基子が言った。

「懐かしいってなにが?」

「昔は二人でよく遊んでたじゃない」

基子は小走りで恭平の横に並んだ。

「あの頃に戻りたいかって言われたら嫌だけど、それでも恭平が横にいてくれたことは、すっごく良かったって思う。うんうん」

「なんだよ急に。頭でも打ったか?」

基子の顔色を伺いながら聞いた。

どこから楽しそうに見える。

「たまには恭平に感謝しなきゃかなって思ってさ」

「なんだそれ。たまにはじゃなくて、いつも感謝してくれよ」

「うん——そうだね」

そう言って基子は立ち止まった。

恭平は自転車のブレーキをかけると、振り返り聞いた。

「どうした?」

彼女は俯き黙っている。

どこからただならぬ雰囲気が漂っていた。

恭平は自転車と共にバックして彼女の横に並んだ。

「大丈夫か? 調子でも悪いのか?」

その顔を覗き込む。

すると、基子はすっと顔を上げてにこりと微笑み言った。

「うん、大丈夫。さぁ、行こうか」

そしてすたすたと歩きだす。

「あ、おい。ちょ、まっ!」

その後を急いで追いかける。

しばらく進むと、少し開けた場所に出た。

恭平は自転車を停めるとガチャンとスタンドを立てた。

「ここまで来ればあと少し」

基子の様子を伺うように声をかけた。

そして彼女は「うん」と小さく一言。

すると草葉の陰でガサガサと物音がした。

基子はびくっと肩を震わせ、恭平の後ろに隠れた。

「大丈夫だって。鳥かなにかだろ」

恭平がそう言うと、「にゃーお」と鳴きながら草むらから黒猫が顔を出した。

「なんだ、マイケルか」

しゃがみこみ、ちっちっちと舌を打って手招きする。

「この猫マイケルって言うの?」

基子も中腰になって猫を見つめている。

「叔父さんの家の猫なんだ。とは言っても放し飼いだけど」

「この間、ずぶ濡れで部屋に入ってきたよ」

「ああ、たまにあるみたいね」

黒猫は二人から離れたところにちょこんと座ると、ぺろぺろと自分の背中を舐めはじめた。

「懐かれてはないんだね」

残念そうに基子は言った。

「ああ、まあいつもの事だな」

そう言って立ち上がると、黒猫は毛繕いをやめてこちらを向いた。

じっと身動きもせず見ていたかと思うと、ふいっとそっぽを向いてすたすたとも森の奥に消えていった。

「行っちゃったね」

どこか寂しそうに基子は言った。

「ああ」と軽く相槌を打つ。

恭平は気を取り直すように立ち上がり、コンクリートの続いていない森の中を指した。

「ここから先は山道なんだ。足元気をつけてな」

その言葉にこくんと頷く基子。

人が滅多に通ることのないこの道は、自由に背丈を伸ばした草花たちに覆い隠され、気をつけて進まないと遭難してしまいそうだった。

恭平はそれ踏みつつ、彼女が歩きやすいように轍を作っていく。

「恭平、そういえば私の両親の話って聞く?」

「ああ、そうだった。自転車漕ぐのに必死で聞くの忘れてたな」

降り続いていた雨のせいで、すでに靴が泥だらけだった。

「酷い! 折角私の秘密を教えてあげようとしてたのに……」

口を尖らせ基子は言った。

「悪かったって。じゃ、教えてもらっていいか?」

「うーん。なんかその態度、ありがたみがないんだよなあ」

「ありがたみって!」

思わず後ろを振り返る。

突然のことに基子は立ち止まりびっくりしていた。

「ちょ、ちょっと。急に振り向かないでよ」

「ああ、悪い」

頭をぽりぽりと掻き、前に向き直ると再び歩を進めた。

「まあ、事故って言っても大したことないんだよね。ただの交通事故だし」

「いやいや、人が亡くなるような事故が大したことないわけないだろ」

再び開けた場所に出る。

ここは展望公園を通ってくるルートと交わる所で、左右に柵が連なった遊歩道が続いている。

そして、端にはベンチが一つぽつねんと佇んでいた。

「うわー、すごい景色だね」

ここからはカルデラの内側が見渡せる。

世界的にも珍しい二重カルデラの内輪山を上から望められる人気の観光スポットだ。

ただ、島を訪れる人が極端に少ないため人気と言ってもたかが知れていた。

そして、外輪山の切れ目からは灰色の海も見える。

「とりあえずそこで一旦休むか」

恭平がそう促すと、基子は「うん」と首を縦に振った。

ベンチは木でできていて、雨のせいで湿っている。

それを見て恭平は一瞬どうするか迷ったが、基子は気にせずさっさと座ってしまった。

「ちょっと冷たいけど大丈夫だよ」

こちらの意図を察したのか、苦笑いを浮かべ基子は言った。

「ああ」と頷き基子の隣に座る。

「さっきの話の続きなんだけど、実は私も両親と一緒に事故に遭ったの」

基子はカルデラの内側を眺めている。

仄暗い空が、どんよりと二人の間の空気を重くした。

「それって——」

「そう、私だけ生き残ったの」

言葉が出てこなかった。

「居眠り運転のトラックが突っ込んできてね。後ろに座らされた私だけ無事だった」

基子は立ち上がり、柵に向かって歩き出した。

「私も車の中で寝ちゃってて、起きたら病院のベッドの上。しかも奇跡的に無傷」

そして、くるりと踵を返し恭平の方を向き言う。

「もちろんいっぱい泣いたよ。今でも思い出すと、ちょっと辛いかな。でもね、落ち込んでても前に進めないじゃん。それに今はおじいちゃんやおばあちゃんも居るし」

基子は地面の石を蹴った。

「両親との思い出は?」

「優しかったのは憶えてるんだけどね。どこかに連れて行ってもらったとかは、あんまり記憶にないんだよね」

「そっか——」

俯き言葉を返した。

「多分、その事故の時が初めての家族旅行だったんじゃないかな」

基子は再びベンチまで戻ってくると、すとんと腰を落とした。

「ほら、大したことないでしょ」

基子は恭平の方を向くと、にこりと笑顔で言った。

「いや——ごめん、なんて言っていいかわかんないわ」

衝撃すぎて、思わず彼女から目を逸らした。

幼い少女には重すぎる出来事だ。

「ううん。でもね、恭平には本当に感謝してるんだよ」

感謝されるようなことをしたつもりはなかった。

ただ、彼女の言葉にどれほどの気持ちがこもっているのかがみえて、こちらが何を言っても軽くなってしまう気がした。

「大変な時に、いつも側にいてくれてありがとう」

恭平はそう言った彼女の瞳を見つめた。

優しい眼差しに、つい見惚れる。

「ところで、後どれくらいで着くのかな?」

慌てて言葉を返す。

「あ、ああ。ここからだと十分くらいかな」

「そっか。結構近いんだね」

基子は再び立ち上がり、くるりと軽快に回ると恭平の方に手を差し出し言った。

「行こっか!」

恭平は「ああ」と頷きその手を取った。

「で、どっちの道?」

基子は左右の道を交互に見ながら聞いてきた。

「えっと、右だな」

「オッケー。じゃ、出発!」

そう言って楽しそうに先に進んでいく基子。

両親の死がトラウマになっているのではないかと思っていたが、どうやら違ったようだ。

であれば、薫はどこから現れたのだろうか。

「ところでさ、恭——」

突然ドーンと大きな音が鳴った。

森の中から鳥たちがバサバサと逃げていく。

「一体何が——」

目の前を歩いていた基子ががくりとうずくまった。

「えっ! ちょっ、基子?」

駆け寄ろうとして、再び大きな音が鳴った。

慌ててその場にしゃがみ込む。

「銃声? ……っ!」

うずくまっていた彼女がどさりとその場に倒れた。

「基子? おい、大丈夫か!」

急いで近づいて膝をつき彼女を抱え起こす。

白いTシャツの左腕と胸の部分が、赤薔薇のように真っ赤に染まっていた。

次第にそれはじゅくじゅくと大きくなっていく。

「おい、基子!」

「恭……へ……ごほっ!」

喋ろうとして咳き込み、大きく血を吐き出した。

ひゅーひゅーと空気の漏れる音がする。

「もういい! 喋るな! すぐに俺が病院まで連れて行くから!」

恭平は彼女の胸の傷口を手で押さえつけた。しかし、血は止まる気配をみせない。

「ご……ごめん、ね……」

「謝るなって! 絶対大丈夫だ! すぐに助ける!」

彼女の頬を一筋の涙が溢れ落ちる。

それと同時にかくんと首が力を無くした。

「基子? おい! 基子っ!」

彼女の体を揺さぶるも、なんの反応もない。

「えっ、ちょっと待てよ。まだ逝くなよ! 基子っ! おい! 基子っ!!」

恭平の頬にも涙がなぞる。

「基子っ……」

恭平は動かなくなった彼女を強く抱きしめた。

すると、森の中からがさがさと何かがこちらに向かってきた。

びくりと体を震わせ、恐る恐る音のする方に視線を向けた。

「なんだ、恭平もいたのか」

そう言ってひょっこり顔を出したのは佐々木だった。

手には猟銃を抱えている。

「えっ? 叔父さん?」

なぜ彼がここにいるのか。

困惑した恭平は思わず彼女を抱き寄せた。

「ところで恭平。そいつは死んだのか?」

「えっ? 死んだって……一体どう言うことだよ!」

この状況を見て、感情のない言葉を投げかける佐々木。呆気にとられるも、段々と怒りが込み上げてきた。わなわなと肩が震える。

「どうもこうもないんだよ!」

しかし、先に佐々木の方が声を荒げた。突然のことにびくっとたじろぐ。

「そいつがなにしたかわかってるのか? 村人を殺して回ってたんだぞ!」

「村人を?」

事切れた彼女を見つめる。

確かに基子は薫でもある。

しかし、村人を殺して回っていたのは恐らく薫のほうだ。

ついさっきまで楽しそうにはしゃいでいた基子ではない。

「だからって——だからって殺していいわけないだろ!」

今度は恭平が咆哮した。

キッときつく佐々木を睨みつける。

「い、いや、そうだが、そのまま放っておけるわけもないだろ」

恭平の怒りに当てられ慌てる佐々木。

「なんでだよ、なんでなんだよ。なあ、基子……返事をしてくれよ」

涙が頬を伝い、ぽたりと彼女の頬に落ちた。

佐々木はその場にへたり込み、手に持っていた猟銃をとさっと落とした。

再び肉塊になってしまった彼女を強く抱きしめる。

そして、堰を切ったように泣き叫ぶ。

「基子……っく、ご、ごめんよ。俺の……俺のせいで——」

こんな場所に連れてくるべきではなかった。

「探しに行こう」と言い出した彼女を止めて、大人しく宿に留まっていれば、佐々木と遭遇したとしても話し合うことが出来たはずだ。

悔しくて拳を握りしめた。

すると、彼女の体がぴくりと動いた。

「も、基子?」

恭平は驚き、抱きしめていた腕をゆっくりと解放した。

「んっ……」

彼女は顔を歪め、薄く瞼を開けた。

「基子っ!」

目を見開き彼女を見つめる。

すると彼女はごほごほと咳き込み、右手で自分の口元を押さえた。

「基子、大丈夫か!」

彼女はこくんと小さく頷いた。

「良かったぁ。って、良くない! めちゃくちゃ血だって出てるし、早く病院行って治療しないと!」

気を失っていただけなのだろうか。

咳き込む彼女の背中を摩っていると、Tシャツの内側の何かがはらりと取れた。

「きゃっ!」

咄嗟に胸を隠す彼女。

「基子っ! どうした?」

彼女はにんまりと笑みを浮かべた。

口元についた血の痕が不気味さに拍車をかける。

「恭ちゃんの、エッチ」

「えっ?」

その言葉で全身が痺れたように硬直した。

——なんでこのタイミングで……

恭平の知る限り、基子と薫の切り替えはどちらかの意識がなくなった時に代わっている。

恐らく今回もそう言うことなのだろう。

基子が怪我を負ったショックで、自身もパニックになり失念していたことを悔いた。

「ちょっと恥ずかしいから、どこか室内に行こうよ。って、もしかして恭ちゃん、外が良かった? 本当に、変態さんなんだから」

頬を赤らめ、どこか嬉しそうに薫は言う。

「いや、そんなことは——」

唐突に左手の人差し指を唇に押し付けられた。

思わず仰け反る。

「お前、左手は大丈——っ!」

そしてそのまま両腕を首に絡ませ、唇を重ねてきた。

彼女の血の味が口の中に広がる。

恭平は薫から逃れようともがいた。しかし、自分を拘束する力は強く、びくともしない。

薫は満足したのか、恭平を拘束から解くと、そのままゆっくりと立ち上がった。

そして、唖然としている佐々木の方に向かい歩き出した。

「ちょ、ちょまっ! 薫っ!」

恭平は咄嗟に立ち上がろうとしたが、足に力が入らなかった。どうやら、基子を座った状態でしばらく抱えていたせいで痺れてしまったようだ。

「くそっ!」

佐々木は恐怖で動けないのか、その場にへたり込んだままだった。

そこへ——

草場の影から何かが勢いよく飛び出した。

そして、佐々木の前で止まると薫に立ちはだかり威嚇し始めた。

——マイケル!

黒猫は毛という毛を逆立たせると「ウー!」と勢いよく唸っている。ピンとそそり立った尻尾は、普段の倍くらいの大きさになっていた。

「また使い魔か」

少し呆れた様子の薫。

「やれやれ、なんとか間に合ったね」

恭平の後ろから、聞き慣れた声がした。

振り向くとそこには——

「えっ! ま、円香さん?」

ブルーデニムに白シャツを着た円香が軽快な様子でこちらに歩いてくる。

「ちっ!」と舌打ちをして、円香を睨みつける薫。

「円香さん、一体どうして? だってあの時——」

基子のカミソウゼに失敗して、彼女の体を奪った薫に殺されたはずだ。

しかし今、元気な姿で颯爽と現れた。

ポンと肩を叩かれはっと我に返る。

「恭平にしちゃ頑張ったじゃないかい」

もう見ることもできないと思っていた少し疲れたその笑顔。

聞くことさえできないと思っていた酒焼けで嗄れた声。

胸の奥からこんこんと込み上げてくる感情を抑えることができなくて、いつの間にか涙を流していた。

「心配かけてすまないね」

感情の波が声帯を上手く震わせることを許さず、恭平はぶんぶんと首を横に振った。

「さてと、ここからはあたしらに任せな」

円香はキッと薫を見つめた。

薫は相変わらずこちらを睨んだままだった。

「あの時ちゃんと首を跳ねておけばよかったのかもね。ちょっと失敗」

言うが早いか、薫は地面を勢いよく蹴り、円香の顔めがけて拳を繰り出した。

円香はそれをいとも簡単に片手でいなし避ける。

着地と同時に地面に手を着いた薫は、後ろに足を出してそのまま体ごと縦に回転させた。

これを円香は上体を仰け反らせギリギリのところで躱す。

そして、薫は空中に円を描きながらすとんと地面に着地した。

「もう、なんでお姉ちゃん長いスカート穿いてくるかなあ」

薫を自分の足元を見ながら呟いた。

「恭平、危なから少し離れてな」

「えっ? あっ、はい!」

円香の忠告でばたばたと逃げるように二人から距離を取った。

佐々木も気づかれないようにこちらに近づいてくる。

「そういえば、どんなトリックを使ったの? 確かにあの時、串刺しにしたはずだけど」

「おや? 本当は気がついてるんじゃないのかい?」

円香の横に黒猫がすっと戻ってきた。

「なるほどね。趣味の悪い覗きはあんたってわけ」

「覗きなんて失礼な。情報収集と見張りだよ」

再び黒猫は薫に向かって臨戦体勢を見せた。

それに合わせて円香も戦う姿勢をとる。

「叔父さん、一体これはどういうこと?」

恭平は隣にきた佐々木に小声で問いかけた。

「円香は、自分のオボシナサマを他のモノに憑依させることができる巫女なんだよ」

「オボシナサマを憑依って、他人に?」

「そう。人に限らず動物もな。現にうちのマイケルにも円香のオボシナサマが一体憑いている」

「えっ! じゃあ、マイケルはマイケルじゃないってこと?」

「うーん……そういうわけではないと思うが、恐らくオボシナサマが意識の主導権を握ってるだろうな」

「マジか……」

——あんな小さな猫に神様が……

しかし、それがどのような影響を及ぼすのか全くもって検討がつかない。

じりじりと円香と薫の距離が縮まる。

薫と対峙しているのが自分でないとはいえ、恭平は緊張で手に汗をかいていた。

ぎゅっと拳をにぎりしめる。

すると、薫の後方から大きな声が聞こえた。

「いたぞー! こっちだ!」

そちらを見ると、村の男達が数人、手に鍬やら鎌を携えてこちらに向かって近づいてくる。

「あーもう、面倒くさいなあ」

薫はため息と共に吐き捨てるように言うと、警戒を解き、こちらを見て笑顔で手を軽く振った。

「じゃあね、恭ちゃん。また後で」

薫は柵を乗り越えそのままカルデラの中に身を落とした。

突然のことに三人とも言葉無く固まる。

木々が生い茂っているとはいえ、柵の先は垂直に切り立った崖だ。

いくら薫が吸血鬼とはいえ、空を飛べるわけではないだろう。

恐る恐る柵を越えて下を覗き見る。

薫の姿はどこにもなかった。

「おーい。あんたらは大丈夫か?」

背中から聞こえる声に後ろを振り返った。

手に農具を持ち、息を切らしながら円香と何か話している。

すると、死角から突然ぽんと肩を叩かれた。

ビックっと全身が震える。

「とりあえず帰るぞ、恭平」

浮かない顔をしながら佐々木は言った。

恭平はこくりと頷くと、遊歩道に戻り、重い足取りでゆっくりと下山した。



[ゴミ箱]

進むにつれてどんどんと元気がなくなっている。

恭平は一つ深呼吸して立ち止まり、後ろを歩く基子に言った。

「妹、探すのやめるか?」

唐突な提案に驚いたのか、基子は目を大きく見開いた。そして俯き、首をふるふると横に振る。

「きょ、恭平。ごめん」

力無い言葉が漏れる。

「謝るなって」

寧ろ謝りたいのは恭平の方だ。

基子が薫に会うことは絶対に叶わない。

それを知っているから、彼女に謝られると罪悪感で胸が締め付けられる。



すると、基子の瞳から涙が溢れ落ちていた。

「おいおい、どうしたんだよ急に!」

慌てて自転車のスタンドを立て停めた。

基子はふるふると首を横に振るう。

「なあ、本当にどうしたんだよ。どこか痛いのか?」

再びふるふると首を振った。

「ち、違うの。だって私、どうしたらいいかわからなくて……」

そして、がばっと勢いよく抱きしめられた。

突然のことに肩が跳ねる。

そのまま胸の中で泣きじゃくる彼女を恭平は優しく抱きしめた。

基子はしばらくして落ち着いたのか、「もう大丈夫」と言って恭平の胸から離れた。

「もう少し進むと場所が開けるから、とりあえずそこまで行くか」

俯く彼女に恭平は言った。

コクンと小さく頷いた。

ゆっくりと自転車を押しながら、後ろからついてくる基子を置き去りにしないように注意してチラチラと確認する。

無言で歩く二人の空気は重く、足にまとわりついては更に歩みが遅くなる。

やっとのことで少しひらけた平な場所に出た。

自転車を停めて、基子の前に立つ。

「とりあえず、どうしたんだ?」





ぎゅっと腰に抱きつかれ、一瞬ビクッと体が跳ねた。


南台所神社に行って何するんだっけ?」

「何するって、妹探すんだろ」

「妹探すって、そんなのいるわけないのに?」

ぞくりと背中に悪寒が走った。

思わず足を止めて基子に聞き返す。

「ちょっと待て——お前、誰だ?」

「何が?」

基子も同じくぴたりと止まり、肩越しにこちらを振り返った。

そして優しく微笑む。

唇の隙間から覗く犬歯がやけに長く見えた。

「なんで、お前なんだよ。基子は、基子はどうしたんだよ!」

愕然とした。

そんなはずはないと思っていた。

くるりと踵を返し、恭平の前に歩み寄る彼女はまだ楽しそうにしている。

「恭ちゃん、何言ってるの? 目の前にいるじゃない」

彼女は再びにこりと微笑んだ。

「お、お前っ!」

次第に怒りが込み上げてきた。

わなわなと体が震える。

すると、急に抱きしめられ、首筋にずきりと痛みが走った。

「っ痛!」

振りほどこうとするも、彼女の力が強すぎてびくともしない。

そして血の気が引いてきたのか、次第に力が入らなくなった。

恭平は抵抗するのを諦めた。

血を吸い終えた彼女は、ぺろぺろと首筋を舐めている。

「ご馳走様でした」

彼女はそう言って恭平を解放すると、ぺろりと唇を舐めた。

貧血のせいか、恭平はその場に膝を着いた。

そして徐々に気分が悪くなり、心臓がバクバクと大きく鼓動する。

「恭ちゃん、大丈夫?」

彼女はしゃがみこむと恭平の顔を覗き込んだ。

——誰のせいで!

脳裏に浮かんだ言葉は口から吐き出せなかった。

目の前がゆっくりと暗くなってくる。

「仕方ないなぁ。特別だよ」

彼女も地面に膝を付くと、そのまま恭平を抱きしめた。

柔らかな感触が顔を包む。

今度は力加減をしてくれたのだろう。

背中に回された手は優しかった。

彼女の甘い匂いを鼻腔に捉え、薄れゆく意識の中で遠くから誰かに名前を呼ばれた気がした。


彼女が二重人格だとしても、地元に戻れば治療の方法もあったに違い顔を


「恭……」


恭平の呼びかけも虚しく、腕の中の彼女から返事はない。

「一体なんなんだよー!!」

そして、叫び泣く。


赤く染まっているTシャツの腕の部分が破れた隙間から、地肌が覗いた。


そこ! さっきから後ろでごちゃごちゃうるさいよ!」

ぴりぴりと張り詰めた空気の中で薫と対峙していた円香に怒られた。

「いいんじゃない。この際だから、あんたの正体教えてあげれば?」

薫は円香に向けていた敵意を解くと、恭平の方を見てにこりと笑った。

その笑みが恭平の体を硬直させる。

円香は大きくため息をつくと「仕方ないなあ」と呟き、とつとつと静かに話し始めた。


——


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