第一章 其ノ弐
しばらくして、キッと車が停車すると、佐々木はサイドブレーキを力強く引いた。
「お待たせしました。着きましたよ」
佐々木はそう言うが早いか、さっさと車から降りてトランクを開け、基子の荷物を取り出していた。
基子も車から外に出る。
駐車場に敷きつめられた砂利がサンダルと擦れて、ジャリジャリと大きな音をたてた。
「どうぞこちらへ。お部屋までご案内します」
荷物を抱えながら、先導する佐々木。その後を基子は追う。
駐車場から裏手にぐるりと回ると、今日からしばらくお世話になる民宿『おぺら座の海神』の看板が出迎えてくれた。木でできたその看板は、雨風にさらされていたせいか、少しくたびれている。
そして、看板の横を通り過ぎると、すぐに玄関が見えてきた。民宿というだけあって、ホテルとは違い、まさに「家」である。そのままその玄関を潜ると、横には大きな靴箱があった。
「ここで靴を脱いでそこの靴箱に入れてください。もし心配なら自分のお部屋まで持っていっても構いません。ただ、そもそも靴を盗んでいく人がいませんが」
佐々木はくすりと小さく笑った。
靴箱を見ると、サンダルとスリッパだけがいくつか並んでいる。つまり、宿泊客は基子一人しかいないということだろう。
「ささ、こちらへどうぞ」
玄関を上がり、左に続く廊下をUターンするように曲がると、すぐ右手には大きなソファーとテーブルが一つあった。そこ境にT字に廊下が分かれている。
「とりあえず、そこのソファーでおかけになってお待ちください。すぐに宿帳を持ってきますので」
佐々木はそう言うと、基子の荷物をソファーの横に置き、いそいそと右手の廊下の奥に消えていった。
基子は何となく佐々木が向かった先とは別の廊下に目を向けた。左手の大窓から差し込む陽の光が、廊下を明るく照らしていて、そのすぐ右手には障子の部屋がある。突き当たりには、四角い額縁の中に、大きな弓を携え、立派な赤い甲冑を着た武将が憮然とした表情で描かれていた。
基子はソファーに座り、肩から掛けていたウエストバッグからスマホを取り出してポチポチと画面を叩いた。電波を見ると、3Gという文字が液晶の右上に小さく映し出されている。
「電波良くないんだ……」
「そうなんですよ。役場の付近は良いんですが、ここは少し離れてるので、どうしてもねぇ」
いつの間にか戻ってきた佐々木が、基子の目の前のテーブルに宿帳とボールペンを置きながら言った。
「ここと、ここに記入お願いします」
ボールペンを手に取り、基子はサラサラと自分の名前を書き込む。
「まぁ、便利なものは何もないところですがね。逆に、都心とは違って自然は沢山ありますから。たまには、そういった文明の利器から離れてみるのもいいんじゃないでしょうか」
優しく微笑む佐々木に、基子は宿帳を手渡した。
確かに佐々木の言う通り、ヘリポートからここに来るまでの間、基子の目に映ったものは澄み渡った青い空に懐かしい香りが漂う家々が少々。そして、我先にと太陽の光に葉を伸ばさんとする木々達。
時折、「チチチチ」と聞こえる鳥の鳴き声が、基子の耳に心地良く響いていた。
——よし。
基子はスマホの電源を落としてウエストバッグにしまった。