第二章 其ノ肆
——とりあえず逃げなきゃ!
恭平の本能が、すぐにこの場から離れることを警告している。
急いで体勢を立て直して集会所に向かおうとするが、雨でぬかるんだ土に足を取られ、再び大きく転んだ。
そして、立ちあがろうとした瞬間——
「大丈夫だよ。恭ちゃんは殺さないから」
耳元で囁かれ、ビクッと体が硬直する。
激しい雨のせいで、自分の後ろに佇む気配を全く感じ取れていなかった。
——基子。どうして……
今すぐ振り向き、その姿を確認しなければと思うものの、金縛りにあったみたいに体が全く動かない。
そして、だんだんと恐怖に悲しみが混じりはじめる。
恭平は心を落ち着かせようと、目を閉じ呼吸を深くした。
「ドッキリでした!」なんて、舌を出してイタズラに笑う彼女の姿を脳裏に思い浮かべる。
そして、そうあってほしいと切に願う。
しかし、今現在、理解を超えたことが起きているのは事実。
——一体何が。
ガタンと何かが倒れる音がして、再びビクッと肩が跳ねた。
雨音が思考をクリアにしていく。
金縛りが解けたのか、恭平は音のした方に恐る恐る首を回した。
そして、そこに——彼女の姿は見当たらなかった。
ほっとしたのも束の間、開け放たれた倉庫の入口に円香が倒れているのが見えた。
「円香さん!」
恭平は大声で名前を呼び立ち上がると、円香に駆け足で近づいた。
「円香さん! 大丈夫ですか……っ!」
先ほどよりも出血がひどくなっているようだ。
しゃがみ込み、上体を抱き起こしそうと脇に手を入れると、ヌルッと滑った。
恐る恐る掌を見る。
赤黒い液体がべっとりとついた。
「す、すぐに誰か呼んできますから!」
白い装束は、すっかり血に染まっていた。
応急処置をしようにも、恭平には知識も、まして道具もない。
集会所にはまだ誰かしら残っているだろう。
——助けを呼んで、急いで診療所に向かえば。
飲酒運転など、この緊急時に関係ない。
恭平は円香をそっと下ろし、立ちあがろうとしたところでガシッと手を掴まれた。
「きょ、恭……平……私は、もうだめだ。それよりも……嬢ちゃんを……彼女を助けてやってくれ」
ごほごほと血を吐きながら円香は咳き込んだ。
「円香さん、黙っててください! すぐに助けを呼んできますか……」
掴んでいたはずの円香の手が、するりとこぼれ落ちた。
そして、そのままトサっと力なく地面に叩きつけられる。
「ま、円香さん?」
名前を呼ぶも、返事はない。
「円香さん! 起きてください! す、すぐに助けを——」
目頭が熱を帯びた。
体の内側から涙が湧き出てくる。
そして、瞳から溢れ出るも、髪から滴る雨の雫と混じり合い、頬を伝うものがなんなのかわからなくなる。
恭平は天に向かい咆哮をあげた。
その声は、暗闇の中、激しく振り続ける雨に虚しく吸い込まれていった。
すると、集会所の方でガタガタと物音がした。
ビクッと肩が跳ねる。
もしかしたら、基子が集会所に入り暴れているのかもしれない。
円香をそっと地面に横たわらせ、両の手を合わせ静かに合掌する。
——基子を止めてきます。




