第一章 其ノ肆拾
「着いたぞ」
恭平の声で、足元から目の前に視線を移した。
真ん中には畳が二畳敷かれていて、その四隅を棒の上に置かれた蝋燭がゆらゆらと妖しい炎を灯している。上を見ると、注連縄が岩と岩に括り付けられていた。
「畳のところに座って待ってて」
基子はこくりと頷き、靴を脱いで畳に上がった。
恭平は畳を避けるようにして基子の前に来ると、再び提灯の蝋燭を持って、別の蝋燭に火をつけた。
段々と周りが明るくなっていく。
すると、基子の目の前に木でできた祭壇が浮かび上がった。祭壇の上には三宝が三つ。更にその上に野菜やら瓶子が乗っている。
「すぐに円香さん来ると思うけど、結構飲んでたからなぁ——」
「あれぐらいで酔わないよ」
すぐ後ろで声が聞こえ、びくっと肩が跳ねた。
ゆっくりと後ろを振り向くと、巫女さんの恰好をした円香が薄暗い通路をこちらに向かって歩いてきている。
途中、つまづいてよろけていた。
「円香さん、気をつけてください! 水溜まりに落ちたら洒落になんないんですから!」
やはり、周りは水で囲まれているようだ。
「大丈夫だよ。ここはあたしの家みたいなものだからねぇ」
ふらふらと歩く姿が危なっかしい。
「それよりも、恭平は倉庫の方で待ってな」
「えっ? いや、でも——」
「神聖な儀式にお前さんが居たら、降りてくるものも降りてこないのさ。ほれ、さっさと行った」
基子のところまで転ぶこともなく無事に到着した円香は言う。
拳を握り、「わかった」と言って、少し残念そうな表情を浮かべた恭平。じゃりじゃりと音を鳴らし、通路の方へと戻っていく。
「さて、始めようかね」
恭平の後ろ姿が見えなくなると、円香は独り言のように呟いた。
「お、お願いします」
後ろにいる円香の方に姿勢を直し、基子は座ったままお辞儀をした。
「いいよ、そんなに畏まらなくても。ちなみに嬢ちゃんは巫女になる気はないかい?」
「えっ! な、なんでですか急に?」
突然の質問に狼狽える基子。それを見て、円香は面白そうに笑っている。
「いやね。もし、今回の件が本当に『乱心』だったら、もったいないなと思ってさ。その歳で神様に選ばれるなんて、なかなかないからね。どうだい、巫女になってみる気はないかい?」
畳越しにずいっと基子ににじり寄る円香。
座ったまま、ずずっと後退る基子。
「い、いや、大丈夫です。怖いのとか、本当に苦手なので……」
顔を引き攣らせ答える。
「そうかい。じゃ、仕方ないね——さてと。それじゃ、ちゃっちゃとお祓いしちまおうか」
円香は残念そうな表情をしたかと思うと、直ぐにニコッと笑い、祭壇の方へすたすたと歩いていく。
そして、基子に背を向ける様にして祭壇の前に立ち姿勢を正すと、腰に刺してあった白いワサワサを手に取り掲げた。
「高天原に坐し坐して、天と地に御働きを現し給う龍王は、大宇宙根元の御祖の神にして一切を産み、一切を育て、萬物を御支配荒らせ給う王神なれば、一二三四五六七八九十の十草の御寶を己がすがたと變じ給いて……」
腹の底から唸る様な低音。空気がぴりりと締まる。そんな難しい言葉を読み上げる円香の背をまじまじと見守る基子。
——なんて言ってるかわからないけど、さっきまであんなに飲んでたのに……
ふらつく様子もなく、白いワサワサを振っている。そして、不意に後ろを振り返る円香。
基子は突然のことにギョッとした。
「とりあえず嬢ちゃんは反対側向きな」
サンダルを脱いで畳に上がってくる円香。その言葉に従うように、くるりと回転して祭壇側に背を向けた。
円香は基子の肩に白いワサワサをバサバサと軽く当てながら、ブツブツと何か唱えている。
目を閉じてその儀式が終わるのをじっと待つ基子。
すると、頭の奥で何かが響いた。
——こんなことしても意味ないのにね。
ケタケタとおもしろそうに笑うその声を基子はどこかで聞いた気がした。
「だ、誰?」
頭の中で聞こえる声に呼応するように、基子は言葉を漏らす。
円香には聞こえていないのか、ぶつぶつ言いながら白いワサワサを肩に打ち付けてくる。
「ねぇ、一体誰なの?」
応えくれるかも半信半疑だったが、それでも尚、言葉をこぼす。
——誰だと思う?
「神様だとしても、お願いだから私の中から出てって。巫女になる気もないし、不思議な力もいらないから!」
基子の様子がおかしいことに気がついたのか、円香は手を止めずに基子に聞いてきた。
「嬢ちゃん、大丈夫かい?」
「えっ? あ、はい。なんか、頭の奥から声が聞こえます」
円香の声で、冷静になる。
「そのまま意識を持っていかれないように保つんだよ!」
——だから、無駄だって。
ドクンと心臓が揺れた。
一瞬、呼吸ができなくて、そのまま疼くまる。
「嬢ちゃん! 気を確かに持つんだよ!」
円香の声が薄れて聞こえる。
段々と意識が朦朧としてきた。
——お姉ちゃんのお陰でもうすぐここから出られるよ。
一体、お姉ちゃんとは誰のことなのか。基子に兄妹はいない。
——ありがとう。お姉ちゃん。
その声を境に、基子の意識は完全に途絶えた。
※第一章はここまででです。




