第一章 其ノ玖
「ところで嬢ちゃん。こんな辺鄙な場所に一人旅とはなかなか変わってるねぇ。まさか、男にでも振られたのかい?」
突然の質問に、ギクリと肩が跳ねる。危うくお酒が口から出そうになった。
「円香! 失礼だろ!」
「失礼? 別に旅の理由聞いただけだろうが。あ、そのビールはそいつに」
「どうも——込み入った事情があってここに来てるかもしれないだろ」
お店の人が佐々木にジョッキを渡すと、二人は口喧嘩をしながらチンとグラスをぶつけた。ごくごくとビールを胃に流し込み、佐々木は「ぷはぁ」と声を漏らす。
「いやいや、だって気になるだろう。こんなに綺麗な子が一人でこんな辺鄙なところに来てたら」
「それはそうだけど……」
ちらりと横目に基子のことを気にする佐々木。
「あはは。ちょっと仕事に疲れたので、気分転換で旅行に来ただけです」
曖昧に笑いながら円香に返事をする。
「気分転換、ねぇ……確かに、そう言うことならある意味もってこいの場所かもしれないな」
円香の横で、佐々木もうんうんと頷いている。
「で、今日はどこら辺見て回ったんだい?」
「あ、えっと、自転車で回ったのでそんなに遠くまで行けてませんが、その、学校? の周辺をぐるっと」
「自転車? 車で回ったんじゃないのかい?」
不思議そうな顔で基子を見る円香。そんな顔で見られるのも、本日二回目だ。
「恥ずかしながら、免許を持ってないので……」
たははと頭を掻く。
「なら、こいつに案内させればよかったのに。どうせいつも暇してるんだし」
「おい。俺はいつも暇じゃないぞ!」
「暇だろうが。客もこない宿の管理なんて」
「客が来なくてもやることはあるんだよ!」
そんな二人のやり取りがなんだか微笑ましくて、基子はくすくすと笑ってしまった。二人はピタッと動きを止める。すると、佐々木が少し恥ずかしそうに言った。
「そんなにおかしかったですか?」
「すみません、そんなつもりじゃなくて。お二人は仲が良いんだなぁって思ったら、つい」
基子は慌てて手をぶんぶんと振った。円香はふんと唸るが、口元は緩んでいるようだった。
「こいつとは昔からの腐れ縁で、色々と因縁深いんです」
照れ笑いしながら佐々木が言うと、それに同調するようにまどかも言葉を繋いだ。
「あたしらは昔、八丈島の高校に通ってたんだけど、同じ女を好きになって取っ組み合いの喧嘩になってね。それから、別々の大学に行って、こっちに戻ってきたらまた同じ女を好きになったんだ。さすがに分別を弁えた大人だったから殴りあいにはならなかったけど、しばらく口聞かなかったな」
ワハハと大きな声で笑う円香。
——同じ女?
「えっと、失礼ですけど……円香さんは、女性、ですよね?」
「ん? そうだけど。あたしが男に見えるのかい?」
不敵な笑みを浮かべる円香。
「い、いえいえ。そう言うことじゃなくて……っと、そ、そう言うことの意味も、な、なきにしもなんですが」
「じゃ、本当はどっちだと思う? いや、どっちならいいかな?」
たじろぐ基子に、ふふんと鼻を鳴らし、ずいっと体を前に出して艶っぽく迫る円香。
「え、えっと……」
「やめろ!」
ごすっと音がしたかと思うと、「痛っー」と頭をさすりながら円香は後ろに下がった。どうやら佐々木が円香の頭に一発食らわせたようだ
「円香! 今はそんなこと話さなくてもいいだろ!」
「いいだろ別に。減るもんでもないし」
「普通の人が聞いたら混乱するんだよ! 現に猿渡さんだって、どうしていいか困ってるじゃないか」
再びちらっとこちらを伺う佐々木。
面白そうな話ではあると思ったが、深入りすることで身に危険が及ぶ可能性が高いと踏んだ基子は、ただ曖昧に笑った。




