第一章 其ノ拾陸
「叔父さんから名前聞いて、もしかしてと思ってたけど、やっぱり基子か」
「きょ、恭平!」
驚きすぎて、若干声が裏返る。
東京に引っ越してからしばらく会っていなかった幼馴染の「柴山恭平」が、基子を見下ろすようにして立っていた。
「ど、どうしてここがわかったの? てか、なんでいるの?」
基子は何事もなかったように立ち上がると、ぱんぱんと膝についた土を払った。
「あぁ、叔父さんのところに手伝いに来たんだよ。つうか、大丈夫か? コケてたみたいだけど」
「こっ、コケてなんかないし! ただ……ちょっと、滑っただけだし……」
恥ずかしくてそっぽを向きながら言う。
「そっか。怪我とかはしてないか?」
「あ、うん。大丈夫」
基子は俯きながら膝を隠すようにさすった。
「まぁ、怪我がないなら良かったよ」
そう言って無邪気に笑う恭平。
「うん…って、なんでここに私がいるってわかったの?」
「あぁ、それも叔父さんが『南台所神社に向かっただろうから、ついでに様子見てこい』って言われてさ。きっと石段の方から登るだろうから、万が一がないようにって」
——叔父さん?
そう言えばと昨日の出来事を思い出す。
居酒屋で佐々木が言っていた「手伝いにやって来る甥っ子」とは、どうやら恭平のことだったようだ。しかし、昨日の話では午後から案内を頼む予定だったはずだが——
「それと……もうすぐ昼になるからさ。良かったら一緒に飯でも食べないか? 美味しい食堂案内するし」
頭を掻きながら、どこか照れ臭そうに話す恭平。
「ありがとう……って、もう昼なの!」
腕時計を見る。長い方の針が短い方の針に追いつくように、十二で仲良く重なり合おうとしている。
そんなにこの場所に留まっていた感じはしなかったのだが、基子が思っていたよりも石段を下りるのに時間がかかってしまったのだろうか。それとも——
「基子? 大丈夫か?」
物思いに耽り、一人の世界に没入していたところ、恭平の声によって現実に呼び戻された。慌てて手を振る。
「あっ、ごめん、大丈夫。そうだね。お腹も空いたし、ここは恭平の奢りで美味しいものを食べに行こう!」
「いや、奢らないぞ」
恭平はキリッとした表情で、きっぱりと否定した。
「えー! そこは男らしく『久しぶりの再会を祝して、ここは俺が奢ってやるよ!』的な感じじゃないの」
少し甘えるような声で言ってみる。しかし、恭平には効かなかったようだ。
「一応、お客様だからな。取れるとこからは取るさ」
恭平はくるりと踵を返し、後方に停めてある車にスタスタと歩いて行く。基子はその言葉の意味を顎に手を当てしばし考える。
「って、もしかして私が奢る前提!」
恭平はひらひらと手を挙げると、そのまま車に乗り込んだ。
「ほら、早く乗れよ。行くぞ」
車の窓を開け、そこから顔を出しながら基子に声をかける恭平。
「えっ! ちょっと待って。私、自転車できたし!」
「後でトラック借りて回収しに来るから大丈夫」
「えっと、でも……」
赤い彗星「ちゅんちゅん丸」と、恭平が乗る車を交互に見ながら迷う。
「大丈夫だって。この島で自転車盗む人はいないから」
「うっ、わ、わかった」
基子の考えを見透かしたのか、恭平がそう言うと、基子は名残り惜しそうな表情を浮かべ車の助手席に乗り込んだ。
——ちゅんちゅん丸。後で必ず迎えに来るからね。
基子が心の中でそう呟くと、恭平は車のエンジンをドルンと唸らせ、村に向かってゆっくりとハンドルを切った。
バックミラー越しに小さくなっていく赤い自転車が、周りの景色に馴染めず、どこか違和感だけを残していた。




