第二章 其ノ参拾参
基子と二人で宿から出ると、雨はすっかりやんでいた。
ただ、灰色の雲は未だに空を大きく覆っている。
いつまた雨が降り出してもおかしくない。
村の方から、サイレンの音は聞こえなかった。
こちらもいつの間にか止まったようだ。
「ところで恭平……」
「どうしたん?」
なにか言いづらそうにもじもじと下を向いている基子。
「ど、どこから探せばいいのかな?」
なんとかなると意気込んで出てきたものの、やはり探す場所は決めていなかったようだ。
上目遣いで聞いてくるその姿があまりに愛らしくて、恭平の胸はドキッと跳ねた。
「ああ、そうだな——」
誤魔化すように目を逸らした。
——どうするか。
基子の探している妹の薫は、基子の内側に居る。
彼女自身が会いたいと願っても、絶対に会うことは出来ない。
しかし先程の薫の言動から、どうやら彼女には基子の時の記憶があるようだ。
となると……
——基子にも薫の記憶があるのか?
「恭平、どうする?」
その声にはっと我に返る。
「ああ、とりあえず——南台所神社にでもいってみるか?」
「南台所神社?」
「そう。基子が楽しそうに足を滑らせて遊んでたところ」
「いや、あれは遊んでたんじゃなくて、階段の石は丸いし、苔はすごいしでたまたま——」
恥ずかしそうに顔を赤くして焦る基子を見て、恭平はくつくつと笑い言った。
「大丈夫。何も見てないよ」
バシッと肩を叩かれた。
「でも、なんで南台所神社なの?」
不貞腐れながらも基子は言った。
「いや、なんとなくさ」
——なんとなく。
基子と薫の関係は今のところ姉妹で割り切るとして、それでも薫が現れた原因は別にあると踏んでいた。
恭平は過去に基子が薫になったところを見た事がない。
ということは、この島に来てなにかがおかしくなったのではないだろうか。
実際は何年か会えていない時期もあるのだが、そればかりは恭平にもわからない。
「そっか。でもどこ行けばいいかわからないし、とりあえず……って、ちょっと待って。またあの石段登るの?」
ものすごく嫌そうな顔をする基子。
「ああ、そっか。基子は下から行ったから知らないのか」
「下から?」
そして、不思議そうに小首を傾げた。
「実は上の道もあって、そっちからだと近くまで車で乗り入れできるんだ」
「え? 他の道もあったの?」
「まぁ、そんなに行くこともないけど。地元の人はそっちか、もしくはここからだと遠いけど展望公園を通るルートを使うのが普通だね」
口を開け固まっている。
どうやら相当ショックだったようだ。
「とりあえず、車で……」
そう言いかけて恭平は足を止めた。
「どうしたの急に止まって?」
車は大里神社の集会所の駐車場に停めたままだった。
しかし、先程基子には「車で戻ってくる際に鳥の血を服にこぼした」と伝えてある。
その車がここにないのはまずい。
恭平はくるりと踵を返して基子の方を向き直り言った。
「そうだった。さっき叔父さんが車で出かけちゃったの忘れてた。ごめん!」
両手を重ねぺこりと頭を下げる。
「えっ? じゃあ……歩き?」
「ああ、ちょっと歩くけど行けない距離ではないからそうなるかな」
「そっか……ん? ちょっと待って——ちゅんちゅん丸があるよ!」
「ちゅんちゅん丸?」
「そう、ちゅんちゅん丸!」
なぜか胸を逸らし得意げに言う基子。
「な、なんだそれ?」
そして、呆れ気味に問う。
「佐々木さんの赤い自転車!」
「自転車?」
恭平は頭を巡らせた。
確かに、南台所神社に基子を迎えにいった際に赤い自転車を見た記憶がある。
「ああ、あったなそんなものが」
「そんなものじゃないよ! ちゅんちゅん丸だよ!」
ふいにその言動が薫と重なった。
胸の奥がざわつき焦る。
「ああ、ごめん。そうだな、確かに自転車はあるな」
その様子を見つめていた基子は小首を傾げ言った。
「恭平、大丈夫?」
「ん? 何が?」
笑顔でとぼけてみせる。
しかし、じっと顔を覗かれる。
そして、大きなため息を一つ。
「幼馴染を侮ってもらっては困りますなあ」
その言葉に、ぎくりと心臓が跳ねた。
「ま、まあ、恭平が言いたくないなら仕方ないけど。ただ、私に手伝えることがあったら手伝うし」
基子は口を尖らせ、くりくりと自分の髪の毛を人差し指で巻き取っている。
その姿にどこかほっとして、恭平は軽く深呼吸をした。
「基子、ありがとう」
「えっ? いや、私はまだ何もしてないよ!」
手を前に出してぶんぶんと振り慌てる基子に、優しい笑みで返す。
——ここは腹を括るしかないな。
彼女の過去の話の大枠は知っている。
しかし、その詳細までは聞けずにいた。
それは傷つけるのが怖かったからだ。
彼女の悲しみを掘り返しても、きっと共感はできない。
トラウマと言う大きな傷であれば尚更のこと。
ただ、今はこれを聞かないことには先に進めそうにない。
薫という存在がどこから生まれたのか。
「ところでさ、基子。聞きづらいんだけど——基子の両親ってどんな事故で亡くなったの?」
「何、突然?」
「い、いや、なんとなくね」
「あれ? 恭平に話したことなかったけ?」
基子の随分と軽い感じの反応に恭平は驚いた。
「あ、ああ、聞いたことないな」
「そっか。えっとね——立ち話もなんだからそこに座ろっか」
基子は宿を出た先の道路脇にある縁石を指して言った。
「あ、いや。どうせなら南台所神社に向かいながら話そうか」
時間が惜しいわけではないが、恭平にとってじっとして聞ける話ではなさそうな気がしていた。
移動しながらの方が気が紛れる。
「うん、わかった。ところで、ちゅんちゅん丸で行く?」
「自転車で行くにしても、一台しかないだろ」
「それは——そうだっけ?」
「いや、俺だって知らないよ」
恭平のこの島での移動手段は基本的に車だった。
自転車に乗ったことはない。
「とりあえず、鍵の場所はなんとなくわかるから、基子はここで待ってて」
「うん、わかった」
そう言って恭平は小走りで宿に引き返した。




