第一章 其ノ壱
「うわー! すごっ!」
眼前に広がる青い海から、聳え立つようにして大きな壁が島全体を囲っている。まるで、外敵から民を守るために作られた要塞のようだ。
基子が向かっているのは伊豆諸島南部にある秘境「藍ヶ島」
八丈島から約七十キロ。船だとニ時間半。ヘリコプターだと二十分。伊豆諸島の有人島としては最南端に位置し、来る者を寄せ付けない独特な地形から「鬼ヶ島」とも呼ばれている。そして、二重式カルデラを一望できる珍しい島でもある。
けたたましい音を立てながら、基子が乗っているヘリコプターは、丸の中に『H』と書かれた場所に着陸した。羽を完全に止めることなく扉が開くと、基子以外の人は慣れた様子で淡々とヘリコプターから降りていく。ぐるぐると回るメインローターの風圧で飛ばされないように、荷物をぎゅっと強く抱え、先に降りた人に倣うように早足でその場を離れる。すぐ近くには、これから八丈島に戻る人たちが待機をしていて、基子たちと入れ違いで乗り込んでいた。
ヘリポートを離れ、道なりに歩くと、砂利が敷きつめられた狭い駐車場が道脇に現れた。メールで待ち合わせとして指定された場所は、多分ここで間違いはないだろう。基子は辺りをキョロキョロと見回した。
「猿渡さんですか?」
不意に後ろから声をかけられ、びくっと肩が跳ねる。
声のした方を振り向くと、人の良さそうなおじ様がニコニコと笑顔で立っていた。
「民宿『おぺら座の海神』の佐々木です」
「あっ、はい。予約した猿渡です。よろしくお願いします」
基子がぺこりと大きく頭を下げると、おじ様も同じように頭を下げた。
「わざわざ遠いところお越しくださりありがとうございます。ささ、荷物持ちますよ。こちらへどうぞ」
佐々木と名乗った男性は、基子の持っていたボストンバッグを受け取ると、そのまま近くに止めてあった車まで案内してくれた。荷物をトランクに積み込み、助手席にどうぞと声をかけられ車に乗り込む。
「八丈島からヘリコプターだとあっという間だったでしょう?」
「あっ、はい。早くてびっくりしました」
佐々木は車のエンジンをかけると、後ろを振り向き、ゆっくりとバックさせた。
「よし、それじゃ行きますね」
「よろしくお願いします」
のろのろと走り始めた車から外を眺めると、どこか懐かしい田舎の風景が広がっていた。小高い丘のその隙間から、点々と家が見える。
道路も都心のように綺麗に舗装されたものではなく、少し凸凹としていて、時々ガタンと車体が揺れた。
「坂が多いんですね」
窓を少し開け、車の唸り声を耳にしながら、基子はなんの気なしに聞いてみる。
「そうなんですよ。大昔の噴火によってできた土地の上に住んでますからね。道は狭いし坂は多いしでなかなかに住みにくいですよ」
佐々木はカラカラと面白そうに笑う。
「でも慣れればここの暮らしも、快適とはいかないですが、のんびりしてて、良いもんです」
確かに、東京都とは言え都心からは三五〇キロ以上離れている。当たり前だが、渋谷や新宿の喧騒がここまで届くはずもない。
基子は「そうなんですね」と愛想笑いを返すと、車窓から外に目を向けた。
濃緑色の切れ間から、澄んだ蒼色が広がっている。
その少し上を見やると、ギラギラと白く照りつける太陽が、ゆっくりと西に歩を進めていた。
雲ひとつない青空。
基子の口元が自然と緩んだ。