第一章 其ノ参
「そう言えば、ここら辺って歩いて観光できたりしますか?」
事前に下調べはしていて車が無いと不便だとわかっていたのだが、念のため聞いてみる。
「いやいや。外からのお客さんが行くような場所は、車じゃ無いとちょっと大変ですよ」
——やっぱり。
わざとらしく、あざとく肩を落として「そうなんですね」と溜息をつく。
佐々木は頭をぽりぽり掻き、少し困ったような表情を見せ言った。
「時間があれば案内してあげれるんですが、ちょっと今日は色々と立て込んでて——そうだ! もしよければ、自転車が裏に置いてあるので、それで回ってみてはいかがでしょうか? いい運動にもなるし、天気も良いからきっと気持ちいですよ」
基子的には、できれば車で案内してもらえる方が良かったのだが……
用事があるのであれば仕方がない。この際、ご厚意に甘えて自転車を借り、島をぐるっと一周するのもやぶさかではない。脳裏に浮かんだ「自転車を漕いで汗をかく自分」の清々しいイメージに、気分を良くしてむふーとにやける。
佐々木は先に部屋を案内しますと言うと、再び基子の荷物を持って右手の廊下を進んでいった。その後ろを基子はゆっくりとした足取りで追いかける。
廊下の先は回り階段となっていて、そこを二階に上がると部屋が三つほど見えた。昔懐かしい黄土色をした化粧合板の扉。ノスタルジーな雰囲気を醸し出している。扉の横には部屋番号が書いてあり、基子は一番奥の部屋、「参番」の部屋に案内された。佐々木はカチャリと鍵を開けて、どうぞと基子を促した。ペコリと軽くお辞儀をして中に入る。すると、井草の香りがふわりと鼻をくすぐった。
——懐かしい……ん?
基子には畳の部屋に懐かしさを馳せる思い出は記憶になかった。昔住んでいた家も、曽祖母の家も、今のマンションも全てフローリングだ。不思議に感じつつも、きっと小さな頃に学校行事で泊まった宿だろうと思い、気にしないことにした。
スリッパを脱いで小上がりを上がり、目の前の襖をすっと開ける。部屋は六枚の畳が敷きつめられていて、真ん中には折りたたみ式のテーブルと、右隅には小さなテレビ台の上に32インチのテレビが備え付けられていた。部屋の奥は広縁があり、古ぼけた椅子と小さなテーブルが一脚ずつ、そこだけ時の流れが忘れ去られたかの様にぽつねんと佇んでいる。そして、その奥の窓から差し込む陽光が、きらきらと輝き、彩りを加えていた。
「荷物はここに置いておきますね。お布団はそこの押し入れに入ってます。トイレとお風呂場は一階で、お食事も下の広間になります。なにかあれば、階段を下りてすぐ目の前に事務所があるので、お声がけしてくだされば対応しますね」
佐々木はそれだけ言うと、ぺこりと会釈をして部屋から出ていった。
基子は広縁の椅子に腰掛け、窓から外を眺めた。遠くの方に小高い山が見える。
そう言えば、と八丈島空港で貰った藍ヶ島全景のマップがあるのを思い出した。ウエストバッグをガサガサと漁って取り出す。それをテーブルの上に広げ、目の前の山の名前はなんなのか探してみる。
——んー……わからん。
そもそも、この窓がどっちの方角を向いてるのかが基子にはわからなかった。
諦めてマップを畳みウエストバッグに戻す。「よし」と小さく呟き立ち上がると、近場の散策に向かうため部屋を後にした。