第一章 其ノ伍
基子が宿を出てここに至るまで、おじさん以外の島民を一人も見かけていない。しかし、こんなに天気が良い日に、まして、建物が見えるところで迷うはずがない。おじさんの話を右から左に流しながら、基子は再びペダルを漕ぎ始めた。
緩やかな坂道を登り、前方に信号機と横断歩道が見えてきた。その手前で右に曲がる道と、そのまま前進する道とがある。
左側の歩道を走っていた基子は、右に曲がる道に興味をそそられた。反対側に渡ろうとして縁石の切れ目を探し、丁度、歩行者信号が赤に変わったので横断歩道手前でキュッと停止する。
——なんか勢いで止まっちゃったけど、そもそも車いなくない?
右を見ても、左を見ても、車の影も形もない。しかし、車がいようがいなかろうが、信号は守るもの。歩行者用の押しボタンを押して、青に変わるのを待って横断歩道を渡る。
右の道は少しキツい坂道になっていた。ペダルを漕ぐ足に体重を乗せる。ひいひいと唸りながら坂道をまっすぐ進むと、右手には先ほど遠くから見えた大きな建物が目の前に現れた。建物の前にグランドのようなものがある。おそらくここは学校なのだろう。生徒たちは教室内で勉強しているのか、外に人影は見当たらなかった。
さらにしばらく進むと、左側に石台の上で右手を上げた謎の青い像が現れた。この当時は服がなかったのだろうか。褌一枚で手を挙げてる様が、いささか滑稽に見えた。基子は自転車を止め、その像の下に書かれていた説明を読んだ。
『環住像 佐々木小次郎太夫の碑』
その昔、火山の噴火で無人島になった藍ヶ島。約半世紀後に島民の先頭に立って環住を果たした英雄の像だそうだ。
——石垣島にある具志堅用高の像のようなものかな。
多分違うと思いつつもの、なんとなくそんな感じがしたので一人納得してみた。
再び象を仰ぎ見る。すると……
「ひっ!」
びっくりして思わず声が漏れた。条件反射で体が後ろに仰反る。
いつの間にかカラスが象の頭に乗ってこちらの様子を伺っていた。首を傾げ、トントンと器用にステップを踏んでいる。
「ちょ、ちょっと。向こう行ってよ」
背を屈めながらしっしと手を振るが、一向に逃げる様子がない。
カァカァと威嚇しているのか、ステップもより早くなる。
基子が後ろに逃げるように下がると、ガタンと自転車にぶつかった。
カラスはその音にびっくりしたのか、バサバサと飛び立って逃げていく、と同時に——ゴトンと何かが地面に落ちた。
その音で肩がビクッと跳ねる。
「えっ! な、なんで?」
そこに落ちてきたものは銅像の頭部だった。
本体の方を仰ぎ見ると、首から上がなくなっている。
「え? なんで頭が?」
転がっている頭部を再び見ると、首のところに何か突起があった。
基子は不思議に思い、それを手にとってまじまじ眺める。
「あれ? これって……もしかして」
像の本体を見る。首のところが真ん中で凹んでいた。
——一体、なんのために?
その凸凹を合わせるように取り付けると、ピッタリと嵌った。
象の首が取れる意味。
基子は首を傾げ考えてみる。しかし、ついさっきこの村に来たばっかりでなんの情報もない基子がわかるわけがない。
「うん」と小さく頷き深く考えないことにする。
そして、再び自転車に乗りペダルを漕ぎ出した。